日開野弔合戦 古狸奇談

日開野弔合戦 古狸奇談 第三回

さても日開野金長の亡き後は…

さても日開野金長の亡き後は、
遺言によって藤樹寺(ふじのきじ)の鷹の一子(し)小鷹をもって相続者と定め、
これが二代目の日開野金長となりました。

もとより田の浦太左衛門と庚申の新八は補佐の役とあいなりまして、
もっぱら行状(おこない)を正し、南方(みなみがた)の狸どもと交わりをいたし、
いささかも悪しき所為(わざ)をなさず、
また彼(か)の大和屋茂右衛門の宅の鎮守となりまして、
悪い狸どもを懲(こ)らし、宜(よ)き者には情けをかけ、
または貧しき狸どもは自分の供え物を分け与えまして、
自身の欲気というものは少しもない、
その行状(おこない)の正しいことは南方(なんぽう)に轟きわたりました。

だからたちまちにして多くの狸どもは我も我もといずれも来たりまして、
この金長の支配のもとに従い、
次第に招かずして寄って来るのでございます。

先代の金長にも優るばかりの勢いとなりました。

これ一つは太左衛門と庚申の新八との後見の行き届くところでありました。

しかし惜しいことには、その後、庚申の新八狸は僅(わず)かなところの間違いから、
徳島の蜂須賀の御家中(ごかちゅう)、ご指南番役の火術(かじゅつ)の先生でございまして、
北島(きたじま)藤左衛門(とうざえもん)殿のために、
鉄砲をもって後(うしろ)撃ちということにされてあい果てましたが、
如何(いか)なる事情(わけ)で後撃ちということになっかたという、
このお話もここでチョッとご紹介に及びおきまする。

もっともこの北島という先生は、蜂須賀公の御家におきましては、
火術方のご指南番役でございまして、いたって有名な先生に致して、
それが新八狸と少しのことで衝突いたしまして、
ついに後撃ちにされまして新八狸をお退治にあいなってしもうたのであります。

それは北島先生の御屋敷は彼(か)の南佐古(みなみさこ)大安寺(だいあんじ)の側にありました。

お屋敷の内(うち)に砲術の稽古場があります。

もっとも屋敷の裏手に拵(こしら)えてありましたが、
ここは山の麓にいたして、幅は※八間(けん)、奥行きは※二十五間(けん)という大広場でございます。

銃丸(たま)止(ど)めには※あずちを設けまして、十分大丈夫に築き上げてあるのでございます。

ところがその後ろの山の上には佐古の大安寺の森になってございまして、
昼なお薄暗い樹木のしげみで実に凄いところであります。

その森の中(うち)に一つの谷を構え、これを庚申谷(こうしんだに)と称(とな)えます。

現今(ただいま)でも凄いところであります。

これに佐古の庚申堂と申しまして、一棟(ひとむね)のお堂があります。

この堂の側(わき)に大きな岩穴がありまして、その穴の内に多くの狸が棲息(すまい)をしておりました。

その中の大将分というのが、彼(か)の庚申の新八でございまして、
もっともある時、新八は通力(つうりき)をもって、この庚申様を大変に流行らせたのでございます。

これ新八の働きによって非常に賑わい、参詣人が沢山あったいう
実に庚申の新八といえる者は、畜生ながらも通力自在な狸でございまして、
佐古の六丁目の天正寺(てんしょうじ)の庚申様の神籤(みくじ)というのがよく当るのでございます。

ちょうど今より五年ばかり以前(まえ)のお話でございます。

甲州の人にして、六海坊(かいぼう)という坊さんが
ここへ来(きた)って、堂守(どうも)りをいたしておりました。

それが神籤を売って多くの参詣人の頼みに応じて、判断をしたのであります。

大概十中の八九は神籤通りによく当りまするところから、
そこでお賽銭だとか、いろんな供物があがるということになりまして、
追々(おいおい)堂の普請をもすることが出来て立派になりました。

このお堂を流行らせたのは、庚申の新八が死んでから後(のち)も、
よほど狸の働きによったものと見えます。

その新八という者は、北島先生に撃たれましたというのは、
悪戯(いたずら)を働いたからであります。

ついに先生は怒(いか)ってこれを撃つというようなことができたというのは、
いまだに阿州のお方はご老人達はよく存じておられます。

それですから彼(か)の地へ渡ってみると、いろいろその説がございます。

どれが本当であるということは、伯龍(わたくし)はその地へ参ったのでありませんから分りません。

マア、二、三、申し上げてみますれば、ある時その藪林の中(うち)で
夜分にあいなりますると糸を紡いでおりまする老婆(ばあ)さんの、
糸紡ぎの車の音がいたすのでございます。

