日開野弔合戦 古狸奇談

日開野弔合戦 古狸奇談 第四回

さてこの金磯の祐七狸というのは…

さてこの金磯の祐七狸というのは、
暴れ廻して狸族(りぞく)ばかりではない、
人間にも余程害をなしたものでありますから、
後(のち)に至って金長のために一命(いのち)を棄てるというようなことが出来ました。

何でこの辺にすんでいる野良一という狸が、
斯(か)く迷惑をしている者を助けたかといいますると、
これは一つ慈善を施して、
親から受けた勘当を詫びして、もらいたいという考えでございます。

だいたい、かの金磯の祐七狸の腹心で、
小松島というところに棲息(すまい)をしている稲木(いなき)狸という奴がございます。

こいつはなかなか悪い狸でございまして、
この稲木狸に二頭(ひき)の娘がございまして、
二頭ともマアチョッと人間で申してみましょうなれば、
17、8のなかなか※縹緻(きりょう)の美(よ)い娘でございます。

この二頭とも評判の女狸(めだぬき)でございまして、
余り縹緻(きりょう)の美(よ)いところから、
これへ肩入れをする者が沢山あります。

親の稲木狸はなかなか欲の深い奴でありますから、
彼(か)の二頭の娘狸(むすめ)を利用して
子どものうちから諸芸を仕込みまして、
とりわけ腹鼓(はらつづみ)を打つなどは余程妙を得ております。

よって稲木狸はこの二頭の娘狸(むすめ)を種(たね)にしまして、
諸方の馬鹿狸を引き入れ、
己は料理屋のような業体(ぎょうてい)をして、
娘二頭(むすめふたり)に客を取らせて銭儲けをするという質、
それですから多くの馬鹿狸はこの二頭のために、
この稲木狸のもとへ通うのでございます。

いつしか、この立江寺(たちえでら)の地蔵狸(じぞうだぬき)の子の野良一という奴も、
この娘狸と見そめまして、
親の地蔵狸の貯えておりまする金子(かね)を持ち出して、
この二頭の娘狸に注(つ)ぎこみまする。

地蔵狸はマア人間で言おうなら、なかなかの金満家という質(たち)であります。

そこで親の目を忍んで此奴(こやつ)が金子(かね)を持ち出すという
終(しま)いにはこの事が親に知れますると、
地蔵狸は殊(こと)の外(ほか)に立腹をいたして、
そのような放蕩者(ほうとうもの)は我が手許に置いても益(えき)ないことであるというので、
ついに勘当をしてしまいました。

野良一は夢中になっている折柄(おりから)でございますから、
かえって勘当されたやつを幸いと思い、
稲木狸の方へ終いには入(い)り込んでしまいました。

己は当家の奉公人の如くに働くというようなことにあいなって、
結局(つまり)食客(いそうろう)に置いてもらい、
そこであくまでも娘と夫婦になろうという考えでございました。

ところが親に肖(に)ましてこの女狸は二頭ともなかなか狡猾な奴でございまして、
野良一に金子(かね)のあるところからチヤホヤ言っておりましたが、
今はかえって親に勘当をされたところの身となりまして、
それですから以前とは甚(え)らい違いでございまして
二頭とも言い合わさねども野良一に辛くあたり、
なかなか冷淡に取り扱うのでございますから、
ここに至って野良一も目が覚めました。

アアおれは心得違いをした。
どうもこんなにされると、この宅(うち)に生涯奉公人の如く使われているだけで、
終いにはどんな目に遭わされるかもしれない。
こりゃァ到底望みのないことであると気がついたので、
とうとう野良一はこの稲木狸のもとを飛び出してしまいました。

そこで親のもとへ向けて段々勘当の詫言(わびごと)を願うてみましたが、
なかなか地蔵狸は許してはくれません。

貴様のような心得違いの馬鹿者は、
子として置いても何の役にも立たぬ。
よって他(た)の者を養子にするとも手前は内方(うちら)へは入れない、
※何(ど)うなと勝手にしろという。

