津田浦大決戦 古狸奇談

津田浦大決戦 古狸奇談 第八回

さて庚申の新八は準備も整いまして、いよいよ…

さて庚申の新八は準備も整いまして、いよいよ今宵は首尾よく敵地へ乗り込んで事を挙げようとする間際に至って、またまた大将金長に面会いたし

新八「さて金長殿、私はこれよりお暇(いとま)をいたして敵地へ乗り込むことに決心いたしましたが、
昨夜、図らず小鹿子殿について城内の状態(さま)奥向の容子までも詳しく承りました。
ところがこの津田山の裏手に流れる一つの小川は、穴観音の後門(からめて)より出づる水にいたして、
もっとも穴観音の城内より流れ出づるその水源(みなかみ)は奥向の泉水ということであります。
それで末は津田浦の海に流れ入るのであります。
このことは絵図をもって小鹿子どのより手に取る如く承りました。
そこで私つくづく考えまするに
表面(うわべ)はあくまでも新参者、この辺の藪狸(やぶだぬき)とあいなりまして、
六右衛門に申し込んで奉公いたし、たとえ身は下郎におちぶれましょうとも当分はかの城内に入り込むのでございます。
そこで城内の容子、または大将六右衛門の要害の程、その城内の秘密、
これらのことを第一番に聞き出しまして、
かの城内より流れ出づる水は二の丸の濠端(ほりばた)に続くということでありますから、
私はいちいち細かくしたためまして暗号をもって城内の容子を逐一お知らせ申そう。
よって、したためて流れへ投(ほう)り込みましたのが、この津田山の裏手に流れ落ちるのでありますから、
貴殿は絶えずこの小川の容子に目をつけさせて流れてまいるものあらば、それを拾い取って一々お調べにあいなる時は、
城内の秘密は詳しくあい分かるのでございます。
ついてはその暗号もお打ち合わせをいたしておきたいと思います。」

金長「なるほど、それはどうも至極結構。」

新八「それでは私は大将六右衛門の秘密に及ぶ魍魎(もうりょう)の一巻を首尾よく盗み出し、
もし事の発覚(あらわ)れる時は用意の爆裂をもって一命を棄てる代わりには、
城内の奴らは残らず煙に堪らず城外に逃げ出す、
その時はこの新八の最後と思し召して各々方もお乗り込みを願いたい。
城内の容子は聞き取り次第したためて木の葉を流すことにいたしますから、おぬかりなきように。」

と、ここでくわしく打ち合わせをいたしました。

側で聞いていた田の浦の太左衛門も

「なるほど、これは実に妙計である。
しかし庚申の新八、御身は実に大胆なお方だ。
どうか、なにぶん敵に悟られぬよう頼みます。」

新八「いかにも承知いたしました。
それではどうぞこの新八の便りをお待ち下さるように。」

というので、万事相談の上、新八はガラリ姿を変えまして敵地へ乗り込むということになりました。

ところが何をいうにも穴観音というのは要害堅固でございまして、
たとえ敵が幾万押し寄せ来ようとも、
※大手搦め手を厳重に固めをいたして当城内へ立てこもる時は、
なかなか容易にやぶれません。

もとより休戦のことでありますから城内の手合(てあい)は、
マアマアこういう時に十分睾丸(きんたま)の皺(しわ)のばしをしようというのでありますが、
いずれも味方に入った者は、日々の酒宴を催して、おのずと怠りがちにあいなっております。

けれども大将六右衛門は※大手搦め手の番というものは厳重に申しつけまして、
たとえ城内の者といえども、また四天王の内らの者でも、
かねて印鑑というものを渡してありまして、
この鑑札(かんさつ)のない時は決して城内へ出入りはさせません。

なかなか厳重に張番(はりばん)をつけてありますけれども、
今は城内にても四天王の川島作右衛門、八島の八兵衛、多度津の役右衛門は過日の戦争(たたかい)に皆々討死をいたしました。

