実説古狸合戦 四国奇談

実説古狸合戦 四国奇談 第一回

さて今回は奇々妙々な講談をご披露におよびまする。…

さて今回は奇々妙々な講談をご披露におよびまする。

もっともこのお話は狸と狸同士と大衝突ということにあいなりまして、同じ畜生ながらも善悪邪正をわきまえて、規律がたってありまして、これまでわたくしも数多(あまた)のお話を申し上げましたが、これは特にお目先の変わったお話でございます。

チョッと見るとお子達へのおとぎ話かとも思召そうが、そう間違えられましては甚だ困ります。

これは実際にあったことでありまして、ただ今に到りましても阿州の徳島地方のお方はよくご存知でいらっしゃいます。

本講談の主人公といたしまするのは人間にあらず、狸でございまして、これは※阿州勝浦郡日開野というところに正一位金長大明神と立派に神に祀り籠めにあいなってございます。
わたくしがかようなことを申し上げるまでもございません。
その地のご老人たちにお聞きにあいなれば、よくわかるのでございます。

それを特別に詳しく彼の地にお住まいになっていられまする、藤井楠太郎という御仁が調べられまして、講談風にしたため、原稿としてわざわざ今回大阪の中川玉成堂へ寄せられましたのであります。

ところが中川の主人もいたって熱心な方でありますから、それをご覧になりまして、早速わたくしをお呼びよせになってご相談でございます。
わたくしも一応拝見の上、兎にも角にも講談になるかならぬかはわからぬが、講座にかけてみましょう、というので、その後藤井氏のお調べになったところを材料(たね)といたしまして、一つの講談につづり、諸方の席で講演に及んでみました。

ところが非常の好人気喝采を得ましたことでございます。

早速玉成堂主人のご所望によりまして、今回例の丸山氏に速記をいていただき、本日より伺うことになりましたが、この講演は狸同士の衝突というのでありますから、その思し召しでご覧のほどを願います。

一方の主人公たるかの金長というのは、畜生ながらもなかなかすべての物事に秀で、利口な狸でございまして、
ところがその頃四国におきまして狸の中での総大将となっておりましたのが、津田浦穴観音といえるところに棲息(すまい)しておりまする正一位六右衛門という狸でございます。

これが自分の味方にこの金長を引き入れんといたしました。

しかるに金長は一旦人間より受けたる大恩を忘却してはあいならぬ、
という真心をもって、この六右衛門のもとを去ろうといたしましたるところから、
大将の言葉に背いたという廉(かど)をもって、
かの六右衛門という狸はたちまち悪心(あくしん)を起こしまして、この金長を今のうちに討取ってしまわなければ後には自分の官位までも彼に奪われることにあいなるも計りがたいというので、
自己(おのれ)は眷属の仲間狸を数多集めましまして、かれ金長を夜討にいたすことになりましたが、そも間違いのもとであります。

その中にかの六右衛門狸の部下のうちに同じ津田山に住いをいたしております、鹿の子(かのこ)という一匹の小狸、
この者がどうも六右衛門の処置のよろしくないことを憎みまして、これもなかなか義心強きものでありますところから、捨て置くときは金長狸の一命に関わるというので、
いざ事を挙げんという間際にいたって、鹿の子が先回りをして、金長の泊っております森に来(きた)って、このことをわざわざ返り忠に及びましたのでございまする。

金長は自分に従う眷属も数多ありまする中で鷹(たか)と名前をつけました一匹の狸でございます、
この鷹という狸は藤の樹寺というところに住居をいたし、なかなかの剛勇な奴でございまして、
数多の六右衛門の部下を引受けまして必死の働きをいたし、
我が主人とも崇めまする金長を一旦その場をおとしまして、ついに自分は討死を遂げたのでございます。

そこでこの金長は日開野村に立ちかえってこの界隈にありまする多くの仲間狸を集め、部下ながらも誠忠なる鷹の復讐をいたさんというので
逆寄(さかよ)せにおよんだところ、
また六右衛門狸は早くもこのことを知って、自分は四国の総大将というのでありますから、
数多の狸を集めましてわざわざ日開野へ押しいださんとするその途中、
津田山のふもとの浜辺におきまして、
最初の衝突より、ついに敗をとって、この穴観音に敗走いたして逃げかえり、
金長勢の逆寄せのために数度の戦いをいたし、
ついに戦死を遂げるという
畜生ながらも、ずいぶん大げさなことをやったものです。

