日開野弔合戦 古狸奇談

日開野弔合戦 古狸奇談 第一回

エエ本日より伺いまするは…

エエ本日より伺いまするは、お待ちかねの狸合戦の第三編にございまして、
今回は日開野金長がいよいよ強敵津田浦穴観音の六右衛門狸を討取り、
大勝利を得るというお話に引き移るのでございます。

第二編の終わりには、南方の大将金長をはじめとして味方の狸族、
津田山の小鹿の子(こがのこ)の砦に本陣をかまえまして、
敵城穴観音へは、かの庚申の新八をもって、※間者(かんじゃ)の役を勤めさせ、
そこで新八は大胆にも※下郎(げろう)と姿を変え乗り込まんとするおりから、
かの八幡の森に住居をする権右衛門(ごんえもん)という老狸(ろうり)に会い、
彼の娘の千鳥の兄『猿三(さるぞう)』とあい成って、
穴観音の城内へ入らんといたしたるところ、
かの門番、八丈(じょう)赤右衛門(あかえもん)は、なかなか容易に門を通しません、
というのは、規律が正しい、大将の命令によって、
たとえ臣下なりとも※門鑑(もんかん)なくては通行が出来ぬのであります。

それですからこれを咎(とが)めたのでございます。

ところを愛妾(あいしょう)千鳥なる者が様々に弁舌をふるって、
ついに八丈方の番人を威(おど)かしつけて、
無事に通り抜けましたところまで、ご披露いたしおきました。

さて後を見送って八丈赤右衛門は如何(いか)にも残念に思いましたものの、
なにぶん愛妾の勢いであるから仕方がない。

赤右「こりゃァ可内(べくない)、チョッと来い。」

可内「ハイ、御用でございまするか。」

赤右「今通ったあの三頭(びき)、
どうも千鳥どのに兄があるということは、今はじめて聞いたのである。
なんだか怪しい面魂(つらだましい)の奴、
よって汝(なんじ)に申しつけるから後をつけて行けッ。」

可内「ハイ、それでは彼奴(やつ)の挙動を探ってみましょう。
ことによったら敵の※間者かも知れませぬから。」

赤右「すこしでも怪しいところがあったら、おれの方へすぐに注進をしろ。」

可内「心得ました。」

というので、一ぴきの番卒は後から見え隠れについて行く。

千鳥は首尾よく門を通り抜けまして、腰元を伴い二の丸も無事に通りまして、
本丸の玄関へかかりますると、背後(うしろ)を振りかえって新八にむかい

千鳥「兄(あに)さん。」

新八「なんだ千鳥。」

千鳥「お前はどうかここでしばらく待っていてください。」

新八「それぢゃァマアてめえ早く行って殿様へ願ってくれい。」

千鳥「かしこまりました。」

と、その身は腰元を伴いまして、奥室(おく)へ入ってしまいました。

後は、ひっそりといたしたる本丸の玄関先、
怪(あや)しな眼(まなこ)をいたしまして
ギョロギョロと四辺(あたり)界隈(かいわい)をうち眺めた庚申の新八、
何しろ大胆な奴でございますから、
誰も居ないところから考えました。

「ムムウ、さすがは当城の大将六右衛門の立て籠もるだけあって、
聞きしにまさる要害堅固なかまえである。」

彼方此方(あなたこなた)に眼(まなこ)を配って
容子(ようす)をうかがっております。

こちらは千鳥でありまするが、ようやく奥室(おく)へ通りましたる事でございまして、
六右衛門へ取次をもって、この事を申し入れました。

待ち構えておりましたる六右衛門は、
この愛妾にかかっては目はないのでございますから、
早々(そうそう)千鳥をこれへ
との事でございます。

そこで千鳥は六右衛門の居室(いま)へやって参りました。

にっこり笑って、それへ両手をつかえ

千鳥「これは御前様(ごぜんさま)、まことに遅くなりましてございます。
ただ今ようやく立ち帰りましてございます。」

六右「オオ千鳥、よく帰ってくれた。
予(よ)は其方(そち)の帰りを非常に待ちかねておった。
どうぢゃ、親爺(おやじ)の病気は少しは快(よ)いか。」

千鳥「ところが御前様に申し上げます。
まことに親爺は快くないのでございまして
余程この度は難しいのでございます。」

六右「なんだ、難しい、それは可(い)かぬな。
そうして其方(そち)はどうして帰った。」

千鳥「それでございますから、親の手許で介抱をいたしておりましたのでございます。
ところがまだ御前様には申してはございませんが、
アノわたくしに一人の兄があるのでございまして」