ただ残るは川島九右衛門のみ、それも数ヶ所の手傷をこうむりまして、
以前の九右衛門の勢いはございません。

だが六右衛門はこれを軍師と定めまして、十分彼に養生の手当をさせております。

そのうちに自分は忰(せがれ)の千住太郎という者のもとへ至急の飛脚をもって、
兎にも角にも穴観音へ立ち帰るよう、というので使いを立てました。

この千住太郎というのは、さきに最後を遂げました小芝姫の舎弟(おとうと)でございまして、
たとえ四国の総大将の忰といえども皆それぞれ修行というものが要ります。

よって変化の術を修行中は他の手にかける方がよかろうというので
今は彼はわざわざ八島の禿狸(はげだぬき)のもとへ参りまして
変化の術を修行いたしております最中でございます。

これを呼び戻して当城の総大将にしようという六右衛門の考えでございますけれども、
今のところでは急に間にも合いません。

かたがたもって六右衛門も考えました。

とても他から援軍の来そうなことはない、
よってこれはいつぞのこと※淡州千山(せんざん)の芝右衛門を味方に頼むより仕方がない
と思いました。

もっともこの千山の芝右衛門という者は、
なかなか狸党(りとう)のうちではよほど勢力のある奴でございまして、
※淡州一円を預かっておりまして、この芝右衛門の妹というものが六右衛門の後妻(のちぞい)となり
今穴観音へ参っております。

縁者の間柄でもあり、そこで腹臣の者を呼んで

六右「その方、只今より千山の芝右衛門のもとへ参り、
ひそかにこの度の戦争(たたかい)の容子を物語り、
一日も早く彼に加勢に来てくれるように、六右衛門が頼んでおったと申して、
この書面をもって参れ。」

と家来の飛田(とんだ)の八蔵という小狸にこのことを申しつけました。

こやつは道をドンドン飛び歩くのは、なかなか妙を得ておりまして

八蔵「よろしゅうございます。
御大将、それでは私はこれより参りまして、
明日は必ず立ち帰って参りますことでございます。」

と、そのまま八蔵は穴観音の※搦め手より飛び出しましたることでございます。

斯(か)くて飛田の八蔵は一散に飛ぶが如くに
千山の芝右衛門のもとへの使者でございます。

※淡州にて眷族の四五百匹もあろうという、
なかなか芝右衛門という奴はたいそう威張っております。

ようようのことに津田の浜辺へやってまいりましたが、
なんぼこいつは足が健脚(たっしゃ)な奴でも、
海上は便船(びんせん)を求めんければならないのです。

それですから彼奴(きゃつ)は浜辺にあって待っておりますと、
よい塩梅に淡州の方へ出帆(うけ)る商船が一艘ありました。

そこで人間の眼(まなこ)を眩(くら)ましヒョイッと船へ飛び乗りましたが、
左様なことは誰も知らない、
己はすみっこの荷物の間にしゃがんでおりますうちに、
その日のうちに船は無事に淡路の洲本(すもと)へ到着いたしました。

すると飛田の八蔵、早速陸上(おか)へ飛び上がった、
そのままドシドシと駆け出しましたが
何しろ一日に※五十里くらいは大丈夫歩こうという奴です。

その日のうちに千山というところへやって参りました。

するとこの山に一つの穴がございまして、穴の入口には芝右衛門の家来、
番人と見えまして小狸がその所に五六匹にて護っております。

折しもドシドシ駆けつけましたる飛田の八蔵

「これは各々方にはお役目ご苦労にございます。」

○「ヤイヤイ貴様は何者(なん)だ。馴れ馴れしく何国(どこ)の奴だ。
一向見馴れぬ奴だが。」

八蔵「ヘイ実は当千山の芝右衛門様にお目通りを願いたく
罷(まか)り越しました。」

○「黙れ、甚だおのれ馴れ馴れしいところの言(くち)をきく奴である。
各々ご油断あるな、此奴を召し捕って取り調べたらあい分かるであろう。」

と皆々棒をもって飛びかかって参りますから、八蔵も驚きました。

八蔵「これは怪(け)しからぬことであります。
徳島から用事があって私は参ったのでございます。
でやァ何でございますか、貴下方は私を怪しい者と思し召すのですか。」

△「黙れッ、貴様のような奴は見たことはないから怪しいと申しておるのだ。
通れ通れ。」

八蔵「アア左様でございますか。ヤッ委細承知いたしました。」

△「コリャコリャなんだ、何で門内(うち)へはいる。」

八蔵「それでも貴方、通れとおっしゃいますから。」

○「ヤア甚だ怪しい奴だ。徳島からぜんたい何用あって参った。」

八蔵「ハイ御不審ははもっともですが、私は穴観音の城主六右衛門の家臣でございまして、
大将六右衛門公から当芝右衛門様への密書を持って参りましたもので、
決して怪しい者ではございません。」

