実説古狸合戦 四国奇談

実説古狸合戦 四国奇談 第四回

この時金長狸は言葉を続(つ)いで…

この時金長狸は言葉を続(つ)いで

金長「さようでございます。
このお話はまた別でございますが、このむこうの※中の郷(なかのごう)に、※取上げ婆ァを※渡世にいたしておりまする
お虎という剛情な婆さんがございます。
こいつは大体、物に恐れぬのでございます。
ぜんたい狐や狸に誑(だま)されるというのは、人間の位(くらい)が劣っているので、
おれを誑(だま)すなら誑(だま)してみろと、往来をしておりましても淋しいところに差しかかりますといつも悪口(あっこう)いたしまして、
暗(やみ)の夜に無提灯でも構わず往来するという剛情な婆ァでございます。
それですから私ども仲間のうちでは強情な婆ァもあればあるもの、
あいつを一遍欺(だま)してやろうではないかと、こういう仲間で相談がつきました。
ところが私どもの仲間に火の玉という狸がございます。また金の鶏(にわとり)という名前の狸もございます。
で、これらの者が相談をいたしまして、強情婆ァのお虎をよい塩梅に欺(だま)してやろうというので、
彼が夜分往来をするのを考えておりましたのでございます。
ところがお虎婆ァは自分の渡世のことですから、何時(なんどき)夜中(やちゅう)に往来をせんければならぬかも知れません。
懐妊(みごもり)の女を引受けている渡世ですから、夜分三更過(やぶんよなかすぎ)であろうとそんなことは頓着がございません。
ある時のことでございましたが、子刻(よなか)少々まわった頃おい、
御城下の方から田の浦の方へ用事がありまして、ただ一人小川の土橋へ対してさしかかってまいりましたのでございます。 女のくせに大きな声で唄を歌いながらやってまいりますのを見受けましたところから、
さては剛情婆ァのお虎め、今夜あたり一ツ欺してやろうというので、金の鶏と火の玉の二匹で申し合わせまして、
ちょうどこの小川の土橋を渡ろうという前の所でございました、
彼の火の玉という奴が得意(えて)のものでございましてチョッと人間の眼には火の玉が転がって歩くようにも見えますので、
たとえば高い所から何か物でも投(ほう)りますと、それが火の玉になって転がり落ちるというので、人間は驚いて逃げるのでございます。
そういうことに妙を得た奴でございますから、そこで火の玉という名前がついております。 この婆ァを一ツおどかしてやろうと思いまして、やがて道の傍らの木の枝のところへ上ってまいりました。
今に来たら火の玉を放りつけてやろうと考えております

お虎「アア、酔っぱらった。
今夜の産家(さんや)はなかなか骨が折れたが、首尾ようマアあァやっておれが手際で生ましてやったが、
マアマア親子ともに壮健(たっしゃ)で結構だ。
亭主が非常に喜んでめでたいというので、つい一杯飲ましてくれたものだから、
口当たりがよいので一杯が二杯と饗応(よば)れていて、大層遅くなったわい。
マア今日の※立計(たちまえ)はこれで結構だが、
どうも酔い醒めの水の美味(あじわい)下戸(げこ)知らずというが、
顔にそよそよと吹く風の酔い醒ましも、また別なものだの…
…オヤオヤ大変に暗くなってきたぞ、アア道の様子がさっぱりわからぬ。
ハテなここは確か小川の土橋の前と見えるが、待て待て今夜はとりわけ寂しい晩だ、
今に雨でも降りそうな塩梅、このような寂しい晩にはどうかすると、おれの土産にもらってきたこの肴、
これを狸の為に取られるというようなことが出来ぬとも限らぬ。
お婆さんが明日の酒の肴にこの焼肴(やきもの)をいただいて帰ろうと竹の皮に包んでもらったのだが、
しかしこの辺はエライ悪い奴狸(どたぬき)が棲息(すまい)をしておるそうだ。
始終(しじゅう)悪戯(いたずら)をしやァがって人間を欺すということを聞いておる。
ヤイ、狸、一遍姿を現してみろ。
他の人間は首尾よう欺しおおせるかもしらないが、
はばかりながら、このお婆さんばかりは決して狐狸のために誑かされるというようなことはないぞ。
このお婆さんが欺せるものなら欺してみろ、
奴狸めが出やァがったら、あべこべにおれが睨み殺してやる。
それで皮を剥いて肉は狸汁にしてお婆さんの酒の肴だ。
欺すことが出来ないか。
ハハアイヤ、弱い奴もあればあるもの。お婆さんの威勢に驚いたと見えるわい。」