それですから北島先生は何事やらんと裏へ出まして、
そのようすを見ますると、
深々(しんしん)といたしたる闇の夜にいたって、
一人の老婆がにこにこ笑い顔をいたして、
何か小歌を唄いながら、片肌脱ぎをいたして、
頭部(あたま)に手ぬぐいを巻いて糸紡ぎをいたしおります。

北島先生は、
ハハア、さては何か悪戯(いたずら)をする奴があると見える。

ご自身はそれとはなく、火の用心を見回るというような体裁(ていさい)に持てなし、
そこらをお廻りになりながら、不意に後撃ちになさったという説もございまする。

その時にはこの老婆(ばあ)さんを撃たずして、
紡いでおりました車の心木(しんぎ)を的(まと)として狙いを定めてお撃ちになされると、
果たして一頭(ぴき)の大きな古狸の胸部に当りまして、
即死を致しおいたとのことでございます。

またある説には深夜に至って庚申谷の方に当り、
歴然と怪しい光が見えるのでございます。

どうも不思議に思いまして、その谷間へ北島先生がやって来て見ると、
二十歳(はたち)余りのきりょうの美(よ)い女が
鏡台に対(むか)ってしきりに髪を結っております。

もっとも傍らには一つの行燈(あんどん)が置いてございまする。

今頃にこんなところで髪を結うはずはない、
これは古狸変化(こりへんげ)の所為(わざ)に相違ないと思し召したところから
いたって大胆なお方でございますから、
鉄砲を後撃ちにされました。

この女を撃たずして、傍らにありまする、行燈の火の光を見当として、
しかも二つ銃丸(たま)で撃ち込んだのでありますると、
果たしてこれも大きな狸であったという説があります。

それですから、どっちが本当であるか分からぬのでございまするが、
何で庚申の新八狸がこの人間に、
このように祟(たた)りをなしたかといいますると、
自分のすんで居まする山の下のところが先生の稽古場となって
門人どもが集まって来てドンドン鉄砲を撃って稽古をする、
その音が聞こえる度ごとに、折々銃丸(たま)が反れることがあります。

この庚申谷へ飛んで来て落ちる。

すると多くの狸族(りぞく)がこの銃丸(たま)のために怪我をすることがあります。

それを非常に怒ったのでありまして、
庚申の新八は、
如何(いか)に指南番役とはいえど、
少し気をつけて撃ってくれれば、
おれの眷族(けんぞく)どももこんなに怪我をせぬものと
おのれ一つ仇(あだ)をしてくれんというところから、
いろんな所為(わざ)をなしたという説になっておるのでございます。

全く、これが本当であろうという老人の話でございまするが、
それは確実(たしか)に彼(か)の藤井という方が十分調べられたということですから、
このお話を致すことに決めました。

というのは、先生はなかなか人望家でございまして、
門人衆(もんじんしゅう)の宅から始終(しょっちゅう)招待を受けまする。

いつも夜(よ)に入(い)って御自身のお屋敷へお帰りにあいなりました。

その時、庚申谷を一人通りかかることとありまする。

すると思いがけなくも傍らの森からパッと火の光が見えるのでございます。

ハテな、深夜におよんでの光は何であろうと、
大概の者はこの光りものを見て驚いて逃げてしまいまするが、
相手は砲術家の先生ですから、そんな事には頓着(とんちゃく)せずして、
ハハア、さてはこの山は庚申谷というところであるか、
それに棲息(すまい)をする新八狸という奴の悪戯(いたずら)であろう、
ナニッ畜生の致す事と、頓着せずしてお通りかかりにあいなりますると、
先生の足元へ向けまして、マア何(なん)のことはない、
大きなやかんのような物がコロコロ転がって来るのでございますから、
先生の通行を妨げるのであります。

北島先生はこの体(てい)を見て

先生「ハハア、また新八めが我へ対(むか)って悪戯をするのであろう、
コリャコリャそのようなことをしては歩けぬから、そこをどけッ」

と、無頓着でその前を通り過ぎるということにあいなりますると、
先生の歩いている※一間(けん)ばかり前のところへ、
コロコロ彼(か)のやかんのような物が転がるのであります。

