実説古狸合戦 四国奇談

実説古狸合戦 四国奇談 第七回

さて、この六右衛門狸は、たとい善悪…

さて、この六右衛門狸は、
たとい善悪ともに、未だ狸党(りとう)のうちにおいて、我が申し出だしたる言葉に一として背いたることはない、
まして我が娘は縹容(きりょう)充分優れておりまするし、
殊に彼が養子となれば四国中での総大将で、いついつまでもいけるのであるから、
決して金長が否むということはあるまい、
と思ったのが、案に相違でありました。

これがために流石の六右衛門もあてが違い、
ハッとこれを睨(ね)めつけ、たちまち怒りの色を面に表し、
持ち前の牙を噛み鳴らして

六右「そりゃ、これほどに頼んでも、御身は当館を引受けるのを不承知と言わっしゃるか。」

金長「先生、必ずご立腹下しおかれまするな。
世の中に義理ほど辛いものはございません。
先生のお言葉を背きまする段は、まことに恐れ入ったる次第でございますが、
この義ばかりは平にお断り申します。」

と、彼もはっきり思い切って返答をいたし、そのまま暇(いとま)を告げまして、
また苦情の出ないうちに、というので、金長は自分の旅宿へ引き取ってしまいました。

後に残った六右衛門、ただ一匹、茫然といたしておりましたが

「甚だにもって不埒な奴は金長である。
今にどうする、きっと彼に思い知らしてくれん。」

と、たちまち現す悪狸(あくり)の相貌。

六右「ヤアヤア、誰かある!参れ!」

次の間より一匹の狸、それへ出でまして、

「ハッ、何か御用でございますか。」

六右「オオ、川島兄弟、八兵衛(はちべえ)、役右衛門(やくえもん)を早々これへ呼べ。」

ハッと答えまして取次は立ち去りますると、
後でどうしたものであろうと、考えておりまするうちに、
その居間へ主人の召しに応じまして、ドヤドヤはいって参りましたのは、
彼が腹心にて川島の九衛門、同じく弟、作右衛門(さくえもん)、讃岐は屋島の八兵衛、多度津の役右衛門、
この四匹の者が、いずれもそれへ入り来りました。

もっとも当時、その者らは当穴観音にての四天王ととなえられまして、
いずれも六右衛門の片腕と頼む豪傑、一騎当千の強者でございます。

甲「御主人、夜中、我々に火急の御用ということでありますから、
取るものもとりあえず、罷り出でましたることでございます。
して、何等の御用でございますか。」

六右「オオ、早速其方(そち)達は参ってくれて、大きに大義である。近う進め。
今晩その方どもを招いたのは余の義でない、実は今晩斯様斯様(かようかよう)の訳合いである。」

と、彼の金長を手もとへ呼んで、色々味方につけんと勧めると言えど、
彼、我が言葉に背き、官を受けし後は、一日も早く己は日開野へ帰らんという、
察するところ、ゆくゆくは我が身の害となる奴、
よって今のうちにこれをば何とかいたさんければ、
この六右衛門、枕を高く寝ることが出来ない。
いかがいたしたものであろう。

宵のほどより金長を手もとへ呼び寄せ、
口が酸っぱくなるほど彼に勧めたることであるが、
なかなか当館に足を留めようという所存はないものである。

これらのことを詳しく話をいたしまする。

四天王の手合いは、互いに顔を見合して、ホッとばかりに太息(といき)をつき、
誰一匹といたして発言するものもなかったが、
もっともそのうちでも八兵衛という者が一番年嵩(としかさ)でありまして、
少し考えておりましたが

八兵「恐れながら、君のお怒りはごもっともでございますが、
金長はなかなか容易ならざる強者でございまして、
それで君の意に逆らったというので、今夜(こよい)のうちにもお討取りのお勢いでございますが、
万一、事を仕損ずる時は、お家のおために宜しからず。
よってお憤りをお鎮(しず)めくだしおかれまして、
今一応、彼を手もとにお招きあいなり、とくとご理解をお加えにあいなりまして、
それでも彼が君の言葉に応ぜぬとあるなれば、
その場を去らさず、彼を討取る手段はいくらもありますから、
急いては事を仕損ずる、
とくと御賢慮のほどを願いたてまつります。」