と酔っぱらっておりますから独り言をいいつつ、一歩は高く一歩は低く千鳥足をいたしながらも、この所を通りかかりますと、
傍らの松の木の上から眺めておりました火の玉狸

「おのれ、悪(にく)いところの悪口(あくこう)これを見ろい」

とチョッと木の皮だとか、あるいは小石のようなものを握っておりましたが、
それを彼の通りかかった婆ァの目の前へバラバラ上から撒いたのでございます。
すると斯(こ)はそも如何に真っ赤にあいなって※炭団(たどん)のような火が上からいくらもコロコロ転がって落ちます。
ヒョイと立ちどまって仰向いて眺めたお虎婆ァ

お虎「オヤオヤこれは妙だ、この薄暗いのに上から火が降って来たぞ。
待て待て、おれも長命(ながいき)しているものの、雨やあられ雪や氷というものが空から降ってくるのはいうまでもないが、
天から火が降るというのはおかしい。
星が降ったりすることはチョイチョイ見たこともあるが。
松の木の上から真っ赤になった火が我が眼の前に降るというのは…
アア何じゃ下へおちたら消えてしまった。
ハハアイヤわかった。こりゃァ狸が何か悪戯をしやァがったのだ。
ヤイこら狸、そりゃァ何をさらすのだ、この木の上から火の降るというようなことがあるか、もっと降らせろ。
オヤオヤ落ちてきた、危ない。ドッコイしょ。オヤオヤ下へ落ちたら消えてしまった。
モッと降らせろ。さてはおれの口の中へでも入れようというのじゃなァ、そんな手はくわない。」

大胆な婆ァもあるものでございまして、やがて火の降りまする木の枝下へ来ますると、仰向いて口をアングリ開きまして

お虎「サア降らせるなら降らしてみんか。」

これじゃァ、どうも火の玉も弱ってしまいました。
別段火を降らせるといったところで真物(ほんもの)を降らせるのではないのでありますから、
顔に当っても熱くもなんともありません。
むこうがおれを欺しおるなと気がついてみると、
こっちはもう欺せるものではございません。

流石(さしも)の火の玉狸もこれがために、ぼんやりいたしてしまいました。

すると金の鶏という狸は

「よしよし、そんならおれが一ツこいつをおどかしてやろう。」

と、たちまちこの小川の土橋を三ツこしらえました。
するとお虎婆ァは

お虎「ざまァ見ろ、もうよう降らさんか。そんなことをしたって何の役に立つものか。
このお婆さんはそんなことを怖がるものじゃァない。ドッコイしょ、ハテなぁ。」
といいながら、じっとむこうの様子を眺めまして

お虎「待てよ。このむこうは確かに小川の土橋じゃ。オヤこっちにも橋がある。オヤオヤここにも橋がある。
こりゃ妙じゃ。私(わし)もこれ長年の間、中の郷の方には※お華客(ごくい)があって、この橋は始終渡っておるが、
この川に橋が三ツもかかってあるというはずはないのじゃ。
やっぱりこれも狸のわざであるな。
おれをば橋でもない所を橋に見せかけやがって、渡って行く、その橋が消えてしまう、途中で河へざんぶりはまる、
そいつを見て奴狸が笑おうと思っているのだな。
馬鹿者めが、そんなことをくうお婆さんだとおもっているか、待て待て。」

やがて竹の皮包みを手ぬぐいで結んだやつを左の手に提げまして、
右の手で大地を探って小石を拾い、彼の橋を望んでぶっつけまするとドブン…

「オヤこれは妙じゃ、橋の上へ石をぶっつけてドブンという音がするというのは… …違いない、我が眼に橋と見えておるが、やっぱりこれは橋じゃない。
河に違いないので、こっちの橋はどうであろうか。」