そうして森の中(うち)から形がないが声があって

 

「北島先生、一つお腕前を拝見をいたしましょう」

先生「ナニッ、何(なん)と申す」

「イヤ貴方は四国第一の砲術の指南番役といって、
御家中(ごかちゅう)の人々に尊敬されまする火術(かじゅつ)の御先生で、
この庚申の新八が討取れるものなら討取って御覧なさい。
よもや討取ることは出来ますまい、
さてさて笑止千万(しょうしせんばん)なことである」

と、ゲラゲラ笑うのでございます。

それが一夜(ひとばん)ではない、度々のことで、
けれども先生は御立腹はございません。

毎夜(まいばん)のように先生の通る度ごとに
このような悪戯をするのであります。

それですから終(しま)いには先生も御立腹になりまして、
憎(にっく)いところの畜生、
棄ておいては此方(このほう)の名前にもかかわる、
この上は彼奴(かやつ)を取り片づけてやろうという考えを起こされまして
ちょうど翌月の下旬(つきずえ)のことでございました。

昼間の程から門人の許(もと)へお出(い)でになりまして、
たいそう饗応(もてなし)に預かり、
好(い)い機嫌で夜(よ)に入(い)って先生はお帰りでございます。

門人「エエお提燈(ちょうちん)を差し上げましょう」

先生「イヤイヤ、勝手覚えたる里程(みちのり)、それには及びません、
たいそう御馳走になったが、これでお暇(いとま)をいたす。」

と、暇(いとま)を告げて門人方を立出(たちい)でましたが、
懐中にはかねて用意を※種子ヶ島(たねがしま)
それに十分銃丸(たま)籠(ご)めをいたしてあります。

もっとも火縄に火をつけまして、これを振り照らしながら

先生「アア今夜は非常に好(よ)い塩梅に酔った。
♪武士(つわもの)の交わり…」

と、彼(か)の羅城門(らじょうもん)の謡曲(うたい)を唄いながらも、
誠に心地快気(ここちよげ)に、一歩は高く、一歩は低く、
※蹌蹌踉踉(ひょうひょうろうろう)といたして御自身の屋敷に帰ろうといたされまする。

ところが庚申の新八は日頃からつけ狙っておるのであるから

「ハハア、さては北島先生、余程酩酊いたしおる容子(ようす)、
今夜(こんばん)辺りは一つ思う存分に悩ましてくれよう、
首尾好(よ)ういったら相手を投げ飛ばしてやろう」

という考えでございます。

何日(いつ)と通りかかりまする彼の森の中(うち)に、
怪しい火の光を放ち、
大きなやかんようの物を先生の足元に転がして来たのでございまするが、
頓着せずに北島先生、蹌踉蹌踉(ひょろひょろ)しながら、そのところへ参り

先生「アアまた今宵も悪戯をするな、庚申の新八といえる狸、
あまり度々悪戯をすると蹴殺すぞ」

といいながら、そのやかんの前まで来たると、
足早にバッとそれを飛び越しておしまいなさった。

それですから庚申の新八狸は、
オヤこいつは酔ってると思ったら、なかなかしっかりしている、
こんなことでは可(い)かぬと、
彼(か)のやかんをそのままコロコロ転がしまして、
先生の後を追っ駈けるのでございます。

先生は、ハハア、なお漆膠(しつこ)くやって来おったな、と思いまして、
懐中から用意の種子ヶ島を取り出して、
やがて片手に持って、火縄を口薬(くちぐすり)のところへ充(あ)てがいながら、
駈け足をいたしてやかんを棄て措(お)き、
狙いを定めて忽(たちま)ち火蓋を切った早技というものは、
なかなか通常の者では出来ませんくらい、
しかも二つ銃丸(だま)を籠めてありましたのを、
ズドンとばかり撃ち出(いだ)したと同時に、
キャッと怪しい声がいたしましたから、
ピタリと先生はたち止まって背後(うしろ)を振り返り、
足元のやかんに頓着をせず、片辺(かたえ)のところを見ると、
全く庚申の新八という狸が両眼を撃ち抜かれまして、
そのところへ夥(おびただ)しい血を吐いて虚空を掴んであい果てております。

