実説古狸合戦 四国奇談

実説古狸合戦 四国奇談 第五回

さて、これまでは金長という狸が…

さて、これまでは金長という狸が彼の大和屋茂右衛門について話をいたした次第であります。

で、これからこの金長がその身の希望を達せんと、
自分は日開野を立ち去って津田浦の穴観音に出かけて参りまして、
修行をするというと、修行中、間違いが出来まして、狸同士の合戦というものが起こるのでございます。
今までとは違いまして、これから後のお話は狸と狸とのお話ということになりまして、
何しろ剣道修行の者が武術の修行に出かけるとか、
免許皆伝を受けるまでには、こういう修行をするということは、
よく私どものお話を伺うことでございますが、
何分人間とは違い狸同士の話でございますから、
狸がチョッと大小刀(だいしょう)を差したり、
または狸が刀を引っこ抜いて相手を斬る、
あるいは狸が自害をするとか、
こういう間違いができるというのは、おかしなものであります。

これを狸だからと申して、その行いぶりを狸の所為(しわざ)として申し上げることになりますと、
事柄が狭くなりまして、その場合によっては甚だ申し上げにくいのでございます。

それで人間が互いに活動する如く、なぞらえてお話をいたすことに仕りますから、
どうかその思召しをもってお読み取りのほどを願いとうございます。

総てこれからのことは人間がものをいうのではない、
狸同士の奇々妙々なお話でございます。

しかしこれは後にいたって人間の話で、こういうことがあったという、その土地の実説として伝えられましたのを、
お話申し上げるので、嘘のような実説でございます。

どうかその辺を前もってよしなに、ご了承のほどを願いおきます。

さて、ここに彼の金長という狸でございます。

畜生ながらもこの所にあって、二百余年の間棲息(すまい)をしております。

これらにしてみれば、それで左(さ)のみ老爺(おじい)さんというのではない。
人間にとっていおうなら、血気盛んの、これから修行をしようという、若者のようなぐあいに、あいなっております。

その身は日開野の鎮守の森に永年棲息をしておったのでございます。

で、我が眷属狸を多く自分の古巣へ集めました。

すると眷属狸のめいめいも、この度金長なるものが、津田浦の穴観音へ向けて修行に出で、
大将六右衛門狸の手もとに暫時(ざんじ)滞在の上、
功を積み、修行の満ちた後、官位を受け、
この地においても正一位の官を持っておれば、
自分で官位を眷属狸にも授けることが出来るのであるから、
その出立を祝さんというので、追々と集まって来ます。

まず、その出立の前日のお話でございますが、
これは金長の館でございますから、その思召しでお読み取りを願います。

正面の大広間の一段高い所には、当館の大将金長、座を占めまして、
一段下がって左右には、多くの眷属ども、きら星の如くに居流れまして、
その所へ向けて山海の珍味、種々様々な馳走を取出しまして、
人間で言わうなら送別会というようなことでもあろうか。

その酒宴(さけ)も半ばにおきまして、大将金長は

金長「さて、いずれも御一統の方々、私が申すまでもなく、定めてご承知でもあろう。
我は彼の日開野の大和屋茂右衛門殿宅にあって、主人に待遇(もてな)され、
彼の家を守護いたして永らくこの地に棲(すま)っておったのであるが、
もはや今年は二百七歳とあいなった。
しかし官位なくては、仲間の者に訓戒(しめし)をすることもできない。
ついては正一位の位を受けようとしてみれば、
津田浦へ参ってその修行をせんければあいならぬ。
よって我れ、彼の地へ乗込んだる留守中は、誰にか我が館を守らさんと心得たるところ、
幸い、年長者でもあるから高須の隠元、この者に申し付けたることである。
我が留守中は万事、高須の隠元の言葉を我が言葉と思い、よくこのところを守ってくれるよう。
またこの方も、当地を離れ、ただ一人乗り込むというのは、大きに頼りないことでもある。
誰をかなと心得、召連れ参る者を選びたるところ、
幸い、彼の藤の樹寺の鷹なる者、我を守護いたしてくれるということであるから、
彼の鷹なれば大丈夫、片腕になるものと思うのである。
よって我と鷹と二匹がこの地を出立することにあいなったから、
どうか後々のところを、よろしく頼みまする。」