野良一も女の許には辛くて居られないから出てしまった、
詫びをしようと思っても親爺(おやじ)の許へ帰ることが出来ない
しようのないところから、今は前非(ぜんぴ)を後悔いたしまして、
金磯の小松原(こまつはら)に棲息(すまい)をして、
何ぞ一つ功(こう)を現して、
それを詫びの種に阿父(おとつ)さんの許へ帰参を叶えてもらおうという考えでございまして
月日を送っておりまするのでございます。

ところが今度橘浦の万助という者が、
祐七狸のために欺されまして、
すでにその身は糞壺(どつぼ)の中(うち)に陥(は)められ、
一命にも拘(かか)わるという酷い目に遭っておりまするところを通りかかって、
百姓に化けて助けてやりました。

そうしておいて、その身はわざわざ立江村(たつえむら)へ戻りまして

野良「誠に阿父(おとつ)さん、今さら後悔をして目が覚めました。
何ぞお詫び種と思いまして、この度斯(か)ような事をいたしました」

というて魚屋を助けて立ち帰って参ったことを話をいたし、

野良「これから以降(のち)は決して不孝なことは致しません。
また人間様に対して悪いことをして誑(ば)かすのどうのということはしません。
なるべく我が同類は素(もと)より人様を見たら助けるように致しますから、
どうぞ勘当をお許しなさってくださいませ」

と、涙に昏(く)れて詫言(わびごと)を致しました。

よって地蔵狸はこの話を聞いて、

マアかりそめにも人間一人の一命(いのち)を助けたというのでございますから
これを一つの功として漸(ようよ)う勘当を許してやるということになりました。

後来(こうらい)のところを誡(いまし)めまして
地蔵狸は彼を手許へ置くことになりました。

それですから生まれ変わったようになりまして、
なかなか神妙に働くのでございます。

ある時のことでございましたが、地蔵狸は忰(せがれ)の野良一を手許に呼びまして

地蔵「野良一、だいたい貴様はとても物にならぬ奴だと思って勘当したことであるが、
この度、百姓の姿となって人間一人を助けたということでありますから、
それを功に勘当を許したのである。
だいたいあの金磯の祐七という奴はなかなか悪い奴だ。
それに従うている、あの稲木狸である、あいつの悪いことは知れている。
二頭(ひき)の娘狸(むすめ)を種に野良者(のらもの)の金子(かね)を集めようとする。
なかなかあの娘が貴様ごときに者に惚れてたまるものか。
あれは全く祐七狸の内妾(めかけ)同様にしている奴だ。
よってこの後(のち)は決して立ち寄ってはならぬぞ。」

野良「イヤ、阿父(おとつ)さん分かりました。
もう懲り懲り(こりごり)いたしました。
これから後(のち)はきっと慎みますることでございまする。」

地蔵「で、貴様を野良一と名を命(つ)けたのも、
この辺の野のうちでは第一番に名を揚げる者にしたいと心得て、
そこで野良一と名を命(つ)けたのであるが甚(え)らい間違い、
ただの野良助となってしまおうとした。
貴様もこれからは仏につかえて慈善を施せ。
私はこの立江の地蔵さんに御奉公をして、心は仏の道に入ったような気になっておる。
今日から手前の名前を、野良一改め、仏助(ぶっすけ)と改名をして、
もっぱら仏につかえるようになれ。」

野良「ありがとうございます。」

そこで野良一は親の異見(いけん)を守りまして、
もっぱら慈善を施すということになったという。

この話を日開野(ひかいの)に居りまする金長が承りまして、
親子ともに感心な者であると思いまして、
そういう良い心がけの者なら、ますます近寄って交際を取り結ぼうと思いましたところから、
わざわざ使いを以て地蔵狸(じぞうだぬき)を手許に招きまして、
大切に待遇(もてな)して以後の交際を申し入れました。