この言葉の未だ終わらざるうちに、川島九右衛門

九右「アイヤ、八兵衛殿、待たっしゃい。
その評議、甚だよろしくない。
宵のほどより、御大将が彼を味方につけんがため、様々とご理解があったではないか。
それを彼がおのれの器量に慢じて、お言葉に背くというのは容易ならざる不埒の曲者。
あくまでも、おのれが勝手を貫かんとする奴。
これ察するところ、いかにも君の御推量のごとく、おのれの勇と智に誇り、必ず後々には我が君に敵対をいたして、
おのれ授官の後には四国の大将となって、我が意をふるわん彼が心底なることは、
鏡に影のうつるがごとく明らかなり。
捨て置く時は由々しき大事、よって今夜のうちに、ひそかに彼が旅宿に押寄せ、
金長の寝込みにうち入り、ただ一口(かぶ)りに喰い殺して、末の難義を除かるべし。」

なかなかこいつは気短かな奴でございますから

九右「何と、おのおの、我が意に同意あれ。」

と、すでに起(た)たんの勢いでございます。
六右衛門は、これを聞いて大きに喜び

六右「しからば、いずれも準備に及べ。」

と、数多の者に下知をいたします。

折しも彼の家来、鹿の子でございます。

これは先ほどより、姫の居間へ参りまして、彼をいろいろ慰め、
お父上にはいよいよ近々のうちに金長殿を婿になそうというお考えでありまして、
君が私をお招きにあいなってのご相談、
お姫君、喜びあそばせ、必ず遠からず貴女のお望みは叶いますることであります
といろいろ姫を慰める。
姫もこれを聞いて大きによろこび

小芝「何かのことは鹿の子よろしく頼みます」

とある。
そこで鹿の子は今しがた、姫の居間を出でまして、
君の御前に出でんといたした折柄、何か、お居間では四天王の勇士の手合いが集まりまして、ひそひそ話をいたしておる様子
これを立ち聞きするというわけではないが、何事やらんと来って思わず知らず次の間よりじっと容子を聞いておるというと、
金長を亡き者にせんというので、
しかも四天王がすすんで今夜のうちに金長の旅宿に乗り込んで、あれを退治をせんという相談最中、
流石の鹿の子もこれを聞いてハッと驚きました。

鹿子「斯(こ)は情けなき主人の思惑、容易ならざる相談である。」

と思いましたから、その身はすぐに飛び込んでご意見を申し上げようかとも思いましたが、
この者はいたって思慮分別のあるものですから、考え直しました。

なにぶん彼の四天王の手合いが相談決定に及んで、夜討ちの準備にこれから取りかかろうというのであってみれば、
根が強情の六右衛門でございまして、たとえ自分が如何様に意見をしようとも、
それを用いる六右衛門でないことは、日ごろから、よくよくわきまえております。

鹿子「とんでもないことになった。
昨日までも今までも姫の婿に定めんとて、あれほど仰せいだされたる御主人がうって変わりしその様子、
この上は我がご意見を申したとて無駄なことである。
といって、このまま捨て置くわけにもあいならぬ。
今、金長を討たすというのは惜しいものである。
よし、いっそ自分が今から金長の旅宿に先回りをして、このことを金長に知らせ、
そこでその場を程よく落とした後、
御主人に向って程よく御諫言をするより道がない。」

と斯(か)く心得ましたことでございますから、
そのまま鹿の子は庭へ飛び下りました。

彼の高塀をたちまち躍り越して、
夜中ながら、ぎらりと光った彼が眼(まなこ)、
提灯は無くても大丈夫、
滅多に暗がりで見えない気づかいはないのでございます。

彼の金長の旅宿をのぞんで逸足出してドシドシ駆け出しました。

なにぶん彼が旅宿へ押寄せるといっても、
六右衛門が味方はそれ相当に準備をさしているので、手間どりますから
そのうちに、金長を早くも落としてしまわんというので
道の程なら四、五丁駆け出してまいりますると、
遥か前方より灯の光、下僕(しもべ)の者に提灯を持たして、此方へ進んでまいるものがあります。

こものは

下僕「奥様、危のうございます。
そこに石がありますから、おつまづきなすってはなりません。」

女房「大丈夫だよ。早くお前、急いでおくれ。」

下僕「よろしゅうございます。」

と、下僕と話をしながら此方へ乗込んで来る、
これは何者でありますかというと、
彼の鹿の子の女房、小鹿の子(こがのこ)といえる者であります。

今夜は宵のほどから、夫が穴観音へ出向きまして、
すでにもう子刻(よなか)にもなろうというのに帰ってまいりません。
虫が知らすか小鹿の子は何となく夫のことが気にかかり、
殊に両三日は姫の安否を訪ねたこともないのでありますから、
夫の迎いかたがた、御殿へ参って姫君にお目通りを願わんというので、
そこで一匹の僕(しもべ)に共をさせ、己が棲家を出まして、今穴観音へ出かけるのでございます。