と、斯様(かよう)に金長は述べますると、眷属狸はいずれもまず頭を下げましたが

「いかにも、御大将のおっしゃる通り、我々はもとより、その辺を承知仕りました。
どうか一時も早く官位をお授かりにあいなって、
後はこの地へお帰りのほどを、我々一同、待ち受けおりますることでございまする。
しかし御修行中は申すまでもなく、必ずご短気なことをなさらぬよう、
またお身を大切になさるよう、願いとうございまする。」

この時、座の中央より、それへ進み出でましたのは、藤の樹寺の鷹でございます。

鷹「アー、御一統、定めてご承知であろうが、身不肖なれども、この鷹が金長殿を守護いたす。
我が棲家は忰(せがれ)両名に任しておくことでありますから、
どうか何分我々不在中、彼らは弱年のことでありますから、各自(おのおの)方の保護を願いたいものであります。」

「イヤ、それは誠にどうも我々一統の望むことでありまして、
殊にお兄弟の衆は年も行かれぬこと、
我々が付き添いおりますれば、御身(おんみ)がこの地にお留まりあいなったも同様、
しかし何分彼の地に滞在中は、万事大将の身の上はその許にお任し申すことでありますから……」

鷹「いかにも承知いたした。」

この鷹といえるものは、狸仲間ではなかなか豪傑、抜群のものでございます。
充分力量もあり、腕の覚えのあるものと見なしたのであります。

この時、金長は高須の隠元に向い

金長「隠元殿、我留守中は何分万事、その許が眷属ども一統を保護いたしくれるよう、
くれぐれもお頼み申すことである。

隠元「いかにも承知仕りました。身不肖なれども、この高須の隠元が、ご不在中は確かにお引き受け申しますから、
ご安心あって、後に心を残さぬよう御修行が肝心でございます。」

と、それぞれ挨拶に及びましたが、やがてその身は余程深更(しんこう)にあいなるまで、送別の宴を催しておりましたが、
さて金長は旅の用意も充分いたしまして、
人間なればこういう所を、出立するという場合でございますから、
紺緞子(どんす)天鵞絨(びろうど)深縁(ふかべり)取ったる野袴(のばかま)にて、
黒羽二重(くろはぶたえ)定紋付(じょうもんつき)、金銀をちりばめたる大小刀(だいしょう)を帯挟(たばさ)み、
紺足袋には切緒の草鞋、手には鉄扇を握っていようという扮装(いでたち)。

また後に従う鷹といえる者は、これまた主人と同じような扮装(いでたち)をいたして、
殊に目方三貫目(がんめ)もあろうというような鉄棒に等しい杖をついて、
もっとも色黒く、眼中鋭く、眼(まなこ)輝き渡り、充分腕に覚えのあり、
万事道中の取締りをいたそうというので、
この二人の手荷物は眷属狸のうち、マア大抵豆狸ぐらいで、
こいつは紺看板に梵天帯、真鍮金具の木刀でもきめこんで、尻を高く端折り、
八丈敷の睾丸(きんたま)は隠したか隠さんか、その辺まではしっかりわかりませんが、
荷物を引っ担いで、住み馴れましたる日開野の鎮守の森を出立するという、
まさかそんな姿をしたかせぬか、それもわかりませんが、
マア大抵そうだろうと想像いたすのでございます。

人間とは違いまして相手は四つ足のことでございますから、
朝の日の出を待って出立というのではない、
その夜の丑刻(やっつ)過ぎの頃おい、住み馴れましたる古巣を出立いたして、
いよいよ、彼の津田浦へ出かけるというのでございます。

途中は別に変ったお話もない、マア彼らのことでありますから、
道中第一の用心は彼(か)の犬などに出遇わぬようにいたして、
そうして夜分にコッソリと、人の寝静まった頃おいから往来をすると、
こう思われるのでございます。

さて、出かけてまいりましたのは、彼の津田浦の穴観音という所、
もっとも、この辺は大変一時(いっとき)繁昌いたしました
というのは、
この土地に棲息(すまい)をいたしまする六右衛門狸というものが、
いろんな不思議なことをいたしまして、そこでこの穴観音を流行らせました。

それが六右衛門狸の功でございまして、
今では狸仲間では総大将というのでありますから
まずチョッと一ツ城のような構えをいたしております、立派な六右衛門の館(やかた)でございます。