よって地蔵狸は今二代目の金長は年齢(とし)は若いが、
なかなか先代金長の意志を継いで、
総(すべ)てに行き届く感心なものであると思いまするところから、
しきりにこれと立ち交わりまして、この祐七狸の悪事を話をして、
あのような悪い奴は生かしておいては実に狸仲間の禍(わざわい)ばかりでなく、
人間様にとっても甚だ不都合なことばかりする奴、
で取り押さえるということにしたら、どうであろうというので相談をいたしました。

もとより金長もその気でありますから、
どうぞ何かと力になって下され、というので、
こういう礼義を重んずる者どもを集めまして、
厚く交際を結ぶことにあいなっておりますから、
狸族(りぞく)の中(うち)では、
なかなかこの二代目の金長というのは感心な者であると、
皆敬服をしております。

だから南方(なんぽう)は申すまでもなく、多くの狸が寄り集まって来て、
聞けば過日お亡くなりになりました彼の佐古の庚申の新八親方は、
先代の金長様に味方をして穴観音へ入り込み、
魍魎の一巻(もうりょうのいっかん)を首尾好(よ)う取り返して、
それが先代の金長様からお前様の手に伝わって、
貴方が所持していられるとあれば、
狸族一統(りぞくいっとう)の銘々はこの上もない悦ばしいことであります。

この後(のち)はどうぞ四国の総大将ということにお成り下され、
また授官のことも貴方のお鑑識(めがね)に適(かな)いました者に、
それ相当にお授けの程を願いまする、
我々一同、決して異存はございませんから、
貴方の部下について世の中を送ってゆきたいものであります、
何分(なにぶん)よろしくお願い申し上げますると、
多くの狸の勧(すす)めによって、
穴観音の六右衛門の亡き後は、
この者を以て四国の総大将と皆々敬うということにあいなりました。

それでございますから、多くの狸どもに立てられまして、
二代目の金長は今では四国において総大将の位置にあいなったのであります。

ところがここに二代目の金長を向こうに廻して、
抵抗をしようという者が現れてまいりました。

それは何かと申しますると、申すまでもない四国の総大将穴観音六右衛門の一子(し)、
彼の千住太郎(せんじゅたろう)という者であります。

この者は本来なれば四国の総大将を受け継ぐのでございます。

親は何しろ三百年来も生存(ながら)えておりました古狸でございまして、
四国一円の狸を圧(あつ)すべき勢いのあった、その者の一子でございますから、
無論親の跡目は千住太郎が継ぐはずであったのです。

けれども彼は手を睾丸(きんたま)の下へ入れまして、
坐(い)ながらにして親の代を受け継ぐという訳にはまいりません。

もっとも誰しも始めから大将になるという者はございません。

それぞれ修行の功でその位置に至るのでございます。

それでございますから六右衛門狸も我が手許に置いては、
そのままに官位は授けません。

其方(そのほう)もそれだけの修行をして来いというので、
若年(じゃくねん)の折から親の手許を離れるということになりまして、
わざわざこれは讃岐の八島(やしま)へ渡りまして、
この八島寺(やしまでら)というところに一頭(ぴき)の古狸(こり)がございます、
これを八島の八毛狸(はげだぬき)と申しまして、
こいつはなかなか古い者でございます。

この者の部下になって十分変化(へんげ)の術を修行をいたし、
その上で立ち帰ってまいれば大将の位置を授けてやろうというので、
修行のために出(いだ)したのでございます。

そこで彼はまず人間で言おうなれば、チョッと17、8歳という頃おい、
館(やかた)に居(お)りますれば若様で結構な身の上、
多くの狸族(りぞく)に侍(かしず)かれ敬われるのでございます。