だが筋道は、ほぼ斯様(かよう)な次第でありますが、それで始めから詳しくお話をせんとわかりません。

頃は天保年間のことでございまして、今でも天保年間のお方はいくらでも存命していられます。

よって彼の地の老人たちは、よく承知をしていられる事実でございます。

ここに阿波国は勝浦郡日開野というところに、大和屋(やまとや)茂右衛門(もえもん)という者がございました。

この人はいたって温厚篤実な方でありまして、宅は染物業をいたしてまして、
奉公人も二、三人を召使い、手広く家業をいたしておりました。

もっとも夫婦の仲も睦まじくこの日開野では大和屋茂右衛門といえば誰知らぬものもないという
金満家ではありませんが今日を豊かに暮らしておりました。

ところがこの大和屋の宅の裏手に諸道具万端をいれまする一ヶ所の土蔵がございまする。

その土蔵のわきの方に近頃大きな穴があきまして、どうも見るところ※むぐらもちが掘り上げた穴ではございません。

とんでもないところへ穴が空いたと主人(あるじ)茂右衛門も不思議に思い、マア何はさておき蔵が傾(く)へてはならぬというので
そばに来(きた)ってよくよく見ますると、何だか斯(か)か狸の臭気(におい)がいたしますので、
これはまったく狸が近頃来ってこの穴を掘ってその中に棲息(すまい)をいたすものと見ゆる。

困ったことであるが、どうにかいたしてこの穴を埋めたいものであるというので、
家内と相談をいたしておりまする。

ところが店の奉公人二、三人、それへ出かけてまいりましたが

「ご主人、あなたはそこで何を考えていらっしゃる」

茂右「イヤ外(ほか)でもないが、この間中から、こんなところへ穴が空いたが
よくよく見ると狸の臭(にお)いがする。
どうしたものであろうと心配をしているんだ。
捨てておいたら蔵のためによくないと思うから。」

「なるほど、これはまったく狸めが巣をしたに違いありません。
上から煮え湯でもつぎ込んでもどうです。
狸を生捕って狸汁でもして食べたらどんなものでございましょう。
ひとつ煮え湯を内部(うちら)へつぎ込んでみましょうか。」

茂右「これ馬鹿なことをいうな。
そのようなことをするようなら何も心配はない。
しかし狐狸というものは敵対をせんければ、
別に仇はせぬものだそうだ。
こちらから罪も科(とが)もないものを殺すというようなことをすれば、
それがために家に祟りを生ずるというようなとこも時々は聞いておる。
おれの家へこうやって来て自分の棲家(すみか)にしようというのは、
きっとうちを繁昌ならしめる基(もとい)であろう。
お前は決して竹等(なん)どを突っ込んだり、煮え湯でも注(さ)したりするような
乱暴なことをしてはならぬぞ。
日々(にちにち)これへ握飯(にぎりめし)でも持って来て供えてやって、
そうしてマアうちを守ってもらうように養ってやれ。
そうすれば、またうちへ人気が集まって
つまり商売も繁昌するというようなものである。」

斯様(かよう)に茂右衛門は考えましたところから
奉公人一同を制しまして、
その後、家内に申し付けて、ご飯を炊きますと握飯をこしらえ、
または狸の好みまするものを種々様々にこしらえて穴の辺(ほとり)へ持って来て供えて置きます。

それがいつしか失(な)くなりまするのは、まったくここに狸が棲息(すまい)をしておるものと見えます。

一寸の虫にも五分の魂ということもある、

斯(か)くいたして家の繁昌を念じますると、どうも不思議なことには、
その月からにわかに大和屋の宅も商売が忙しくなってまいりまして、
顧客先(とくいさき)よりは染物の注文をドシドシ申し込んでまいりまするので
思わぬところの利益があがります。

よって主人(あるじ)の茂右衛門は大きに喜んで、
これ全く狸のお陰であると、
その後は家内に申し付けまして、
ますますこの穴の辺へ色々の馳走を運んでやることになりました。

で、女房下女にいたるまでも、なかなか炊事まわりが忙しいのであります。

女房「ぜんたいこの穴にはどんな狸がすんでおるのであろうか
あなたは狸とお見込みがついたのですか」

茂右「知れたことをいえ。この臭いはどうしても古狸の種類に違いない。
狐は滅多にこの四国の地には居そうなことはない。」

なるほど狐は四国には居ない。

どういうもので居ないかというと、
空海上人、弘法大師様が狐を封じられたということを世俗にいい伝えてあります。

四国には決して狐は棲息(すまい)をしておりません。

その代わり狸はたくさんすんでおることでございます。

よって狐付きというのはございませんが
あるいは狸付きだとか、または犬神付きというのはたくさんあります。

すでに前年伯龍(わたくし)がご披露いたしました松山狸問答のお話にも詳しく述べてありまする通り、
伊予の松山御領分の中、かの九谷熊山といえるところに中国の総大将とて棲息(すまい)をいたしたというのは
犬神刑部(いぬがみぎょうぶ)狸という、これは六百年から棲息いたしておったもの、
それで自分の身長(みのたけ)は四尺もあろうという、総身には金毛を生じまして
尾は二股にわかれ、神通自在を得まして、
遂に十五万石の松平隠岐守様ご領地を騒がしたというような事実もあるのでございます。