この門前に鷹を待たしておいて、金長ズッと門をはいりまして、正面の玄関にかかりますると

金長「お頼み申す、頼む」

案内を乞いますると、この玄関を預かりまする、眷属狸と見えまして、
それへ出かけてまいりましたが、見ると立派な風体(ふうてい)のものでございまする。

取次「これはこれは、何方(いずれ)からお出でにあいなった。」

こなたは金長、恭しく頭を下げまして

金長「当御館(とうおんやかた)の御大将、六右衛門様お在邸でございますれば、
どうかお目通りを願いたく、わざわざ罷り出でました。
斯(か)く申す私は、彼の日開野鎮守の森に棲居をいたしまする、金長というものでございまする。
かねて御大将の御高名を慕い、わざわざこれまで参りました。
どうかお目通りを仰せつけられましょうなれば、有難きしあわせにございまする。」

取次「アアさようか。それでは暫時待っていらっしゃい。一応取り次いでみましょう。」

やがて取次は奥へ参りまして

取次「恐れながら申し上げます。」

六右「何じゃ。」

取次「ただ今立派な若者、一人罷(まか)り越しまして、御大将にお目通りを願いたいと申しております。
いかが取り計らいましょう。」

六右「何者である其奴(やつ)は。」

取次「日開野鎮守の森に棲居をいたす金長と申すものであります。」

六右「何、さては日開野の金長が参ったか。」

未だこの大将六右衛門は、金長に出逢ったことはないのでございますが、
しかしかねて眷属の者共より、彼の日開野の鎮守の森に棲居をする、金長といえる者は
当時、南方(みなみがた)を占領いたし、数多眷属があって、
彼より年長の者が、金長の器量を慕い、これを長といたして敬うという、
容易ならざるところの若者である、ということは聞いておりますから、
大体金長がこれまで我に一言の挨拶もしないというのは、甚だ不都合なことである、
と心中心得ておりましたが、
然(しか)るにわざわざ訪ねて参ったというのでありますから、
心のうちに六右衛門狸は笑(えみ)を含んだ。

「ハハア、さては彼奴(あやつ)が官位を受けんといたして、この所へ乗込んで参ったのであるか。
こりゃ、こうなくては叶わぬことである。」

と、六右衛門狸は大きに満足の体(てい)にて

六右「改めて面会をいたす。それ、者ども。その準備(ようい)をいたせ。」

と、ここで眷属どもに申しつけまして、
いよいよ穴観音の館の内におきまして、大広間ともおぼしき立派なところへ向けて、
一方に褥(しとね)を設け、六右衛門狸はその所へ着座をいたしまして
脇息(きょうそく)にかかって、
かねて自分が部下といたしてこの館のうちに養いおきまする数多の家来を、なるだけ大勢(たいぜい)左右に並べまして、
銀の燭台には燈火(あかり)を万燈の如く点じて、昼をも欺くばかりの有様でございます。

六右「準備(ようい)よくば、その金長なるものをこれへ案内いたせ。」

取次「かしこまりましてございます。」

と、取次の者は再び玄関へ出てまいりました。

取次「御大将、お目通りお免(ゆる)し下しおかるることであるから、いざ案内をいたす。お通りなさい。」

金長「ハッ。」

と答えまして金長、やがて左の手に…ドッコイ狸に手はございませんはず、おおかた足でございましょう。それはどうでもよろしいが、彼(か)の一刀を携え、
案内に連れられまして奥の一間へ通りましたが、
正面一段小高いところには六右衛門狸、泰悠然とひかえております。
ほどなく案内に連れられまして、この居間へ通りましたは彼の金長でございます。

まず、お定まりの通り、初対面の挨拶をいたします。
もっとも金長は、その身は授官の身の上でありますから、
はるかに下がって礼を厚くし、恭しく頭(こうべ)を下げて

金長「これはこれは、かねて噂に承りました貴方が六右衛門公にいらせられまするか。
私は日開野鎮守の森に棲息(すまい)をいたしまする金長と申すものでございます。
かねて貴公(そんこう)の御高名は雷の如く聞き伝えおりました。
今回わざわざお目通りを願いましたのは、何卒私に官位をお授けあらんことを願いたく、
また授位に及びまするについては、それ相当に修行を仕りたく、
不肖な金長でありますが、以来はお見知りおかれまして、万事ご教導下しおかれましょうなれば有難きしあわせに存じ奉る。」