六右「なんと申す、其方(そのほう)に兄がある」

千鳥「ハイ、兄(あに)さんは大変な放蕩(ほうとう)でございまして、
二、三年前に親爺の物を持ち出して、宅を飛び出してしまいましたのでございます。
親爺は非常に怒りまして、あのような者は子ではないといって、
それから寄せつけぬようにいたしておりました。
また兄もその後はどこへ行ったことか、皆目(かいもく)音信(たより)をしなかったのでございます。」

六右「なるほど。」

千鳥「ところがこの度、その兄が戻ってまいりまして
近所の者をもって、しきりに
これまでは心得違いをしたから
といって、詫言(わびごと)をいたしますのでございます。
親爺は病気なものでございますから、まことに懐かしく思いまして、
早速勘当(かんどう)を許し、親の手許で介抱をさせたのでございます。
わたくしも久々で兄に面会をいたし、
兄さんと両人(ふたり)でおとっさんの枕もとについて、
いろいろと介抱をいたしおりました。」

六右「それは何より結構なことである。
真(しん)は泣き寄りとかいって、
平日(あいだ)は兎も角も、そういう病気危篤とあい成った時には、
兄妹が枕もとで揃って介抱をしてやったらば、親父も満足に思うであろう。」

千鳥「ハイ、たいそうおとっさんは悦びました。
どうもこの度はいくらおれは強情ばっても、年齢(とし)が年齢(とし)であるから
もうとても今度は養生はおぼつかないと思う。
死ぬる一命(いのち)は決して厭(いと)いはせぬ。
だが、なるべくなればお前たちに死水(しにみず)を取ってもらいたいと、
旦夕(あけくれ)この事を思っておったが、
久々にて兄も帰ってくれて何より※重畳(ちょうじょう)
どうか我の側を離れず介抱してください
という、
そこで両人(ふたり)はいろいろと力をつけまして、
そんなえんぎの悪いことをお言いなさるものではない、
めったにおとっさん死ぬる気遣いはありません
と言いまして、力をつけましても、
どうも年寄りという者は愚に返りやすいものですから、
なんでもお前方は私の枕もとを離れてはならぬ
と、こんなに申しまするので、
今朝も医者が参りまして、余程難しいように申しておりました。
兄もつくづくと考えましたが、
どうもおとっさんはこの容子では、たとえ全快をしたところが、
五日や十日では我々兄妹が枕もとを離れるわけにはゆくまい、
ついてはお前はチョッとと行って御前様からお暇(いとま)をいただいて、
御城内から立ち帰ったのであるから、
定めて御前様もお前の帰りを待っていらっしゃるであろう、
いっそのこと、この事をば御城内に申し上げて
でマア親爺の側に両人(ふたり)がついていて介抱をしたらどうであろう、
先の知れたものであるから
と、斯様(かよう)に兄が申しまするし、わたくしも考えてみますると、
どうにも万一(もしも)の事がありましたらと思い、
実は老狸(としより)のこと、望みを叶えてやりません時には、
後で心残りでございます、
こう考えましたので、
それぢゃァチョッと兄さん、お前一緒に来て下さい、
わたくしから御前様にお縋(すが)り申して
親爺の病気の次第を申し上げるから、
都合によったら、お前からも一つお願い申し上げてください、
なるべくなれば兄妹揃って枕もとで介抱をしようと、相談をいたしました。
幸い今日(こんにち)は服薬の後はスヤスヤ父は寝入りましたから、
隣家の者を頼んでおきまして、それで兄を伴い立ち帰りましたような事でございます。
御前様、左様(さよう)な事情(わけ)でございますから、
どうかお願いでございます、
親爺の片づきまするまでの間、
せめてここ半月ばかりお暇(いとま)を頂くというわけにはまいりますまいか。」