ちょうどその途(みち)すがら、
前方から息をきって此方へ駆け出して参りまするものがありますから、
ふと顔を見て

小鹿「オオ、あなたは我夫(わがつま)、鹿の子様ではありませんか。
ただ今お下がりでありますか。
あなたがあまりお遅いので、わたくしはわざわざお迎えのために参りましたのであります。」

鹿子「オオ、小鹿の子であるか。それはちょうどよい幸い。
其方に少し申し聞かせることがある…
…コリャ其の方はここにひかえておって、往来を見張っておれ。」

と下僕をそのところに待たしておいて、
いそがしそうに鹿の子は小鹿の子の手をとって、傍(かたえ)の森の中へ連れ込んだのであります。

ようよう葭(あし)を分(わか)って、自分は立木のほとりに座を占めましたが

鹿子「小鹿の子、お前はよいところへ来てくれた。大変なことが出来(しゅったい)いたした。
おれはこれから金長の旅宿へ駆け付けんとするのである。
その仔細というのは外でもない。実はこれこれ斯様斯様(かようかよう)の訳合い」

というので、かねて姫君のご結婚が成り立たんとする今宵にいたり、
にわかに四天王の強者がご主人のお居間において、金長退治の評定ということになって、
これより彼が旅館に押寄せようという、その支度中である。
平素(ひごろ)より主人の気質をよく存じておる拙者(それがし)、
この場合にいたって、我らがいかに諫言をいたしたところで、なかなかお用いになりそうなはずもない。
よってまず、我が計らいというのは、
これより金長殿の旅館に参って、彼が密かに落とさんという考えである。
それについて、万一この事が露顕いたすようになれば、我が一命にもかかわる一大事。
よって其方は、これより森へ帰って我が棲居を守っておれ。
必ず我が首尾を待っていてくれ。
充分事を首尾よくしおうせなば、すぐさま立ち帰ることであるから。」

と委細を詳しく小鹿の子に話をいたしました。

これを聞いて小鹿の子も案外の事変に驚きましたが

小鹿「貴方マアそれは大変なことであります。
それでは、これからあの金長様にお知らせにお出でになりますか。」

鹿子「いかにも、さようじゃ。他にさとられぬうちに早く帰れ。」

小鹿「委細承知つかまつりました。わたしはこれから帰ります。
貴方もどうぞ、早くお帰りくださいますよう。」

鹿子「いかにも合点だ。」

と、そのまま小鹿の子に別れを告げまして、金長の旅宿をのぞんでドシドシ駆けい出しました。
後に小鹿の子は

「とんでもない間違いが出来たものである。どうぞ、何事もなく穏やかに納まってくれればよいが。」

と心配をいたしながら、この者も途中より引き返し、津田浦の自分の古巣に立ち帰るということになりました。

ところがここにまたお話かわりまして、
彼の日開野の金長は六右衛門にスッパリと断りを述べまして、
不首尾で暇(いとま)を告げ、旅宿へ帰ると、早速出迎いました彼の鷹は

鷹「ご主君、ただ今お帰りでございますか。」

やがて主人の案内をいたして彼の居間へ伴いましたが

鷹「さて、夜中のお出では、いかなる御用でございました。」

金長はホッと一息をつきましたが

金長「鷹よ、とんでもないことが出来たのだ。」

鷹「何とおっしゃる。何か変わったことでも出来ましたので。」

金長「されば聞いてくれ、実は斯く斯く斯様(かくかくかよう)の訳合い。」

とこれから今宵の有様を家来の鷹に詳しく述べました。
鷹はこの事を承ると

鷹「ヘエ―」

とその眼をまるくし、牙を噛み鳴らし

鷹「それはご主君、大変でございました。
しかし余り気心のよろしくない彼の六右衛門、貴方がおことわりあそばしたというので、それで理解は確かに立っておりまするが、
それを聞き届けまして、そんなら養子のことは思いとどまる、しかし官位はかねて申した通りお身に授けると言って、
貴方の望み通り、彼が官位をあてがいましょうや。
ご主君、これは一ツ、考え物でございます。
日ごろから六右衛門の気性、彼が目通りへは近寄りませんけれども、
君のお話で、あらまし六右衛門というものの心根のあまりよくないものということは推量いたしました。
たとえ善悪にかかわらず、一旦言い出したことは、あくまでも貫かんという彼が性分、
しかるに彼が望みをお退(しりぞ)けにあいなったとあれば、よもや六右衛門は黙って貴方に官位は授けますまい。
さある時にはここに何かの間違いが出来ますと、それが甚だ心配でございます。
これはとんでもないことになってまいりました。
貴方はぜんたい、どうあそばす思召しでございます。」