と、また小石を拾って投げつけますと、これもドブンと水音がいたしました。

お虎「ハハア何を馬鹿なことをしやァがる。この真ん中はどうであろう。」

と真ん中の橋をのぞんで投げつけますると、これは本当に小川の土橋。水音も何にもいたしません。
橋の上へバッタリ落ちた、確かに自分は手ごたえがいたしましたから

「これじゃこれじゃ、うっかりと両端を渡ろうものなら騒動ものじゃ。
たちまち河の中へはまってしまうところじゃ。」

といいながらも平気なもので、真ん中にあった土橋をスタスタ渡って行くという、
なかなか婆あ大丈夫なもので、石橋を叩いて渡るという譬(たと)えもありますが、
この婆ァ土橋を試して渡るのであります。

そのまま中の郷の己が住家へ帰ってしまいました。

こんな話もあります。
それですから火の玉も金の鶏という狸も、この婆あを欺(だま)そうと思って欺しそこなったというので、
大層悔やんでいたことがございます。
皆それぞれ、修行についてはいろいろのお話があるのでございます。」

茂右「なるほど面白いな。しかしあの雨降りなどに往来をしていると狸が傘をとったり、また大きな人間を取って投げたりするようなことがあるという、
それはぜんたいどういう訳であるな。」

金長「さようでございます。それも自分の魂さえすわっておりますれば、
決してその様な怪しいことはないのでございます。
ぼんやりとしておりますから、ついそういう狸の罠にかかるのでございます。
誑(だま)されるようなことはないかと気が転倒いたして、足もとが虚(うわ)の空で往来していらっしゃいますと、
そいつをつけこんで、狸めが後ろから歩いておるその人の踵を踏むのでございます。
そうすると自分の足がむこうへ進まんから、そのまま驚いてひっくり返るのでございます。
また傘を取る等とおっしゃいますが、傘を上から引っ張り上げる等ということが出来るものではございません。
やっぱりあれも往来をしておりますと、傘をしきりに奪(と)られまい奪られまいといたして下へ下げまする。
するとその前へ、ソッ狸はまわりまして、傘の柄をチョイチョイと下から突き上げるのでございます。
下から突き上げますと上から取られるように思って、ついにはうろうろなさいまして、
その傘を取られるようなことがございます。
あんな時には足の前にまわっていると思って、下をば気をお付けなさいまして、
傘の柄の下をウンとお押しなすったら、なかなかその傘が取られるものじゃないのでございます。」

茂右「ハハア、妙なものじゃなァ、誑(だま)すにも皆それ相当の工夫があると見える。」

金長「それで私どもの仲間のうちでは、下手にだますのと上手にだますのは、皆その修行の法によるのでございます。」

金長のいう話は馬鹿げたようでありますものの、中にはチョッと理に詰んだところもあります。

主人の茂右衛門を始めとして、徒然の折からはこの金長を手もとに呼んでいろんな話を聞いて楽しんでおりましたが、
こういう次第で、大和屋茂右衛門も奉公人の亀吉に金長が乗り移ってからというものは
ぼんやりとした正直者でありましたのが、十人前以上の仕事を一人でやりますし、
また、いろんなためになることをしてくれるものでございますから、家も追々繁昌いたしてまいります。
よい者がうちへ来てくれたことであると、非常に茂右衛門も喜びまして、かの金長狸を大切にいたして、
様々の食事をあてがっておるのでございます。

それですから茂右衛門の家は追々と身代がよくなってまいり、何かについて都合がよくなってまいりました。

しかるに天保十一年子年四月のことでございました。

今日も朝から亀吉は職場で仕事をいたしまして、やがて台所へ来て食事を済ました後、何か考え事をしておりましたが、
ツカツカと立ち上がって変に様子が変わったと思いますと、奥座敷へ乗込んでまいり、
主人茂右衛門の前に両手をつかえましてブルブルふるえておりまする。
オヤオヤ何だか亀吉が変だと思いまして、
茂右衛門はこれをうち眺め、さてはまた金長が何かいうことであろうと傍に来たって