と、さも言いにくそうに千鳥は六右衛門にむかって、
この事を申し出(い)でました。

大将六右衛門はこれを承って、しばらく考えておりましたが

六右「それは困ったな、それでは何か、予の申しつけたる通り権右衛門に話したか。」

千鳥「ハイ、それは申すまでもございません。
この度殿様から結構なお手当を下さいまして、
それで親父のもとへ参って病気の容体を見て、いよいよ長引くというような事なら、
今のうちにその手当をせんければならぬから、親爺を城内へつれて来い、
さすれば召し抱えの医者に申しつけ手当をしてやるから
と、こんなに御前様が親切におっしゃってくださるからと、
だんだん親爺に勧めましたのでございます。
このような不自由たらしいところに居ないでも、
御城内へ参ったら結構なお手医者もいらっしゃるし、
またそのお手当も十分に行き届かせていただけるから、
なんとおとっさんそうしたらどうですと
わたくしは申しました。
ところが年寄りというものは、どうも愚痴なものでございまして、
イヤイヤ、お前は御城内が結構のように思うけれども、
おれのような百姓はどうもその御城内というようなところは、かえって窮屈でならない。
住めば都といって、この津田山の麓の八幡の森、斯(か)ような淋しいところでも
おれは長らく棲息(すまい)をしておるから、
なるべくはこの古巣で一命を終わりたい
と斯(か)ように申して、どうしても御城内へ参ろうとは言わぬのでございます。
それで我々兄妹も困りまして、で兄を伴いお願いに出でましたようなわけでございます。」

六右「ムムウ、して其方(そち)の兄というのは何者か」

千鳥「エエもうこれはしょうのない無頼漢でございます。
今は別にこれという商売も何もいたしてはおりません。
猿三(さるぞう)と申す者でございまして」

六右「なんだ、猿三、それが手前(てまえ)の兄か。」

千鳥「ハイ」

六右「して今日(こんにち)其者(そのもの)を同道して参ったので」

千鳥「左様でございます。」

六右「よく※門鑑がなくって通行が出来たな。」

千鳥「左様でございます。
先ほども内方(うちら)から八丈様が通さぬとおっしゃったのを、
決して怪しい者ではございません、わたくしの真実の兄でございます、
殿様へお願い申し上げたい事があって、兄と同道して参ったのです、
再び古巣へ立ち帰ろうと思いますからと、
マアだんだん事情(わけ)を申して通していただきました。」

六右「して猿三という者はどうした。」

千鳥「アノ、お玄関先に待たしておきました。」

六右「ムムウ然(しか)らば庭前(ていぜん)へまわせッ。おれが一遍会ってやる。」

千鳥「ありがとうございまする。」

と、そこで千鳥はこの事をば腰元をもって早速猿三に知らせました。

やがて玄関へ出てまいった腰元は

「サァどうぞこちらへ、御案内をいたしますから。」

というので、やがて奥庭先の切戸を開けまして案内に及びました。

猿三となって入り込んでおりました新八は、四辺(あたり)に眼(まなこ)を配りまして
その庭先へ入ってまいりました。

座敷の正面のところには、近習あるいは腰元共が伺候(しこう)をいたしおりまする、
それへ控えたるは確かに当城内の大将六右衛門と見なしましたから、
ギョロリと両眼を光らせ、すこしも油断のないところの面魂(つらだましい)。

千鳥「アノ、これにおいであそばすのは殿様であるから、
チョッとお前、挨拶をしておくれ。」

猿三「ヘイ、これは殿様でございまするか、
お初(はつ)にお目通り仕(つかまつ)りまする。
わたくしは猿三と申しまして、それなる千鳥の兄でございます。
イヤもう、つまらぬ無頼漢(やくざもの)でございますが、
以後はどうか殿様、お見知りおかれまするようお願い申し上げまする。」