○「ナニ六右衛門公から密書を持って参った、ムムウそれは容易ならぬことである。
そんなら御身は穴観音の六右衛門公の家来でいらっしゃるか。」

八蔵「左様でございます。」

○「割符(わりふ)を持たっしゃるか。  

八蔵「ハイ」

なかなかこの千山の柴右右衛門という奴も如才(じょさい)はない、
この己の棲所(すまい)へ入れようというには割符というもがございますから、
かねてこれを穴観音の六右衛門にも渡してございますものと見え、
これを飛田の八蔵が出して示しましたところから、

○「然らば通らっしゃい」

前後(あとさき)に二匹の小狸が付き従いまして、さて玄関前へ参りますると、
この事を門番から申し入れた、玄関番は早くも奥へ参りまして、
このことを芝右衛門に申し入れました。

芝右衛門はこれを承りますと

芝右「ナニ穴観音の六右衛門からの使者(つかい)、ムムウ…いかなる用向きであるか、
何はともあれ、その者をこれへ通せ。」

そこで飛田の八蔵通って見ると、正面の一段高いところに※褥(しとね)を敷き
その上に、おれこそは淡州洲本千山の主(あるじ)であると言わんばかりで座っている、
側には数多の眷族がひかえております。

飛田の八蔵は

「これは御大将、お目通り仰せつけられ有り難き仕合せに存じ奉ります。
私ことは穴観音六右衛門の家来飛田の八蔵と申すものにございます。」

芝右「してその八蔵といえる者が、何用あって罷(まか)りこした。」

八蔵「エー恐れながら主人六右衛門より火急の御用でございます。
委細はこれなる書状に、何卒御披見の上、御返事をたまわりたく願い奉る。」

と、かの六右衛門よりの密書を差し出し、はるかに退(すさ)って頭をさげました。

取次の小狸これを芝右衛門の側へ持って参った、
芝右衛門は押しひらいてしばらくの間この密書をうち眺めておりましたが

芝右「ムムウこれはどうもけしからぬことである。」

と芝右衛門も驚きましたが、その文面には

『このたび日開野金長といえる奴、謀反の旗揚げを為(な)し、
我を滅ぼさんと計り、おのれ大胆にも四国の総大将となって国の政治を自由にせんとす。
これに田の浦太左衛門をはじめ、彼の言葉に欺かれ、南方の狸族(りぞく)は皆金長に味方をなし、
このほど津田浦へ押し出し一戦に及びしところ、
我が片腕とたのむ川島作右衛門、八島の八兵衛、多度津の役右衛門をはじめとしていずれも戦死に及び、
今は腹心の川島九右衛門一頭(ぴき)のみ、
これとても身体数ヶ所の手傷をこうむり養生中なり。
我は穴観音の城内に今は籠城いたしおる次第、
何卒芝右衛門殿にはこの際一臂(いっぴ)の力を添えくれらるる様、
もし幸いに御承引(ごしょういん)ならば、
この使い飛田の八蔵に対して直々に御伝言くだされたく、
願わくば御地(おんち)の同勢を以て、
目下津田山に砦を築いて立て籠もる金長の陣中へ夜撃ちを御かけくだされたく
左(さ)ある時には我々城内より撃って出で双方より挟み撃ちにいたさば金長を生け捕ること、
袋の裡(うち)の物を探るより易(やす)し、
希(こいねがわ)くば加勢の御承諾くだされたく、この段御願い申し上げ候。
なおまた戦争(いくさ)の次第は当使いの者より直々に御聴取りくだされたく、
余(よ)は拝願(はいがん)の上、委曲(いきょく)申し入れべく候。
千山芝右衛門殿
穴観音六右衛門』

と、したためてございます。

芝右衛門はこれを見て大きにおどろきましたが

芝右「ムムウ、実に容易ならざる騒動、ヤッ六右衛門殿の御胸中察しいる。
加勢の儀はいかにも承知いたした。
日開野金長といえる奴は不埒(ふらち)極まるところの奴である。
多寡の知れたる無官の藪狸(やぶたぬき)、己が身の程も知らずいたして、
四国の総大将たる六右衛門殿に抵抗するというのは実に身の程を知らざるところの小狸め、
コリャ八蔵とやら」