茂右「オイ亀吉、どうしたのだ亀吉、しっかりせんといかんぞ。」

金長「ヘイ旦那様、貴方に一ツのお願いがあって改めてお目通りを願いましたようなことでございます。」

茂右「へーン、さてはお前は金長か。」

金長「さようでございます。」

茂右「して、その願いというのは。」

 金長「それは、外(ほか)でもございませんが、私も長らくの間、御当家様にお世話にあいなって、
まことに子狸から眷属狸までも数多の者が楽々と毎日生活出来まするというのも、ひとえに旦那様のお蔭でございます。
つきまして今日改めて一ツのお願いと申すのはどうぞ今日より私に永(なが)の暇(いとま)をいただきとうございます。
しばらくの間、私は旅行をいたしたい考えでございます。
しかし私はお暇になりまして、ご当家様を立ち去ろうとも、眷属狸または仲間の者に申し付けまして、きっとご当家様を守りまするよう仕ります。
さよう思し召しの程を願いとうございます。」

茂右衛門はこれを聞き

茂右「な、何といわっしゃる。いったいお前は私の家を出て、その旅立ちをしようというのは、どこへ行かっしゃるのじゃ。」

金長「さようでございます。
実のところは、ご当家様のお暇をいただきましたら、
彼の津田浦の穴観音という所に棲息(すまい)をいたしまする六右衛門狸というのがございます、
実はあの方へ参りまして、官位を授かろうという私の考えでございます。
それにはしばらくの間、残念ながら、彼の土地へ参りまして、この者の手もとにあって修行をいたさんければなりません。
だいたい穴観音に今あの通りよく人が参詣をいたし、大流行にあいなりましたのも、その六右衛門狸の働きでございまして、
その六右衛門というものは、私から見るとまだ古い、実は四国でも総大将をいたしまして、
四国の土地に棲息(すまい)をいたしまする狸は皆官位を受けようと思いますると、
六右衛門狸のもとへ参って彼に許しを受けまして、正一位なり正二位なり皆それ相当の位を授かるのでございます。
もっとも昔はこの四国におきましては、伊予国九谷熊山という所に、犬神刑部狸(いぬがみぎょうぶだぬき)というのが棲居(すまい)をいたしておりました。
それは六百年以来の古狸でございまして、総身に金毛を生じ、神通自在、これが四国の総大将でございました。
この犬神刑部という者が皆の者に官位を授けましたのでございます。
それが一度伊予の松山の御藩十五万石、松平隠岐守様のお家を騒がしまして、彼の犬神狸を始め、多くは討たれました。
もっともその謀反人は奥平久兵衛、あるいは後藤小源太というようなものもありましたが、
これを味方に引き入れまして、十五万石のお家を横領しようといたしましたが、
悪人等はついに滅び失せまして、犬神刑部狸も全く芸州広島の豪傑、稲生武太夫という先生のために亡び失せたのでございます。
それですから犬神刑部というものの悪霊が遺りまして、その後この犬神憑きというものがよく跋扈(はびこ)りまして
人間でいながら人間に憑く、怨めしいといっては憑く、悲しいといっては憑く、
随分貴方も御承知の犬神憑きというのが遺っておったのでありまする。
しかしその犬神という者は亡び失せました。
その後はただ今申す津田浦の六右衛門という狸が三百年来の年長者でございまして、
これが四国の大将となりまして、総てただ今のところでは、これが申すまでもなく、正一位の官位を自分が自由自在にいたしております。
それですから私どもの仲間で官位を受けようと思う者は、わざわざ穴観音へ参って六右衛門狸の許しを受け、皆それ相当の官位を授かるのでございます。
私もただ今ではこの日開野に棲居をして数多の眷属狸もございますが、物の押さえになろうとして見ると、
一ツは官位を受けませんと、どうも空しくこのままに終わってしまうというのも残念でございます。
それですから当年は彼の穴観音に乗り込んでまいり、一度は六右衛門狸の眷属となりまして、
そこで彼が許しを受け、正一位なり正二位なりの位を授かり、
その後再びこの地へ立ち戻って来て、ご当家様を守護いたしますことは必ず忘却仕りません。
半期なり一年なりの間はどうぞ修行中お免(ゆる)しを願いたいのでございます。」

と、事をわけまして主人に頼み込みますところから、茂右衛門は

 茂右「それはどうも要らぬことではないか。たとえお前が正一位という位がないにしても、
今まで通り私の家を護っていてくれれば、
家内は申すに及ばず、土地の者も皆お前を貴んで金長大明神といって、皆々崇めておるではないか。
さすれば別段に官位がないからといって、いけないという訳でもあるまいと思われる。
マアマアそのようなことをせずと、どうかこの地に足を止めていてくだされ。」