六右「ムムウ、面(おもて)を上げい。」

猿三「ヘイ」

彼が面(おもて)をつくづく眺めましたる六右衛門におきましては

六右「ムムウ……」

と、何か心に頷(うなず)きながら、しばらくの間考えておりましたが

六右「して、其方(そのほう)は千鳥の兄と申すか。」

猿三「ヘイ、そうでございます。」

六右「何用あって参った。」

猿三「エエ、※定めて殿様にはお聞きおよびでございましょうが、
わたくしは親の※雪隠(せっちん)で糞(くそ)をたれるのは嫌いという性分の、
生まれついての無精者でございまして、
何がさて酒と賭博(ばくち)に身を持ち崩して、
もう三年以前、ツイ親爺が棲息(すま)っておりました八幡の古巣を飛び出しました時、
少々親爺のためておりました臍繰(へそく)りを持ち出したのでございまするが、
あるうちは宜(よ)うございます、
讃岐地方へ乗り込んでまいりまして、彼方此方(あなたこなた)と飛び歩いているうちに、
持ったる物はなくなってしまい、身のおきどころもなくなって来たのですから、
今度はマア親爺にすがって、都合がよかったら、また持ち出してやろうという考えで、
ヘイようやくこの度久々で帰って来ましたようなことで、
ところが案外にも親爺が病気でございまして、
そこで妹は聞けばこの御城内の殿様の御寵愛(ごちょうあい)を蒙(こうむ)って、
結構なお手当を頂いているという事が分りました。
それで親爺の暮し向きには差し支えぬということでありますから、
わたくしは大きに安心をいたしましたものの、
さて親爺はもう愚痴をこぼしまして、今までのわたくしの放蕩を様々に異見をした後、
どうか兄妹枕もとに揃って、貴様達に死水(しにみず)を取ってもらったら、
もうそれでおれもこの世に心残りはないで、
なき後は兄妹の者はなかよく暮らしてくれい、といわれてみると
わたくしのような乱暴者でもツイそこは親子の情愛で、
エエこんな事ならもっと早く帰って、親爺に美味い物の一つも食わしてやったものをと、
愚痴をこぼしたところが役に立ちませんから、
よろしい、おとっさん安心しなさい、
ぢゃァマア城内へ乗り込んで行って、殿様へお願い申して、
お前(めえ)の枕もとで兄妹が揃って介抱をしようと、
こういったような訳でございます。
そこで今朝(こんちょう)はスヤスヤ寝入っておりまするものですから、
その間にも思いまして、千鳥を送りかたがた、
勝手知らざるこの御城内へ上がったようなわけでございます。
殿様、なにぶん先の知れた親爺、長引いたらぶち殺してもかまいません。
どうか半月ばかり千鳥に暇(いとま)をやってくださいませんか。
その事をお願い申そうと思いまして、出かけて参ったような訳合でございます。」

口軽く陳(の)べてはおりまするものの、何となく一癖あるべく面魂、
さては我が推量には違(たが)わぬわいと、此方(こなた)は当城の大将、
すこしもこれを眼(がん)づいたような容子は見せません。

六右「猿三とやら、それは甚(はなは)だ困ったことである。
其方(そち)は立ち帰って僅(わず)かなことであるから、
権右衛門、大方そのような無理を言うのであろう。
よって、真実(まこと)難しいようなら、当城内へ引き取ったら、手医者もあり、
それぞれ十分の手当をしてとらせる。
千鳥を手前に渡して、長く帰しておくのは、甚だ不都合である。
だから久しぶりで帰ったということなら、
手前が側に居て介抱をいたしたらどうだ。」

猿三「ヘイ、ぢゃァなんでございまするか、
どうしても妹をお帰しくださることは出来ぬのでございまするか。」

六右「何もそれほどの事でもあるまい。
だから余程悪くなれば病人を城内へつれて来いと申しておるではないか。」

猿三「左様ですね。
そりゃァマア何もそんなに大仰(おおぎょう)にしなくってもいいのでございまするものの、
年齢(とし)をとっておりますからね、
ツイあの通り愚痴をこぼすのです。
なア千鳥、どうしたものであろう、親爺があの通り愚痴をこぼしてみりゃァ、
親爺の言い條を立ってやらねばならぬと思って、ここまでやって来たものの、
事情(わけ)を聞いてみれば無理もなしと、
いっておれが一人枕もとに居て介抱するのもなんとやら、
アアなんぞ、いい工夫はあるまいか知らぬ。」

と、心配顔をしておりまするところへ、
取次の小狸がそのところへ罷(まか)り出でまして

小狸「申し上げます」

六右「アア何ぢゃ」

小狸「ただ今一頭(ぴき)の怪しげなるところを老婆でございます。
門前へ参りまして、是非御愛妾の千鳥さまにお目通りを願いたいと申し入れました。
赤右衛門様は、決して城内へ入れることはならぬ、
用があるなら此方(このほう)が取り次いでやると申しましたら
それではこの手紙を千鳥様にお渡し下さいまするようとのことでございます。」