八蔵「ハッ」

芝右「汝(なんじ)立ち帰らば六右衛門殿に我(われ)承知の旨(むね)を申し入れおけ。
さりながらこの国も永年太平うち続いたことであるから、
それがために我が部下の者も武道にうとく殊にこの節は諸方へ向けて修行に参っておる。
今この館には甚だ狸族は少ない、
よって拙者(それがし)は一両日のうちに、穴観音へ乗り込んで六右衛門殿に面会いたし、
その上打ち合わせをいたさん。
もっとも部下の者は※回章(かいしょう)を回して至急に集めることにいたし、
その上にて金長といえる奴の籠もりおる津田山の砦をぶっ潰してくれんとあい心得る。
我が部下を集める間、四、五日はかかる。
どうもそれでは大きに待遠(まちどお)なことであるから、
拙者(それがし)は明後日一応忍んで参ろう。」

八蔵「ハッ有り難きしあわせに存じます、
何分(なにぶん)よろしく願いたてまつります。」

芝右「それでは返事をしたためて遣わすから、暫時(しばらく)待て。」

そこで手早く※祐筆(ゆうひつ)に申しつけまして、
その返書をしたためさせましたることでございます。

芝右「八蔵とやら、大儀(たいぎ)であるが、これに委細はしたためてある。
たぶん明後日はこの方、彼の地へ到着いたすぞ。」

八蔵「ありがとうございます。
しからば私(わたくし)これよりお暇(いとま)をいただきまして、
立ち帰って主君へその由(よし)を申し入れますることでございます。
つきましては念のためでございますから申し上げまするが…」

芝右「アア何じゃ。」

八蔵「エー近頃日開野の奴等でございます、種々様々(しゅしゅさまざま)に姿を変えまして
穴観音の※大手※搦め手を付け狙いまするところから、
まことに城内は用心厳しく、たとえ味方の者にもしろ、穴観音の城内に入る時は
ご覧ください、これでございます。これは大将六右衛門公からいただいてまいりましたが、
この印鑑がございませんと、門の通行は難しいのでございます。
これを尊公(あなた)へお上げ申しておきます。
どうぞおいでの際は、これなる印鑑を門番にお示しの上、ご入城のほどを願いまする。」

芝右「ヤッ万事抜け目なき六右衛門殿、大きに芝右衛門感心いたす。
立ち帰って六右衛門殿によろしく申してくれよ、遠路のところ大儀である。」

八蔵「ありがとうございます。
左様(さよう)なれば私はこれにてお暇(いとま)を頂戴つかまつりまする。」

と、ここで飛田の八蔵は千山芝右衛門の館を飛び出し、浜辺の方へやってまいりますと

○「オイ権右衛門(ごんえもん)や、サアサア風がどうやらこう直ってきたぞ。
今のうちに船を出してしまわぬと、また今晩もこの港に泊まるようなことになる。
それでは大きに困るじゃ。」

△「それじゃあ老爺(おやじ)さん、これから船を出帆(うけ)さっしゃるのか。
どうぞ帰ったら皆さんによろしくいっておいてください。」

船頭は浜辺の茶店の者に何か話をいたしておりましたが、
これも徳島から参った船と見えまして、今この洲本の港を出ようと準備(ようい)に及んでおります。

その混雑に紛れまして八蔵は姿を隠してよい塩梅に船底へ乗り込んでしゃがんでおります。

そのうちにこの船は出帆いたしましたが、
その夜のかれこれモウ※子刻(ここのつ)でもあろうという時分でございました。

船は首尾よく津田浦の浜辺に到着いたしました。

ヤレ嬉しやと陸上(うえ)へ飛び上がりまして
彼の手紙は状箱(じゅうばこ)に納めこれを携えまして、足の達者な飛田の八蔵、
ドシドシ駈け出しましたが、
こいつが穴観音の城内へその夜のうちに持って帰ったら別に間違いはないのでございますが、
とうとうこいつは途中でこの手紙を他に奪われるようなことができました。