それですから先生は止息(とどめ)をお刺しになりまして、
その夜は御自身のお屋敷へ帰り、先生は寝(やす)んでおしまいなさった。

翌日来たって見ると、まったく彼は大地に倒れて死んでおります。

ところで先生も、
あまり此方(このほう)にからかうから、斯(か)くは、撃ち止めてやったものの、
このままに死骸を棄て措くのもかわいそう、
後日に祟り等あってはならぬものと、
そこでこの山の辺(ほとり)に一本の大きな松がございます、
その松の木の下(もと)へこれを葬ってやりまして、
ここに一棟(ひとつ)の祠を建てて祀ってやることになりましたが、
この新八の塚というものは今もって遺(のこ)っておりまして、
老人達は皆その噂をしあいまするという、
ここについでながら一言申し上げておくようなことでございます。

さて庚申の新八という者は斯(か)ような次第で終わってしまいましたのでございます。

しかし二代目の金長はその身南方(なんぽう)の大将となって後(のち)は、
すこしも慢(まん)せず、
田の浦太左衛門を後見として、
あくまで先代の金長の語(ことば)を守り、
部下の狸族(りぞく)をいたわりまして、
何(いず)れもそれがために金長と太左衛門を敬い
今では南方においては、一頭(ぴき)として金長のことを誹(そし)る者もなく、
大きに穏やかにあいなったのでございます。

ところがここに金磯(かないそ)というところの地方に、
祐七狸(ゆうしちだぬき)という、その土地の人々はよく御存知ですが、
悪い狸が棲息(すまい)をしておりました。

此奴(こやつ)は金長太左衛門等の狸党(りとう)もチョッと制し難いのでございます。

この祐七狸という奴は、人間を誑(ば)かしてそれを川に沈めにかけたり、
または人の一命(いのち)を奪(と)って何とも思わぬという悪狸(あくり)でございます。

何分(なにぶん)年久しく金磯にすんで神通自在を得ている奴ですから、
これまで祐七狸に欺されまして、難儀をした者が沢山あるのでございます。

その一例(ひとつ)のお話をしてみますると、
徳島の片辺(かたほとり)に橘浦(たちばなうら)というところがございます。

そのところで魚商(さかなあきない)をいたしておりまする、
万助(まんすけ)という極正直者(ごくしょうじきもの)がありまして、
こいつは市場(いちば)から買い出しました肴(さかな)を、
毎日のように徳島の市中(まち)を担いで売り歩き、世渡りをしておりました。

ところが今日しも徳島の市中(しちゅう)で商いをいたして我が家への帰りがけでございます。

途中で全然(ずっぷり)日を暮らしてしまいました。

こりゃァ失敗(しま)った、大変に遅くなったと、
夜(よ)に入(い)ってから彼の小松島の松原へ差しかかって参りますると、
至って万助という奴は臆病な男でございますから、
こわごわながら何事もなければよいがと足早に急ぎました。

すると遙か向こうの波打ち際のところに火の光が見えまして、
多くの漁師が集まってガヤガヤ騒いでおります。

ハテな、何であろう、どうも夜中(やちゅう)今頃に何が出来たのであろうと、
籠(かご)を担ぎまして、万助はその側へ来てみると、
今や沖の方から威勢よく漕ぎつけて来ましたのは、漁船(りょうせん)でございます。

漁をいたしました肴をこの浜で荷揚げをいたしております。

自分は商法(しょうばい)のことですから側へ来て見ますると、
オヤオヤ大変な魚だ、沢山にあるなァと、よくよく見ると、
鰈(かれい)だとか、鯒(こち)だとか、または烏賊(いか)だとか、章魚(たこ)だとか、
いろんなものを駕籠(かご)に入れまして運びまする、
皆生きております。

万助はこれを見て

万助「ハハア、大変漁があったと見える、
これは明日市(いち)へ出すのですか」

○「そうです、今日は大分(だいぶん)漁があったから、
それでマアこれだけ捕れたのです」

万助「エエッ、それは何より結構です、
お前さん方にこんなことを言っては済まないが、
もう夜も大分更けている容子(ようす)、
今から納(しま)っておいて、また明日市(いち)へ出して商いをしようというには随分手数もかかる、
私は魚を売るのが商売だから、いっそこの魚を問屋の手に廻さず、
直接(じか)に私に売ってくれることは出来ないか」