と、一通の手紙ようのものを差し出しました。

六右「コリャ、千鳥、其方(そち)の親許(おやもと)から何か火急の書面が参ったぞ。」

千鳥「オヤ、そうでございますか。」

と、早速受け取りまして、千鳥は読んでおりました。

千鳥「オヤマア兄(あに)さん、チョッとこれを読んでください。」

縁側へ差し出しました。
猿三は進み寄ってこれを眺めて

猿三「イナこれは結構だ。ねえ千鳥。こりゃァとっさんの手ぢゃァないか。」

千鳥「そうだよ、
おれが寝ているうちに両狸(ふたり)の者の行方が知れない、
それで近所の看病してくれている者から聞いてみると、御城内へ行ったとのこと、
けれどもそんなに大騒ぎをしないでも、さっきの薬が大変によく験(き)いて、
余程今日(こんにち)は楽になった。マアこの容子ならば当分死ぬる気遣いはない
と記してございまするが、
本当にマア人間てえものは、
悪くなるのも早いが、また快(よ)くなるのもこんなに早く癒(なお)るものでしょうか。」

 

猿三「サア悪くなったというのなら心配だが、快(よ)くなったというのだからマア安心だ。
エエ殿様、チョッとこれを御覧を願いまする。」

六右衛門は手に取ってみると、
両人(ふたり)が城内へ参ったその後で、親爺は非常に気持ちが快(よ)くなった
という事が記してあります。

六右「アアこれなれば別段千鳥を帰さぬでもよかろう。」

猿三「ヘイ、そりゃァ親爺さえ承知をしておりますれば」

六右「この通り、承知をしておるではないか。
ぢゃァ斯(か)ようにいたせ、千鳥は我が手許に留め置くから、
其方(そち)は久々で古郷(こきょう)へ帰ったのであるから、
親爺の側で十分介抱をしてやれッ。」

猿三「ヘイ、こりゃァどうも有り難うございます。
しかし困ったな、これが他のこととは違いまして親子の間柄、
是非とも介抱をしなくっちゃァならないは決まったことですが、
薬臭い側でぼんやりとして介抱しておるのも甚だ下さらないので、
アア五月蠅(うるさ)い親爺だな、
いっそのことと生きておる先は知れているからといって、
早くくたばって貯えている金子(きんす)をば、おれにくれると洒落ているんだが
アアそうもならず、ハテ困ったことだなァ。」

六右衛門はこの体(てい)を眺めてにっこり

六右「此奴(こやつ)小気味のよい奴である。
ぢゃァ何か、其方(そのほう)は親爺の側で介抱をするというのは辛いのか。」

猿三「辛いというわけではありませんがね。
これが大勢が酒でも飲んでいるところへ行って共に付き合うとか、
賭博(ばくち)の一つも打っているところへ仲間入りをしないかというようなことなら、
ずいぶん楽しんで飛び込みもされまするが、
どうも病人の枕もとで介抱ときては困りますわ。」

六右「それほど其方(そち)が思うなら、
其方もこの城内へ足を留めて、予に仕えるという了簡(りょうけん)はないか。」

猿三「なんとおっしゃる、
それぢゃァわたくしを召し抱えてやると仰(おっしゃ)ってくださいまするか、
それは有り難うございます、わたくしはそれは大好きでございます。」

六右「して其方(そのほう)は腕に覚えはあるか。」

猿三「なんです、腕に覚えとは」

六右「剣術はどうぢゃ」

猿三「剣術、そんな難しいことは知らぬが、
※馬丁(べっとう)をしばらく勤めまして、少し馬を扱ったことがございます。
剣術も何も知らない、その代わり喧嘩ときちゃァ生意気なことを申し上げるようですが、
どんな奴でもはり倒してやる、ずいぶんこれには手が早い方ですから。」