その身は誰一頭(ぴき)旅の支度に及びまして、
すみ馴れましたる穴観音を後にして、
わざわざ讃岐の八島に来たって、八島寺の八毛狸(はげだぬき)の許を訪(と)い

太郎「わたくしは穴観音の六右衛門の伜(せがれ)でございます。
何分(なにぶん)、未だ若輩者でございまして、何事も事を弁(わきま)えません者、
親爺(おやじ)に修行をいたして来いといわれまして参りました。
どうか貴方の門下にお差し加え下しおかれまするよう。」

と、頼み込んだのであります。

そこで八毛狸におきましても、大きに感心をいたして、

八毛「なるほど、六右衛門なればこそ、自分の伜をわざわざ他(た)へ出(いだ)して、
修行をさせるというのは感心なこと。
それでなくては親の跡を継いでゆくことは出来ない。
よしよし、及ばずながら私の手許へ置いて仕込んであげてもよい。」

ち、快く引き受けてくれました。

だいたい八島寺の八毛狸というのは、
彼(か)の源平の戦いのあった時分から生きておりまする者でございまして、
その時分のことを弁(わきま)えているという奴でございますから、
六右衛門狸から見ると、尚(ま)だ古いのでございます。

だから四国の総大将といたしても決して恥ずかしくはない狸でございます。

だが、あまり此奴(こいつ)は狸党(りとう)仲間とは交わりをいたしませぬ。

ただ、この八島寺に居るだけであって、その身は仏の道に入りまして、
何でも彼(か)でも仏道の修行をいたしたいというのが望みで、
だいたいこの讃岐の国では
この辺は往昔(そのむかし)は源平の戦いのありました地で、
八島寺などは古戦場の一ツでございます。

この寺は申すまでもない人皇(にんのう)五十二代平城天皇の御宇(ぎょう)にあたりまして、
大銅元年に彼(か)の空海上人が唐土(もろこし)から帰朝をいたされまして、
その時真言秘密の法を学びまして、
白檀の木を以(も)ちまして造りましたる千手観音の尊像を安置いたして、
この寺を建立されたのでございますので、
四国ではなかなか有名な霊場の一つでございます。

その寺に棲息(すまい)をして数百年来居りました八毛狸、
門前の小僧、習わぬ経を読むというのはこのことでございまするか、
有難いお経が脳髄に染み込みましたのであるから、
決して其の身は世間にあって尊むところの官位の争いなどをしない、
また金銭などに目を昏(く)れての所為(わざ)は皆目(かいもく)いたしません。

ただ仏門に入って、狸とはいえど謂わば長袖でございます。

世事(せじ)向きのことは一向頓着(とんじゃく)をいたしません。

しかし狸一通りのことは弁(わきま)えておるのでございます。

それで眷族(けんぞく)も自ずと沢山あります、
というのは、四国から集まってまいりましたら
この者に就(つ)いて修行するのでありますから、
その門下は数千頭もあろうというのであります。

もっとも棲息(すまい)をしてゆく穴を掘りまして、
ここに修行中の者をすまわせるのでございます。

千住太郎、その門下の中(うち)へ加わって、
一心に修行をいたしておりましたのでございます。

六右衛門から見るとズッと位階(くらい)は上の方でございまするが、
ところで今度日開野金長が穴観音の六右衛門と戦いをいたしておりますることを聞き及びました時は、
自分は非常に驚いて、定めて千住太郎もこのことを聞いたら大きに驚き、
国許へ帰りたいというでもあろうと思い、
彼には何の話もせず、
ことに当春(とうはる)以来千住太郎は病気にかかりまして寝込んでしまっておるから、
何の事も話をしません。

また誰からも言ってくれませんから、
千住太郎は古郷ににそのような騒動が出来ておるということはチョッとも知らない、
然(しか)るにある時、父の許(もと)から手紙が来ましたので、
これを見せぬという訳にはなりませんから、
千住太郎の側へ持って参って見せました。