しかしその時分とは本講談に申し上げまするのとは、時代が違います。

何分これらの狸はもはやこの世を去って、今では六右衛門狸というのが四国では長(おさ)となっております。

そこで多くの狸は、この者から支配を受けまして、皆それぞれ行(ぎょう)が満ちました上は官位を授かるのでございます。

しかしこの大和屋茂右衛門の宅へ来ておりまする狸は豆狸であるか貉(むじな)であるか
またはどこに棲息(すまい)をしておるものであるか、
それが一向わからぬのでございます。

兎に角に家の繁昌を大きに喜んで日々にそなえ物をしておりました。

ところが頃しも天保の十年三月中旬のことでございましたが、
今では大和屋の宅も四方よりの注文に日々追わるるくらい、手広く家業をいたすことになりました。

ところが店の職人の中に亀吉というものがありました。

これは丁稚(でっち)の時分から、この茂右衛門に仕えまして、いたって正直な人間でありました。

当年十八歳となりましたが、ぼんやりいたしております。
あまり常から人なかへ出ましても物数もいわぬ質(たち)でございます。

しかし小僧の時分から主人夫婦にも気に入られ、亀吉亀吉といって可愛がられておりましたが、
今日しも店の藍壺の片ほとりに亀吉は主人にいいつかった仕事をいたしておりましたが、
いかがいたしたものでありますか、
にわかにブルブルブルとふるえ出し、ふるえながらもスックリと亀吉は立上がりました。

染物につかいまする二尺ばかりの竹を両手でつかんで、
あたかも御幣(ごへい)でも振るような形でブルブルブルふるえ上がっておりますから、
他の奉公人も大きに驚いた。

「オイオイ亀吉、どうしたどうした、何をするのだ。
オイお前、おかしな真似をしてはいけないぜ。」

と皆の者は変に思っておりまするうちに、
亀吉はそれらのことには頓着せずブルブルふるえながら手に持った棒をますます振り回しまして
そのまま奥へやってまいりました。

今、奥の間で諸方から来た注文について忙しそうに帳合をいたしておりました主人の茂右衛門の前に来ますると、
それへヒタリッと座り、お辞儀をいたしました。

この様子を眺めて驚いたのは主人の茂右衛門。

茂右「これこれ亀吉、貴様何をしているんだ。」

亀吉「旦那様、誠に私はこの度あなたに厚くお礼を申し上げようと思いますので、
わざわざご当家の職人亀吉殿の姿を借りましたが、
この裏の蔵のわきに地がほれまして穴が空きました、ところがその穴に来って棲息(すまい)をいたしておりまする、
私(わたくし)はこの裏手にございまする鎮守の森に永らく棲息(すまい)をいたしておりまする
金長と申しまする狸でございます。
今日は改めてご主人さまに日々(にちにち)食べ物を結構にいたしてくださいまするそのお礼にまかりいでました。
お忙しい中を斯様(かよう)なことを申して済みません。
ちょっとお願いに出ましたような訳あいでございます。」

茂右「エエアア何だ。お前は狸だ。
さては何かこの裏にすまいをする狸というのはお前であったか」

と茂右衛門もますます驚き、怖々ながら家内を始め奉公人もそばへ来って亀吉の様子を見ておりますると、
主人はことによったら、おれに何か仇をするのではなかろうかと思うにつけて、
心弱くつはなるまいと気を励まし、

茂右「して何ぞ用があって来たのか。
お前には日々食べ物があてがってあるではないか。」

金長「ハイそれでございますから、お礼のために出ましたのでございます。
実にあなたのおっしゃる通りに日々結構な食べ物を下しおかれまして、
お陰様に眷属どもまで安楽に養うことができまして、ありがたいしあわせ、
つきましては貴方のお身の上は充分及ばずながら私が保護をいたしまして
ご当家の商売繁昌を祈るようにあい守りまする。
また貴方様のお身を守っておりまするのは昨日今日のことではないのでございまする。
未だ貴方が紺屋の嘉平治様のお宅にご奉公中の折からも、
及ばずながら私が貴方様を蔭身(かげみ)につきそいまして、充分に守っておったことであります。
どうぞゆくゆくはご立派な家業のお出来なさるようにと多年の間守護いたしておりました。
しかるに今は斯く立派にご商売をなさいまして、
おいおいお顧客先(とくいさき)も増えてまいりまするのは何より結構、
蔭ながら私も喜んでおりますることでございます。」