○「そりゃァ都合によりゃァ売らぬこともないが、何程(なんぼ)て買う」

万助「そうですな、私は一文(もん)でも安いほうがいいんだが、
それではいくらで売って下さるか」

○「そうですな、おいらの方では大概この位だ」

と、チョッと値段の話に及びました。

ところが万助は驚いた、
自分が市へ出で買おうと思えば、なかなか先方のいう位な値段では買うことは出来ない、
自分の思ったよりは余程安いのでございますから

「ハハア、それで売って下さるか」

○「そりゃァ買ってさえ下さりゃァ売ろう」

万助「そりゃァありがたい、じゃァ私が買いましょう」

たちまち漁師が望むだけの、代金を払いまして、荷籠(にかご)の内へ。

万助「それじゃァこれを貰って行く」

と、万助は悦びながら、その魚に移しました。

マア明日(あした)市(いち)へ行って買い出しをするから見れば余程安い、
この分では明日は大分儲かるわい、と悦びながら、
漁師に別れを告げ、この荷を引っ担ぎながら、
だいぶ夜が更けているから、今からおれは宅(うち)へ帰ってぐずぐずしているうちに、
やがて市の買い出しの時刻になる、
いっそ今のうちから市中(まち)の方へブラブラ出かけてやろうと、
そこで自分は宅へ帰らずして、
万助はその魚を担ぎながら、二、三丁、徳島の市中(まち)の方へやって参りますると、
今までは何ともなかったが、この小松島を過ぎようとする時分(じぶん)に、
にわかに荷物が重くなってきました。

何でこんなに荷物が重いのであろうか、担いで来た時はそれほどにはなかったが、と、
傍らに荷を下ろして肩を替えまして、また担いで行こうとしましたが、
今度は一足(ひとあし)も歩けぬようになった、
あまり重たいものですから蹌踉(ひょろ)ついて、
とうとうそれへ尻餅をつきました。

魚の籠が大地へ落ちますると同時に、ズドンと怪しい物音がいたしましたから、
ハテな、なんで魚がこんな音がするのであろうと、
気を鎮(しず)めてよくよくその魚籠を改めて見ると、
今まで入っておりました新しい魚と思いましたやつが、
是(こ)はそも如何(いか)に
石地蔵と変わっております。

あるいはこちらの荷には地蔵の台、また首などが載せてございまして、
まったくは小松島の松原にありまする一体(ひとつ)の石の地蔵さんを壊して、
左右に分けて荷籠に入れ、それを担いで来たので、
さしもの万助もガッカリいたしました。

「オヤオヤ人を馬鹿にしやァがった、
おおかたこれは狸の所為(しわざ)であろう、
とんでもないことをしやァがった、
魚で一儲けしようと思い、重い思いをしてこれまで担いで来たが、
これは何だ、石地蔵だ、馬鹿馬鹿しい」

と魚籠(かご)の中から傍らへ投(ほう)り出してしまいましたが
腰の手ぬぐいを抜き取って身体(からだ)の汗をぬぐい、
空籠(からかご)を担いで帰ろうとしました時、
にわかに沖の方が轟々(ごうごう)と鳴り出しました。

大変にこれは沖がひどく暴(あ)れてくるようだ、と思ううち、
どうやら※海嘯(つなみ)らしい容子(ようす)でございます。

さながら※一丈余(いちじょうよ)もあらしという大海嘯(おおつなみ)が打ち上げて参りますから、
サア大変だ、こんな浪(なみ)に打ち突かろうものなら、
到底一命(いのち)はないと、
松原をドシドシ逃げ出だしましたることでございます。

けれども浪が早いから堪(たま)りません。

追々にその処(へん)まで潮が満ちてまいり、
轟々として、なおも劇(はげ)しく、
みるみるうちに自分の身体(からだ)も浸かってまいりましたから、
大声をあげて、助けてくれい、と叫んでおりまするうちに、
向こうから小さな※梢船(てんま)のような船が流れて来ましたから、
一生懸命荷物も籠もそれへ投(ほう)り出して、
ようやくその船につかまりまして、やっとのことに水の中(うち)よりその船へ乗ったかと思うと、
是(こ)は大変、
その船は壊れ船でございまして、底も何もございません。

水がいっぱい、これは大変と思ううち、
船はどうやら沈んでゆく容子、浪はだんだん高くなる、
イヤこれは堪らぬと、
船の側(へり)につかまりまして一生懸命助けを呼んでおりまする。