金長「ありがとうございます。思し召しは誠ににかたじけのうございますが、
狸は狸の、また仲間の法もございまして、なにぶん今のところでは、四国で彼が押さえにあいなっております。
あまりこの六右衛門狸というのは心底(こころいき)の善(よ)くないものということは聞いておりますが、
しかし大将とあれば、その者に従って官位を授かりまするのが、順当でございますから、
どうか是非ともに暇を願いたいものでございます。」

茂右「誠にそれは困るじゃァないか。そうするとお前さんが留守の間は、誰がぜんたい私の宅を守ってくださるので。」

金長「それは眷属どもに申し付けまして、たとえ私が不在中でございましても、
ご当家を大切に守護いたすよう申し付けておきますから、大丈夫に思召下さいますよう。」

 茂右「サア、お前さんが折角の望みゆえ、仕方がないとは申しながら、どうも今更お前に別れるというのは遺憾(のこりお)しい。
ついてはお前がこの亀吉に乗り移ってからというものは、亀吉も身体(からだ)が健康(すこやか)にあいなって
こうやって仕事は人の十人前もしてくれるから、お蔭で家は仕事が段々渉(はか)が行く。また注文も受けて繁昌していく。
どうぞマアなるべくなれば、このまま残ってもらいたいものである。」

としきりに頼み込みましたが、一旦こうと金長は決心したものでありますら、何といってもとどまりません。
そのまま

金長「お宅の守護のことは眷属に申し付けておきまする。ご安心を願います。
これにてお別れをいたします。」

というかと思えば、職人亀吉はスックと立ち上がって目を吊り上げまして、裏の母屋の前へ飛び出してまいりますると、
やがてそのまま表へ駆け出そうとしますから

茂右「これ待たっしゃい。まだいうことがある。」

と主人は後を追っかけましたが、入り口で亀吉はバッタリそれへへたってしまいました。

そこで本人を抱きかかえまして水を飲ましてやるやら、色々介抱してやりました。
すると亀吉は大きな欠伸(あくび)をいたし、ゾッと目を開いて

亀吉「旦那様、私はどうかいたしたのでございますか。」

茂右「これはこれは、狸の名代(みょうだい)大きにご苦労。」

亀吉「ハア、また狸が憑いたのですか。厭(いや)なことをするものだ。
おれの身体にそんなに度々憑かれて堪るものではございません。」

と亀吉も気持ち悪くいたしておりまする。

まったくここに永らく乗り移っておりました金長狸というものは、
落ちてどこかへ姿を隠してしまいましたのでございます。

それですから亀吉の仕事はなかなか今までのように十人前のことはされ置いて
もとの亀吉に戻ってしまうということになりました。

惜しいことをしたが、しかしおれの家はその眷属どもが護っていてくれるに違いなかろう、
そのうちに、また金長が立ち帰ってくれるに違いなかろうというので、
相変わらず彼の裏に建てました祠を大和屋茂右衛門家内の者に申し付けまして、
粗末にしないようにお祭りをすることになりました。

これ全く金長が大和屋を去って、津田浦に修行に出かけたものと見えまする。

この金長がじっと大和屋茂右衛門のうちを守護しておりましたら何もいうことはないが、
この金長が一ツ正一位の位を受けて自分は多くの眷属の長とあいなろうという考えから、
茂右衛門に暇をもらって、津田浦の穴観音に棲居をしておる、四国の総大将といわるる六右衛門狸のもとへ出かけたところから、
ここに一ツの衝突より大騒動を持ち起こすという、これからが狸同士のお話とあいなりますが、
そは追々申し上げることといたし、チョッと一息御免をこうむります。

※中の郷(なかのごう)…現在の徳島県小松島市中郷町。
※取上げ婆…出産の介助をして子を取り上げる人。今の助産婦。
※渡世…職業。
※立計(たちまえ)…仕事に対する報酬。かせぎ。日当。
※炭団(たどん)…木炭や石炭の粉を布海苔(ふのり)で団子状に固めた燃料。
※お華客(ごくい)…ひいきの客。得意客。とくい。

実説古狸合戦 四国奇談 第五回へ続く

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