茂右「何だと、おれが嘉平治さんの家に奉公しているうちから影身に付き添って守った、
それはおかしな話だ。
別段これまで私は狸を贔屓(ひいき)にしたこともなければ、何一ツ食物(くいもの)をあたえたこともない。
畢竟(ひっきょう)ずるこないだ穴を見つけたによって、狸ででもあろうと思って
奉公人にいいつけて食べ物をあてがってやったのである。
しかるにお前は前々から私のからだを守護しておるというのはどうも受取れぬ話であるな。」

金長「さようにお疑いなさるのももっともでありますが、貴方を守護いたしておりますというのは
確かな証拠というものがございます。」

茂右「何だ、証拠がある、馬鹿をいえ。
して証拠というのは、ぜんたいどういう証拠だ。
それを話をしてみよ。」

金長「それなれば申し上げます。その証拠というものは貴方が紺屋の嘉平治様の宅にて、いまだご奉公中、
さようでございました、年限は今から三十四、五年も前でございましたろう、
八月八日のこと、ちょうど嘉平治様のお宅から手失火(てあやまち)がございましたことがございましょう。
あれは全く裏の物置へ対して放火(つけび)をいたしたものがあるのでございます。
その節貴方は正午(ひる)の仕事の疲れで、何にも知らないで、二階の部屋で前後不覚にお寝(やす)みになっておりました。
下からはドンドン燃えてまいりますると、他の奉公人は肝をつぶして、
貴方を助けるどころか、自分の身を命カラガラ逃げ出したようなことで、
そのままに捨て置く時にはついに焼け死んでおしまいなさるのでございます。
だから私はそれとなく、貴方を揺り起こしたございますが、
いくらお起こし申しても貴方は夢中でございまして、しまいには堪らなくなりまして、
貴方の枕を蹴り飛ばしましたことがあります。
そこで傍の一枚の雨戸を打外しまして、貴方の枕元へ投げつけました。
その物音に気が付いて既に危ないところを貴方はお逃げなさったことがございましょう。
あれは私がこちらへというので無理から表の格子の破れからお逃がし申したのでございます。
それ故、危ない命をお助かりになりました。
それからようよう鎮火の後、仮屋だちでございましたが、
後にはどうやらこうやらお家ももともと通りに普請にあいなりました。
ところがその後、曲者はかの嘉平治様のお宅へ両度まで放火(つけび)をいたしたことがございます。
一度はあの紺屋の下女に化けまして、その曲者を追っ払ってやりました。
また一度はもえ上がらんとするところを家内のものを呼び起こして、これまた危ないところを消し止めましたことがあります。
これらのことをよくお考えくださいましたら、お思い出しにもなりましょう。
その時分から私は貴方のご気しょうに見込みをつけまして、
蔭ながら守護いたしておりましたのでございます。」

と意外な話がございますから茂右衛門も非常に驚きまして

茂右「なるほど、そういうと、おれが親方の家に奉公していた時に、あの出火の際、おれが気が付かずに寝ているところを
誰かおれを起こしてくれたのであったが、おれの枕もとで大きな声で呼んだものがあるので、
夢中にあの時は部屋から逃げ出して、少し火傷したものの危ない一命を助かった。
なるほど、それから後、二度も放火をした曲者があった。
さては何か、あの時私を助けてくれたというのはお前か。
それはそれは今まで私はそんなことはちっとも知らずにおったのだ。
しかしお前は狸で何といったな、名前は。」

金長「ハイわたしは金長という狸でございます。
当年ようよう二百六歳になります。
この日開野の鎮守の森にすまいをいたしておりまして、この界隈では多くの藪狸(やぶたぬき)を集めまして
その取締りをいたしておりまするものでございまする。」

茂右「ムムウ、さてそういうこととも知らずして、これまでお前に礼もいわなかった。
しかしお前は畜生ながらもそのような心得であれば、私の宅も繁昌、どうぞ相変わらずこの後も私の家を守護してください。
その代わり、出入りの大工にいいつけて、かの蔵のわきへ一ツの祠を建てよう。
そこでお前を正一位金長大明神と立派に祀ってあげよう。
何分よろしく家の守護を頼みますぞ。」