六右「面白い奴だ。
馬の心得があるというのなら、この城内に留まっておれッ、
馬丁の役を申しつけるぞ。」

猿三「それはどうも有り難うございます、
ヘイなにぶんどうか殿様よろしうお願い申します。」

六右「ムム、親爺の権右衛門の方へ、その由(よし)を申してやるがよい。」

ここで表門に待たしてありました彼(か)の使いには、
兄妹よりして返事をしたためて持たせて帰らせました。

程よくこの千鳥の兄というので、
庚申の新八は六右衛門の馬丁ということにあい成りました。

手当も十分にいただけるようになりまして、
この城内におきまして馬を扱うということになりました。

よって程よく己がこうして入り込んだ上は、
根が大胆な奴でございますから、
城内の容子をチョイチョイ探りまして、
まず当城内の狸族(りぞく)はどのくらい居る、
また兵糧の貯えはどのくらいである、
城の要害はどのような有様であるということを、
己はぼんやりとしておるそうに見せかけて、
それらのことを一々探るのでございます。

ところがこの穴観音の二の丸のお堀でございます。

これは本丸の奥庭にありまする泉水より流れて落ちる水が、ここに来たりまして、
それより水門を経まして津田山の麓へまわった末、
津田の浦へ流れ落ちるところの用水とあいなっておるのでございます。

じっと猿三はこれに目を着けました。

さてはこの水門こそ、彼の津田山の裏手の川に流れ続いたその門関(もんかん)であるが、
こいつは一番屈強(くっきょう)のところを見つけ出したわい、と悦びました。

かねて日開野金長としめし合せてあるのでございますから、
その身は当城内へ忍び込んで、今では六右衛門の馬丁となり、名を猿三と改めて
城内の状態(さま)を探っている、
追々御注進を申すが、まず狸族はこのくらいであって、兵糧の貯えというものはこれほどということを、
暗号をもって記し、チョッと他の者が見てもわからぬようにいたしまして、
木屑の端などに書きましたのを、二の丸のお堀へ投(ほう)り込むのでございます。

そいつが自然と流れ出しまして、彼の水門を出て、津田山の裏手の谷川の方へ流れて行く、
かねて金長、太左衛門らとは、この城内へ入り込む前から、しめし合せてあるのでございますから、
この谷川の方へは絶えず番兵を出して、
何か流れ来たったら拾い上げて持ち来たれという指図をいたしておきました。

それですからすこしも油断なく、ここに手配りをしてあったものと見え、
ある時怪(あや)しなものが流れて来ましたものですから、
それを取って砦へ持って帰り大将に示しました。

つくづく広げて見るというと、暗号をもって記してございます。

さては首尾よく新八は城内へ乗り込んでおることであるか、
これはマア我々のためには好都合であると思いまして、
なおも番兵に十分いいつけ、たとえどのような事があろうとも、
この谷川の流れのようすを油断なく見張っておらねばならぬというので、
番卒を交替をいたさせ、そのようすを見届けさしておるのでございます。

それですから追々穴観音の城内のようすをば、
味方の籠っておる砦の方へ知らすのでございます。

だからこれなれば近々のうちに彼は大功(たいこう)を現すであろうというので、
悦んでおりまする。

もっとも、庚申の新八は斯(か)く首尾よく城内へ入り込んだことでございますから、
すぐに攻め入って六右衛門を討取ってしまったら、
それで終(しま)いというようなものでございまするが、
そうも行かぬというのは、
この庚申の新八が姿をやつして六右衛門の側へ近寄ってまいったというのは、
ただ敵状を味方に知らせるというばかりでなく、
彼(か)の六右衛門が秘蔵いたしておりまする、
『魍魎(もうりょう)の一巻(かん)』というものがございまする。

これは四国の総大将の家に伝わったる、変化(へんげ)の術を記したる
狸党仲間にとっての、大切なる宝物でございます。

畢竟するこれを六右衛門が秘蔵に及んで、
四国の総大将というので、官位などは自分が思うままに授けておるのであります。

また当城内へ修行に乗り込んで来ましたら、
それらの者に対しては、この魍魎の一巻に記しあることを、
追々その者の力に依って授けてやるのでございます。

この一巻のない時は、たとえ軍(いくさ)に大勝利を得ましたところで、
何にもならぬのでございます。

ですから日開野金長に勝ちを得せしめやるとするには、
首尾よく六右衛門の側に近寄って、この魍魎の一巻を取り上げ、
その上、彼を滅ぼそうという、
これは庚申の新八の当城内へ入り込みました第一の要件でございます。