金長「されば、我がこの所に来(きた)って、日々修行に及ぶのも、ただ官位を受けたいと思えばこそ。
六右衛門ごときに従い日々の勤め、その甲斐もなく、その官位が受けられぬということになってみれば、
これはただごとでは治まらぬ。マアどうしたものであろう。」

鷹「御意にございます。
これを申すのも畢竟(ひっきょう)ずる、貴方にご器量のあらせられますところから、
その貴方をこの地に足をとどめさせ、穴観音を守らして、一ツおのれの土台をかためようという、
彼が計略ということは、もとより、あいわかっております。
しかるに御前(ごぜん)が、それをお謝絶(ことわ)りあそばしたから、
彼もよもや、このままには捨て置きますまい。
と言って、彼が望みを叶える時には、貴方は大和屋様への御恩報じもならず、
ハテ困ったことが出来ましたな。
イヤ御前(ごぜん)、こりゃ明朝、今一応お出でになりまして、授官の義を一時も早く彼にお迫りあそばしては、いかがでございます。
それで彼がたとえ低い官位でも授ければよし、
もし、左(さ)もなき暁は、貴方が長の年月ここに御修行あそばしたことも水の泡、
よってその時は六右衛門を相手にいたして貴方は一ツ談判をなさい。
それで彼をその場に言い伏せて首尾よくお勝ちになる時は有無を言わさず、
彼が官位をお取上げにあいなって、その後、四国の総大将となり、この国をお治めにあいなるのが近道でございます。
そうなる時は彼も必ずおのれが眷属を集めまして、御前を相手に一勝負いたすことになりましょう。
さある時には速やかに私、日開野へ取って返し、部下の眷属どもにこの事を申し聞けまして、
募りまする時は、よもや三百や五百の者が集まらぬことはありますまい。
速やかにそういうことにあそばせ。」

と、しきりに金長にこの事をすすめまする。

ところが金長もしばし途方に暮れまして、
いかがいたしたものであろうと考えております。
ところへ一匹の小狸、あわただしく

小狸「申し上げます。」

金長「アア何事じゃ。」

小狸「ただ今、穴観音より鹿の子と申す一匹の使いが参って、案内を乞うておりますが、いかが仕りましょう。」

金長「何、鹿の子殿が見えられた。それでは、ともかくこれへお通し申せ。」

鷹「イヤご主君、今夜(こよい)の場合でございますから、
どのような計略を帯びて、刺客に乗り込まぬものでもありません。
御油断あそばすな。」

金長「イヤイヤ、鹿の子はそのような心得違いのものではない。
穴観音においては、なかなか私は交誼(まじわり)を深くいたしておるものである。
しかし油断をいたさず、其の方は次室にあって様子を見ておれ。」

鷹「それではご主人、必ず御油断のないようにあそばせ。」

言いながらも鷹は次の間へ立ち去りましたが、
もしか鹿の子に怪しいことがあったらば、一啖(くら)いに喰い殺してくれようと牙を鳴らしてあい待っております。

ところへ間もなく案内に連れられまして入り来った鹿の子は

鹿子「イヤ金長殿、斯く深夜、面会くださいまして誠にかたじけのう存じます。」

金長「サアサアご遠慮なく、まだ臥せってはおりません。
つい鷹と雑談をいたしておりました折柄、お構いなくズッとこれへお通りください。」

鹿子「それでは、ごめんくだされ。」

と、此方に通り、坐につきました。

やがて金長は案内の者を遠ざけまして

金長「さて、鹿の子殿、深夜に及んでの御来臨はいかなるところの用向きでありますか。
その次第、お聞かせくだしおかれましょうなれば有難きしあわせ。」

鹿の子はホッと太息(といき)をつき、あたりを見回し、声をひそめながら

鹿子「貴方は今宵の程、出仕をなされた由を承りましたが、何か火急の御用事でもあったのでございますか。」

金長「イヤイヤ、別段これといって、とりとめたる用事でもないが、
実は鹿の子殿、お聞きくだされ。
六右衛門公には物数ならぬ拙者(それがし)を婿にせんとの思召しにて、
段々穴観音の館に留まれよ、とのお勧めでございましたが、
なにぶん拙者は少々望みあってのことでありますから、
平にお断り申し上げまして、ようようご辞退の上、先ほど立ち帰ったようなことであります。」