金長「アアイヤご主人、ただ今の仰せはありがとうございますが、
その正一位というところはチョッとお見合せ下しおかれまするよう願います。」

茂右「ホーホーいかんか。」

金長「ハイ私は未だ官位のない身の上、ただそのまま狸としてお祀り下しおかれますればありがとう存じます。
金長明神で結構でございます。
そのうちに私も正一位の位は受けるつもりでございます。」

茂右「ハハアさようか。それぢゃマアすぐにお前の立派にすめるようにしてあげよう。」

ここで夫婦の者は職人どもにもこの話をいたしまして大きに茂右衛門も喜びました。

ところがだいたいこの亀吉という男は、ただ正直というのが取柄(とりえ)でございまして、
さて仕事にかかりますると店の数多の奉公人のうちでは一番劣るぼんやり者でございましたが、
この金長という狸が姿を借りましてから後というものは、
生まれ変わったようになりまして、
亀吉の働きぶりは実に目のまわるばかりの有様でございまして、
人から見ると大概十人前ぐらいの仕事をいたしまする。

茂右「お前のようにそう手取り早くやりなさるが、それで染上がっているか。」

亀吉「ハイご覧くださいませ。この通りでございます。」

そこで主人は仕事を手に取って見ると立派に出来上がっておりまする。
他の奉公人から見ると仕事がよほど出来るのであります。

これまったく亀吉の腕前ではこれ程に出来そうなこともないが、金長という狸が乗り移っておるからで、
ただ始めの程は不思議に思っておりましたが、他の奉公人も皆々変な思いをいたしまして、

「オイうっかりと亀吉を相手にするな。
からかうとあれには明神様がついていなさるから、どんなエライ目にあうかも知れぬぞ。」

と皆の者も怖がります。

つい夜分など怖がりながらも皆々噂をしておりまする。

「あの紺屋の茂右衛門さんの宅の亀吉は、当時狸がついているそうだが、
ひごろとは違って大変に仕事が見事にできる。
またあの亀吉という男は今まではほとんど無口で物事も何もわからなかった男であるが、
この頃は何事を尋ねても知らぬことはないという程で、
亀吉に聞いてみると何でも詳しく知っておるというのは、
明神様が乗り移っていられるからである。」

と人々は非常に評判をするようになってまいりました。

すると後にはその近傍ばかりでなく近在までもこの噂が立ちまして、
鰯の頭も信心からというへもありまするから一ツそれなら亀吉に頼んでみよう、
おれは三年このかた仙気で腰がいたんでたまらぬ、
今もってなおらぬが、一つ伺ってみたらなおらぬこともあるまいから、
一ツ金長狸に指図を願ってなおしてもらいたいものであると、
わざわざ乗り込んでまいりまして亀吉に聞くと、
これはそうしなさい、ああしなさい、と亀吉から指図をしてくれます。

あるいはチョッと※懸合事で行くと、いうについても、
その時にこう話しかけたらよいとか、
あるいは方角のことを聞けば、今日は東に向かって行くのは大きによくない。まず西南の方が極よいからとか、
応対事なら必ず勝つであるとか、こういう※掛合事にはこうしなさいと、
皆その事柄事柄によって尋ねる、
それについての答えをその通り守ってやってみると見事にそれが適当するのであります。

しかしこうなってくると後には五人十人と追々この紺屋の大和屋へ出かけてまいりまして、
どうか明神様へチョッとお伺いを願いたいと続々ものを頼みに来るものがありますから
その事柄について一々物の吉凶を説き示してやるのでございます。
もちろん自分は無欲でありまして、いくらいくらの報酬を受け取らんければ教えてやらんというのではないので、
そこはその礼としてこういうものをお供えしたいとかいって色んな供え物を持ってまいります。

別に亀吉は自己(おのれ)の利欲にするという考えは毫(ごう)もございません。
ただ大和屋の奉公人でございまして、自分は夢中になって
問わるるままに様々なことをしゃべり立てるというのは、
これ皆金長狸のいわせることでございまして、
そうなりますとこの界隈の人相見だとかあるいは易者というようなものは、
皆 不景気(あがったりや)でございます。

しまいにはこの界隈の人相見らは到底ここで業をいたしておることは出来ません。

ところがここに、この日開野にこれまで繁昌いたしておりました人相見の一人で梅花堂法印という先生がありましたが、
大きに金長のことを聞いて立腹いたし、一番その金長という狸を取って押さえてやろうと
よせばよいのにわざわざ自己(おのれ)は自慢で大和屋へ出かけてまいって
かえって金長のために凹まされるというお話、チョッと一息いたしまして申し上げます。

※阿州…阿波。徳島。
※むぐらもち…もぐら。
※懸合・掛合…談判し交渉して決着をつけること。

実説古狸合戦 四国奇談 第二回へ続く

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