ですから首尾よく城内へ入り込み
またそのようすはこれこれであるという事を通知をいたしております。

彼の一巻が分かり次第にこれを取り上げることと
あいなっております。

よって新八は首尾よく成功いたして、
ただちに津田山から同勢を繰り下ろして
穴観音へ攻め寄せようという考え、
よって谷川の水面は怠りなく城内からの通知を得んと、
大勢を交代させて見張らせておるのでございます。

ところが翌日に至りまして何か木屑のようなものが流れて来ました。

これを番卒は取り上げまして、割って見ますると、
中には書面が一通入ってございます。

早速これを大将のもとへ持って参って差し出しますると、
金長は押しひらいて、つくづくと読み下して見ると驚いた、
容易ならざる己の方にとって、あまり利益でない、
庚申の新八は八幡の森に棲息(すまい)をいたす権右衛門という者の娘
千鳥の兄となって入り込んだるところが、
この入り込む前にあたって、
城内の用を帯びて淡州の方へ罷(まか)り出でましたる、
飛田(とんだ)の八郎という者を巧く誑(たば)かって、
その者から盗み取ったる密書の写しでございます。

このお話は第二編に詳しく申し上げておきました。

六右衛門はこの度、敵の金長という強敵(ごうてき)に対(むか)っては
大難(だいなん)であるから、
自分の女房の里方にあたりまする、淡州千山の芝右衛門といえる者、
これは淡路ではなかなか有名な狸族の大将分でございます。

其方(そのほう)を加勢に頼んだというところが
芝右衛門という奴は至つれ気象(きしょう)の荒い奴でございます。

「如何(いか)にも承知いたした、
必ず近々に同勢をまとめてその地へ乗り込んだれば、
敵は津田山の小鹿の子の砦に立て籠もっておるとあれば、
その大手へ対(むか)ってにわかに戦いを仕掛ける、
それと同時に穴観音の城内を打って出で、
敵を不意に挟み撃ちにいたして、金長を滅ぼさんという、
ついては明後日、密かにその地へ乗り込んで、六右衛門殿に面会をして、
互いに金長を滅ぼす秘密をしめし合わすことにいたすから、ご安心あれ」

という、千山の芝右衛門といえる者の味方をしたる手紙の写しでございます。

そうなると必ず淡路の狸党は残らず乗り込むに相違ない、
よって砦においては、そのご準備あって然(しか)るべしという、
これは新八より心得のために知らしてよこしたのであります。

さては千山の芝右衛門といえる奴は津田方の味方をいたしたのであるか、
これは容易ならざることであると、大将の金長は非常に心を痛めまして、
田の浦の太左衛門にこのことを相談いたします。

十分その準備をせねばならぬと、砦においてはその用意に及ぶ、
万一今にも淡路方の狸族が乗り込んだる時は斯(か)ようにいたさんと
おさおさ準備怠りなく調えて、あい待っておりまする。

ところがこの千山の芝右衛門という奴は、密かに徳島地方に乗り込んで参って、
穴観音の城内へ出かける前、
図らず勢見山の麓の観音堂の境内の見世物小屋におきまして、
犬のために一命を落としてしまいました。

このお話も第二編に詳しく申し上げてあります。

このことをまた新八のもとから知らせてきたのでございますから、
金長方一同も大いに安堵の思いをなし、
さては強敵と心得ておった千山の芝右衛門も、
左様な事情(わけ)で滅び失せたというのは心地よいことである、
この上は新八の準備次第によって、穴観音の城内へ乗り込まんと、
手薬煉(てぐすね)引いて、あい待っておりました。

ところがこちらは庚申の新八、
わずかなところより、その身、敵の※間者であるということを、
六右衛門の家老の一頭(ぴき)、彼(か)の川島九右衛門のために見現される
という一段、次回(つぎ)に申し上げまする。

※間者(かんじゃ)…スパイ。
※下郎(げろう)…人に召し使われている身分の低い男。
※門鑑(もんかん)…門の出入りを許す許可証。
※重畳(ちょうじょう)…この上もなく満足なこと、喜ばしいこと。
※定(さだ)めて…おそらく、きっと。
※雪隠(せっちん)…便所。
※馬丁(べっとう)…馬の世話をする人のこと。

日開野弔合戦 古狸奇談 第二回へ続く

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