鹿の子はしばし考えておりましたが

鹿子「ハハア、それでは小芝姫様の貴方はお婿様となって、穴観音の館を引受けよという、
それは貴方の御出世ではありませんか。
この鹿の子よりも平にお願い申す。
というのは貴方もご存知の通り、
我が妻は小芝様をお育て申し、ことに我は当時姫の傅役、
この程より姫も優れあそばさず、
何か深き思いに沈んでいられる様子でありますから、
我々つくづく姫の様子を察するところ、
よほど姫は其の許(もと)を慕うておいでなさる容子である。
まして四国の総大将、穴観音の姫君の御婿となって六右衛門公の跡を相続くだしおかれるとなれば、
この上もない結構なことと心得まする。
このことは主人になり代わって私よりもお願い申す。
いかがでござりましょう、この所に長くお留まりくださる訳にはまいりますまいか。」

物柔らかにそれとはなく、金長の心のうちを試さんと申し出でました。

金長「鹿の子殿、まことに其許(そのもと)のお言葉といい、
かつは姫君も物数ならぬ此方(このほう)をお慕いくだしおかれるというのは、
身の冥加(みょうが)この上もないことでありまするが、
どうもこればかりは承知がなりかねます。
というのは一日も早く官位を授かって、その上、日開野へ立ち帰るのも、
実は大和屋茂右衛門様に大恩をこうむりましたる拙者(それがし)、その訳柄は斯様斯様(かようかよう)。」

と、ここでまた、六右衛門の前で述べました通りの話をいたしました。
それでもと言って、強いて勧めるわけにもなりません。
鹿の子はしばらく考えておりましたが

鹿子「なるほど、そう貴方に承ってみれば、こちらの勝手ばかり申すわけにもなりませんけれども、
貴方は授官のお望みはございませんか。」

金長「それは願うておるところで、官位を受けたいと思えばこそ、
この地に来って一年このかた苦心をいたしておりまする。」

鹿子「だが金長殿、六右衛門公の仰せに背いて、貴方は授官の義はチトおぼつかないと心得まするが、
それでもこの地に足をお留めになるお考えはありませんか。」

金長「さようでございます。
娘の養子にならんければ、其方(そち)に官位は授けつかわさんと、仰せくだしおかせますればそれまでのこと、
ともかくも、明朝もう一度出仕の上、御大将に願ってみんと心得る。」

鹿子「それはとても駄目です。
我が主人の非を挙げるではないが、一旦主人がこうと思ったことは後へお引きにならぬという性質。
よって貴方が恩人にその義理を立て通さんとなれば、
当地に来っての修行もこれまでと思召して、
ただ今から、すぐさま、この地を発足されて故郷へお帰りくだしおかれたい。
これは心得のために鹿の子がお願い申す。」

金長「ナ、何とおっしゃる。アノ夜中、今から出立(しゅったつ)をせい。それは何が為に。」

鹿子「去れば貴殿の一命をお助け申す。
たとえ貴殿が三面六臂の鬼神といえど、今夜(こよい)一夜この旅宿に過ごしなば、
どうもお命が危ないことであります。

と、ここにおいて金長立ち去った後で穴観音において、
六右衛門の思惑の立たぬところより、四天王を集めて実はこれこれ斯様(かよう)の相談、
そこで多くの眷属を集め、今宵のうちにこの旅宿に来って御身を討ち取らんという、その手配を付けたことである。
我、一足先まわりをして、このことをご注進を申す次第、
よって御身は一旦この場を立ち去って、なにとぞ故郷へ一時も早くお引上げにあいなるよう
と真実、面に表れて、鹿の子がこのことを勧めました。

金長はこれを聞き

金長「何とおっしゃる。我を養子にしようという思惑が立たぬところから、
多くの眷属を集めて我を討取らんという、六右衛門殿が所存よな、ムムン…」

と彼が平素(ひごろ)の気象をここに表しまして、
両眼かっと見開いて、穴観音の館の方をハッと睨(ね)めつけましたが、
畢竟(ひっきょう)ずる、この金長がいかなることを仕出だしまするか、
チョッと一息いたしまして次回に。

実説古狸合戦 四国奇談 第八回へ続く

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