ひらいて見ると、親の六右衛門は日開野金長と意見あわずして、
ここに合戦を始めるという、
それに就(つ)いも其方(そのほう)も穴観音へ立ち戻ってまいれ
という文意でございます。

これを見て驚いた千住の太郎は

太郎「お師匠様、親共の許からえらい手紙が参りました。
病気本復の時は私はどうでも帰るのでございまするけれども、
何がさて斯(か)ような病気のこと、
どうしたら宜(よろ)しゅうございましょう。」

と、余程心配の体(てい)でございますから

八毛「イヤイヤ、人の噂というものはツイ大仰に言うものである。
決して心配をするな。
わしもこの寺へ参詣する方々から噂を聞いておることであるが、
マアゆっくりと精神を休めて養生するがよかろう。」

と、なだめるようにして、もっぱら養生にとりかからせました。

そのうちについに穴観音の六右衛門は、日開野金長のために一命を棄てるということになりました。

それですから津田方は八方に散乱して、
今は阿波地方にあっては南方(みなみがた)日開野の森に棲息(すまい)をいたす金長狸は、
なかなか時を得て非常な勢いであるという噂でございます。

しかるにその年(とし)の暮れに一人の飛脚体(ひきゃくてい)の者がやって来まして

○「私は阿波から参りました者で、当館(とうやかた)に修行をいたしておりまする
千住太郎様にお目通りを願いまする」

と、斯(か)ように申し込んだのであります。

何者かと聞いてみると、穴観音に棲息(すまい)をいたしましたる六右衛門の眷族(けんぞく)で、
飛田(とんだ)の八蔵という者でございまするとのこと、
そこでこれを会わさぬという訳にはなりませんから、
実のところは千住太郎はこの節(せつ)病気であって臥(ね)ておるから、
病室へ行って会うが可(よ)いが、余り長く話をしては宜(よ)くないとの事

八蔵「ヘエ、有難うございます」

そこで取次(とりつ)ぎの者の案内に連れまして、
飛田の八蔵は千住太郎の寝ている居室(いま)へやって参りまして、
見ると布団を被って痩せ衰えて真っ青なる顔をいたしております。

八蔵「若様、ご病気はいかがでございます。
飛田の八蔵でございます。お目覚めを願いまする。」

と呼び起こしました。

ふと目を覚まして千住太郎は飛び起きまして

太郎「オオ、誰かと思えば其方(そち)は八蔵、アア懐かしいことである。
昨日今日のように心得ておったが、最早(もはや)国許(くにもと)を出てからちょうど足かけ三年、
噂を聞いたら昨年から国許はどうやら穏やかならぬことで、
戦いが始まったということであるが、して館(やかた)は皆々ご無事か。
お父上はいかがである。
乃公(おれ)はこの通りの病気でどうも国許へ帰ることが出来ない。
早く容子(ようす)を聞かしてくれい八蔵。」

といわれて、飛田の八蔵はホロホロ涙にくれながら

八蔵「アア若様、さては貴様(あなた)は何事も御存知はありませんか。
親殿様(おやとのさま)にお会わせ申さんとわざわざ参りましたこの八蔵、
このたびは私一人ではございません。
六右衛門公をお伴(ともな)い申しましてございまする。」

太郎「エエッ、さては父上にはこの国へわざわざお越し下しおかれたか。
それはそれは、して何処(どこ)においであそばす。」

八蔵「アイヤ、そのようにお騒ぎあそばすな。」

風呂敷包みを開いて行李(こうり)の中より取りだしたるのは白木の位牌、
千住太郎の前へ差し出しました。

そこで千住太郎はこれをうち眺め

太郎「オヤ、これは何だ、八蔵。」

八蔵「これは親殿六右衛門様でございます。」

太郎「ナニッ、これが父上、さては最早お果てにあい成ったか。」

と千住太郎の驚きは一方(ひとかた)ならず、
ここにおいて飛田の八蔵は涙にくれまして、
このたび津田の城内の水門口より乗り入られ、
ついに不意に戦いが起こり、
父上にはお討死をあそばしたというその軍(いくさ)の次第を
前回に演(の)べおきましたる通り、詳しく八蔵より申しいれました。