折柄(おりから)この劇(はげ)しい水の中を提燈(ちょうちん)を提げました、
一人の百姓体(てい)の者が此方(こなた)へやって来ましたが、
万助の容子を見て

男「コレ、お前何をしているのだ、さては狸か何かに欺されたものと見えるなァ」

といいながら、万助の首筋を掴んで引きずり上げてくれました。

背中をポンと叩いて

男「コレ気を確かに持たっしゃい」

言われた時に、ふと気がついて見ると、
四辺(あたり)は一面の大洪水と思ったやつが、
まったくは畑の中でございまして、水も何もありゃァいたしません。

その身は傍らの※糞壺(のつぼ)の中に陥(はま)りまして、
※尾籠(びろう)なお話でございまするが、
身体(からだ)も何も山吹色というのでございます。

気がついて見ると

万助「さては狸のために欺されたのか、酷い目に遭わしやァがった
貴方はどこのお方でございまするか知りませぬが、
まことに危(あやう)いことろをお助け下さいまして、
何ともお礼の申しようもございません。」

男「してお前はどこのお方か」

万助「ハイ、私はこの向こうの橘浦の万助という魚屋でございます。
今日(こんにち)は徳島へ商いに参りまして深更(よふけ)に及んで帰ろうという途中
あまり魚が安いから買いましたら、それが石の地蔵さんでございました。
ところへにわかに海嘯となって来まして沖から大浪が来ましたから
驚いているうちに小船が流れて来たので、つかまって上がってみると壊れ船、
困ったものだと思って助けを呼んでおりましたが、
今見ればまったく糞壺(どつぼ)の中に陥(はま)ったのでございます。
酷い目に遭わされました。」

とブルブル慄(ふる)えておりますから

男「マア身体(からだ)を洗わっしゃい」

そこでようよう波打ち際へ来まして、
万助は自分の身体(からだ)を洗いまして

男「しかしマア今宵はだいぶ夜も更けているから、
ともかくも私の宅(いえ)へ来て泊まらっしゃい」

万助「有難うございます、それではどうぞ、そうさしていただきます」

と、そこで金磯の百姓家(ひゃくしょうや)へ来まして
その夜(ばん)は泊めてもらったのでございます。

ところが念の入(い)った欺され方で、やはりこれも欺されていたので、
グッスリ寝込んでしまって、ふと気がついてみると、
自分は畑の中の糞壺(どつぼ)の傍らに寝ていたのでございます。

魚の籠は傍らに転がっております。

さては昨夜(さくばん)から水害に遭って百姓衆(ひゃくしょうしゅ)に助けてもらったと思ったのも、
皆欺されておったのか、
忌々(いまいま)しいこともあればあるものだ」

と、この狸に万助も懲(こ)り懲(ご)りしたというお話がございまする。

同じ狸でも最初魚を売ったと見せかけて、石地蔵を担がせ、酷い目に遭わした奴は、
金磯の祐七狸の所為(しわざ)でございまして、
糞壺で助け船を呶鳴(どな)っておりまする時、ここを通りかかったというのは、
立江寺(たつえでら)の地蔵狸という老(もの)の忰(せがれ)でございまして、
野良(のら)一という、今は親狸に勘当をされまして、
行き処がないからこの金磯の森へ来たって棲息(すまい)をしております。

その狸のために助けてもらったが、
欺す狸もあれば助ける狸もある、
何で野良一という狸が斯(か)ようなことをしたかというと、
ここに一條(ひとつ)の奇談でございます。

一息、御免をこうむりまして伺いまする。

※八間…約14.5m。
※二十五間…約45.5m。
※あずち…原文では「射」「土+朶」(あずち、という漢字。環境依存文字のため、テキストデータとして入力不可)の漢字二字で、ルビに「あづち」とふられている。弓場で、的をかけるために、土または細かい川砂を土手のように固めた盛り土。南山(なんざん)。的山(まとやま)。
※一間…約1.8m。
※種子ヶ島…火縄銃。
※蹌蹌踉踉…そうそうろうろう。ふらふらと歩くさま。類義語として「飄飄踉踉(ひょうひょうろうろう)」。
※海嘯…つなみ。津波。
※梢船…伝馬船(てんません)。本船と岸との間を往来して荷物などを運ぶ小型の船。
※尾籠な話…不潔な話。下品な話。

日開野弔合戦 古狸奇談 第四回へ続く

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