それはどうかというと、ちょうどその夜
彼(か)の金長と約束をいたしてその身は密かに姿を変えて乗り出した庚申の新八にございます。

何分白昼は他目(ひとめ)に立ちます、此奴等(こやつら)のことでありますから
夜分はまるで昼のような気持ちがいたし、
マアちょっと旅商人(たびあきうど)というような風体でございまして、
それでちょっといたした※道中差(どうちゅうざし)を手挟(たばさ)み、
足拵(あしごしら)えも厳重にいたして、振り分けの着物を引っ担ぎ遣(や)いて参ったのは、
津田穴観音より少し離れてございますが、彼の八幡の森、
ドシドシ急いで参りますと、路の傍らにちょっといたした一軒の茶店があります。

年齢六十格好の老爺(おやじ)が釜の下をしきりに焚きつけております。

新八はよほど空腹になりましてホッといたしたところから、
これ幸いと茶店へ入りまして

新八「老爺(とっ)さん、御免よ、ヤレヤレくたびれた。
いいところへお前がこうして店を出していてくれるので何より結構。
大変に腹をへらしているが、何ぞ食べる物はないかえ。」

いいながら床机(しょうぎ)の上に腰うち掛けた。

老爺(おやじ)はそれへ出迎えまして

老爺「これはこれは、お客様でございますか。
マアマアお茶を一つお上がりなさいませ。」

人間なら夜中(やちゅう)こんな所に店を開いていそうなことはありませんが、
これら狸仲間の方でございますから、平気なもので新八は茶を飲んで

新八「アーこれは旨(うま)い。老爺(とっ)さん何か食べる物はないかな。」

老爺「そうでございますな、マアこの様な田舎でございますから、
別段これという物はございませんが、
第一は在下(ところ)の名物でございまして
油揚鮓(あぶらげずし)、赤飯(こわめし)、餡餅(あんころ)
のようなものもございます。」

新八「ヤッ結構結構、いずれも皆好物じゃ。
ちょっと油揚鮓を出してくれんか。」

老爺「ハイかしこまりましてございます。」

やがて油揚鮓を其処(そいつ)へ差し出し、茶を汲んで参りました。

新八「ナア老爺(とっ)さん、そこに吊ってある魚は何じゃな。」

老爺「ヘエ、これは蛸(たこ)の足でございます。」

新八「アアそうか。お酒があるかえ。」

老爺「ヘエ、お酒もございます。」

新八「それではその足を下物(さかな)にして一杯飲みたいが、
早幕でちょっと一本燗(つ)けてくれんか。」

老爺「ヤッ、かしこまりましてございます。」

老爺(おやじ)は支度をいたしまして、ようよう出来ましたものと見え、
持ってまいりました。

老爺「サア、お客さん、お召し上がりくださいますよう。」

新八「ヤッこれは大きに結構結構。
腹がへったとして見ると、なかなか歩けるものじゃぁない。
老爺(とっ)さん、お前はいつも此処(これ)に店を出していなさるのか。」

老爺「ヘエヘエ、毎夜この処(ところ)に店を出しておりますのでございます。」

新八「もう何時(なんどき)だな。」

老爺「ハイ、もう※寅刻(ななつ)に間もあるまいと心得ております。
何分(なにぶん)旦那様、私ども狸同士のことでございますから、
夜が明けましたら店を閉(しま)って、昼のうちは穴の中へ這入っております。
夜分はこうやってホンの小遣い取りに儲けさしてもらうのでございます。」

新八「美(い)い酒だな、お前(めえ)の方の酒は。
モウ一本燗(つ)けてくれんか。」

老爺「承知いたしてございます。」

新八「お前はこうやって独身(ひとり)暮らしをしているのか。」

老爺「ハイ、そうでございます。」

新八「なるほど、ヤッ人間なれば今頃夜中の夢で寝ているであろう。
しかし四足の悲しさには、昼間は日光への恐れもあり、夜分こうやって歩かないと我々は道中が出来ぬ。
そこでやはり我々の仲間はこうやって茶店の一つも出していてくれると誠に力になるというもの。
お前方の店がなければ私共はなかなか道中は出来ぬのじゃ。」

老爺「イヤモウその様にお讃(ほ)めくださいますと恐れ入ります。
これも渡世(よわたり)でございまして、こうしてマア茶店を出しておりますのでございます。」

新八「なるほど。どうだえ老爺(とっ)さん、よく売れるかな。」

老爺「ヤアモウ一向あきません。
それもツイこの間までは、この辺は戦争(いくさ)最中でございました。
なかなか店どころの騒ぎではありませなんだ。
大きに私共も困っておりました。」