これを聞いたる千住太郎は、無念の拳(こぶし)を握って、バリバリ歯咬み鳴らし

太郎「我、病気でなくば早速国許(くにもと)へ立ち帰って、
父上の傍に在(あ)って穴観音の城を守り、
やはか父上にそのような御最後はさせなかったものを、
さてさて残念なこととあいなった、
して、その後はどうなったか。」

との尋ねに、八蔵は

八蔵「イヤもう城内の者は散々離々(ちりぢりばらばら)になりまして、
大将撃たれて従卒(じゅうそつ)全(まった)からずの例(なら)い、
皆々長年大恩をこうむっておりましたその大恩を忘却して、
中には敵に下るという卑怯未練な奴もございまして、
かの大切なる魍魎(もうりょう)の一巻(かん)も
日開野(ひかいの)方(がた)の手に奪(と)られてしまいました。
そこでこの節の日開野方の勢いは朝日の昇るが如くでございます。
だが若様、敵の大将金長といえる奴は戦い済んで後三日目、
父君の斬りつけなさった刀傷のために、この世を去りましたことでございます。」

太郎「ナニッ、父上を撃ったる金長はこの世を去ったとな。」

八蔵「されば、戦いの時に余程彼は負傷をいたしまして、
お父君のために数ヶ所の手疵(てきず)をこうむって、
ついにその疵口のために養生(ようじょう)叶わず、
日開野鎮守の森に引き上げまするなり彼はあい果てましたそうで、
けれども軍(いくさ)に勝っておりまするところから、
ここに二代目の金長といたして、
彼(か)の藤樹寺(ふじのきじ)の鷹の一子小鷹狸が今はその後を継ぎまして、
これへ田の浦太左衛門が後見をいたして、非常な勢いでございます。
それにつきましても親殿様は地下に在って、さぞご無念に思し召していらっしゃるでしょう。
つきましては八方に離散をいたした我が部下を集めて逆(さか)寄せをあそばしたなれば、
今では穴の隅に引っ込んでおりまする者も、皆立ち出でて加勢をするでございましょう。
この上からは貴方様には一刻(とき)も早く穴観音へお引き取りあって
旗挙げをあそばせ。
たとい何方(いずれ)へ逃げのびていようとも、
貴方が六右衛門様のお胤(たね)ということは誰知らぬ者もございません。
旗挙げをあそばすことになりますれば、
これまで穴観音の親御様に大恩をこうむったる多くの狸族(りぞく)、
招かずして集まって参りお味方をいたすは必定(ひつじょう)、
さある時はそれらの同勢をまとめまして、日開野鎮守の森へ乗り出して、
二代目金長の首級(くび)を上げ、
而(しこう)して後貴方が四国の総大将をお成りあそばしてくださいませ。
この八蔵は残念でたまりません、ご推察を願いまする。」

と、涙にくれての物語り

太郎「ムムウ、さてはお父上はそのように早くお討死になろうとは気がつかなんだ。
しからば一刻(とき)も早く本国へ引き上げて味方の残党を召(か)り集め、
父の弔(とむら)い合戦をいたすであろう。」

と、勇みたったる千住太郎、八蔵は大きに悦びまして

八蔵「さようなれば若様、これよりお供を仕(つかまつ)りましょう。」

と、ここで忽(たちま)ち相談が成り立ちますると

太郎「少時(しばらく)八蔵これに待っておれッ、
おれはお師匠様にお暇(いとま)を願って来るから」

というので、早速病室を離れまして、
これから八毛狸(はげだぬき)の側へやって参りました。

太郎「さてお師匠様、改めまして千住太郎がお願いがございまする。」

と、頭(かしら)を下げて何事か頼み出(い)でんという容子(ようす)。

さては、と胸中に察しました八毛狸は

八毛「オオ太郎、どうじゃ病気は」

太郎「ヘイ、エエお蔭で漸(ようよ)う本復(ほんぷく)をいたしました。」

八毛「何をそわぞわいたしておる。
口ではそのように申しておっても、
其方(そのほう)のその姿を見るとまだまだ全快という訳にはまいらぬ。
無理なことをして、またはね返ってはならぬ。」

太郎「ハイ、仰せではございまするがもう病気は全然(すっかり)癒(なお)りましてございます。
つきましてはお師匠様、
今度国許(くに)から家来が参りまして親共の容子を詳しく話をしてくれました。
それにつきまして今(いま)両三年もお師匠様のお世話になりたいと思うておりましたが、
どうもこの度の事情を聞きますると沈(じっ)としてはおられません。
誠に勝手なことを願ってあいすみませんが、
お師匠様、どうぞ私(わたくし)にお暇(いとま)を下しおかれまするよう
お願い申し上げまする。」

八毛「ムムウ、さては其方は永(なが)の暇(いとま)をくれいというのか。」

太郎「ハイ。」

八毛「太郎、其方(そち)は六右衛門の戦死を聞いたか。」

と言われた時は、千住太郎は両眼(りょうがん)に涙を浮かめ歯を咬(く)いしばって

太郎「お師匠様、ご推察の程を願い奉りまする。
子たる者の道として親の撃たれて安閑と、ここに沈(じっ)としていられましょうや。
たとい敵(かな)わぬまでも、今より穴観音へ引き取りまして、
残党を召(か)り集め、日開野二代目金長といえる奴の生首を引っ提げませんければ、
父上に対して孝道(こうどう)が立ちません。
弔合戦をいたしたいのでありますから
お師匠様、どうぞこの段、お察し下さいましてお暇のほどを願います。」

と、思い込んでの願いでございます。

八毛「ムムウ、有理(もっとも)な次第である。
それほどまでに親の撃たれたのを無念に思うならば、
弔い合戦をするのも可(よ)い。
だが太郎、必ず早まったことをいたすな。
其方(そのほう)は智もあれば勇もあるなれども、
其方(そち)は一徹短慮である。
我々も薄々噂を聞いておるが、二代目金長といえる者は藤樹寺の鷹の一子(し)にして、
なかなか彼は多くの狸党(りとう)の上(かみ)に立ち、
決して悪事をなさぬという器量のある者であるから、
かえって其方(そち)が不覚を取るようなことになれば、
其方(そのほう)ばかりの恥辱ではない、師の名義にも拘(かか)わるから、
余程心をして戦わなければならぬぞ。」

太郎「有難うございます。
私はその辺のところは考えております。
国許へ立ち帰りましたら第一番に伯父(おじ)の許に参りまして、
伯父上の意見を篤(とく)と聞いたる上、
旗挙げをしようという考えでございます。」

八毛「ムムウ、其方(そち)の伯父とあれば川島葭右衛門(よしえもん)であるか。」

太郎「仰せの通りでございます。」

八毛「然(しか)らば許してやるから一刻も早く出立をいたせッ。
だがくれぐれも短慮(たんりょ)功(こう)をなさずということがあるから、
よくよくそれらのところを慎めよ。」

と、万事心を添えましたることでございます。

ここにおいて八島の寺を後になし、彼(か)の飛田(とんだ)の八蔵を従え、
千住太郎は国許へ引き上げて参り、
川島葭右衛門という自分の伯父を軍師と頼み、
いよいよ弔い合戦の旗挙げをしようというお話は、
これからでございまするが、チョッと一息。

※縹緻(きりょう)…容貌。顔立ち。みめ。
※何(ど)うなと…「どうなろうと」か。

日開野弔合戦 古狸奇談 第五回へ続く

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