新八「ムムウ、それはどうもえらいことだったな。
何という狸が戦争(いくさ)をしたのか。但しは人間でもやったのかえ。」

老爺「なかなか旦那、そうじゃぁないのでございます。
この向こうの穴観音の城主六右衛門狸これが大将となりまして甚(えら)い戦争(いくさ)ができました。」

新八「オヤオヤそれはえらいことであったな。そうして敵手(あいて)は誰だえ。」

老爺「ヘエヘエ、その敵手(あいて)と申しますのは、
日開野の金長という、なかなかこれも豪(えら)いお方でございましてな。」

新八「ムムウその金長と六右衛門という大将と戦争(たたかい)、それはどうも甚(えら)い事だった。
あの六右衛門という者は、この四国の総大将なり。
そこでまた敵手(あいて)の金長という者は、無官でこそあれ、よほど能(よ)く出来るということじゃ。」

老爺「左様でございます。何でも昨年から学問の修行に来ておいででございました。
確かに正一位の位階(くらい)は授かることになってございました。
またきっと、それだけの価値(ねうち)のある方でございまする。
それを六右衛門という御大将が、自分の味方につけようとあそばしたのでございます。
それが思うようにいかぬというところから、ついにその戦争(たたかい)となりましたそうでございます。
それがために私等のような藪狸でも、
ちょっと穴の中に潜伏(しゃがん)で居んければならぬようなことが出来ましたので、
まことに困ったことでございます。」

と老爺(おやじ)は水鼻汁(みずばな)を垂らしながら、床机(しょうぎ)の端(はた)に腰を掛けまして、
この新八と話をしておりましたが

老爺「それはそうと旦那様にお尋ねいたしますが、
私は旦那様を最前(さいぜん)から見たようなお顔だと心得ておりますが…」

新八「なるほど、おれもどうやら見たように思うが、どうも思い出せぬ。」

老爺「もしや旦那様は、間違ったら御免を願いますが、
あの庚申の新八様とおっしゃるお方ではございませんか。」

いわれて此方(こなた)はハッと驚いた。

新八「いかにも。おれは庚申の新八だが、そういうお前は誰であったっけな。」

老爺「これはこれは。やっぱり私の思った通り。新八の旦那様でございましたか。
まことにお久しゅうございまする、お見忘れでございますか、
私は一昨年、娘の千鳥を伴(つ)れまして徳島の城下を見物に参り、
かの勢見山から眉山の方へ参りまして、すでに徳島の城下へ出ようといたしまして、
あの金毘羅様のお社のところまで参りますると、
図らず悪狸の雲助のために取り巻かれまして、娘が手込みにされんとするところを、
旦那様にお助けに預かりました、ましてその夜は庚申谷の旦那様の古巣に一晩厄介にあいなりましたる、
私はこの八幡の森に棲息(すまい)をします、権右衛門(ごんえもん)狸と申す者でございまする。」

新八「ホンにそれを聞いて思い出した。
さては老爺(とっ)さん、お前はこの八幡の権右衛門爺さんであったか。
これはどうも久しぶりで面会(あっ)た。」

というところから、この権右衛門という老狸(おやじ)の娘を一つ利用して、
ここに庚申の新八が首尾よく穴観音の城内へ入り込むという一段、
チョッと一息入れまして次回(つぎ)に申し上げます。

※大手…城の正面。また、正門。追手(おうて)。←→搦(から)め手。
※搦(から)め手…城の裏門。
※淡州(おうしゅう)…淡路島。
※五十里…一里(り)が約4kmなので4×50=約200km。
※褥(しとね)…布団。
※回章(かいしょう)… 回状のこと。
※祐筆(ゆうひつ)…文書を書く役目の人。書記。
※子刻(ここのつ)…午前0時前後。
※道中差(どうちゅうざし)…江戸時代、町人などが旅をするときに腰に差した、護身用の短い刀。
※寅刻(ななつ)…早朝4時前後(深夜3時~早朝5時)。

津田浦大決戦 古狸奇談 第九回へ続く

ページのトップへ戻る
inserted by FC2 system