と、我が身をへりくだって挨拶に及びました。
然るに六右衛門はつくづく金長の姿を眺めておりましたが、
この金長というものは、当時血気の男でございまして、
殊に天晴(あっぱ)れ器量のある者ということは平素(ひごろ)眷属どもから聞いております。
いかなる者であろうと、その様子を見るといかにも身体に少しの隙もなく、殊に愛嬌は零(こぼ)るるばかり、
なるほど、当時南方において多くの狸党(りとう)の中(うち)、立者(たてもの)と言わるるだけあって、
自然(おのず)と備わるその逞(たくま)しき骨柄(こつがら)に、
六右衛門ほとんど感心をいたし、快く承諾をいたしてくれました。

六右「どうか暫時はこの地に逗留(とうりゅう)をして修行をいたされよ。
及ばずながら、お身の働き次第によって正一位を授くるか、正二位を授くるか、如何様(いかよう)ともお身の器量次第に授くることである。」

と、まずその日は彼の金長を饗応(もてな)します。
金長もしきりに六右衛門を敬いまして、
いよいよこの地に留まって修行をいたすということになりました。

よってこの穴観音より七、八町離れました所に、小川の森という所があります。
その所に旅館を求めまして、その身はこの処(ところ)に宿泊をいたすことになりました。

彼(か)の鷹をこの旅宿に残し置き、日々(にちにち)穴観音の館へ出かけまして、
六右衛門を敬い、その修行をいたすのでございます。

金長は別段に修行はいたしませんでも充分に器量のあるものでありますが、
何分相手の六右衛門というのは、当時四国においてこの狸党の仲間で総大将というのでありまして、
たとえ如何(いか)ほど器量があるにもせよ、この者から
これなればこれこれの位を授けても苦しゅうない、という、見込みの付きまするまでは
まず一通りの修行をせんければならぬのであります。

そこで金長は一生懸命となって彼の変化の術というものを習うのです。
これは何かといいますと人間を程よく誑(だま)すのでございます。
それにはやはり、それ相当の稽古をせんければならぬ、
どこそこの、どういう狸はこういう工合(ぐあい)にして人を誑(だま)した、
また彼はこのような誑(だま)し方をしたという、
そこで段々功を経ますと、うまく人を誑(だま)す方法を覚えるのでございます。

これを彼らの仲間では一ツの名誉として威張るのでございます。

もっとも金長は狸とはいえど総ての物事に通じまして充分出来まするところから、
この度、六右衛門から問題を出しますると、それはこうだ、ああだ、というので速やかに答弁(こたえ)もいたします。
ただ一生懸命に修行をいたします。
実に六右衛門も、ほとんど感心いたしました。

六右「彼は聞きしに優(まさ)るところの器量あるものである。
何でもこの者を一ツ味方に引き入れて、我らが基礎(どだい)をかためよう。」

と見込みを付けましたところから、種々様々なことを彼に教えるということになりました。

六右衛門は老体のことでもありますし、
自分には二人の子供がありまして、
娘を一人持ちまして、これを小芝姫(こしばひめ)と申し、
実にこの穴観音の館にて蝶よ花よと育て上げに及び、
今は妙齢(としごろ)となりまして、
六右衛門はいたって秘蔵いたしておりまする。

この小芝姫の弟に千住太郎(せんじゅたろう)というものがあります。
まだこれは弱年のことでありまするから、修行のために六右衛門の家を離れ、
かねて讃岐なる彼の八島の化狸の許へ当時修行に参っております。

この千住太郎というものは、短期で荒々しい男でありまして、
到底自分の跡目相続をさせたところで治まりそうなことはない、
よって願わくば姉の小芝に然るべき婿を選びまして、
そこで自分は跡目相続をさして、その身は隠居をして、あくまでも四国で威勢(はば)を利かそうというのでございます。

平素(ふだん)からその事を心がけておりました。
ところがこの度やって参りました彼の金長の器量を大きに感心いたしまして、
どうぞして、なるべくならば、この者を充分仕込んだ上で、我が娘の養子にしたいものであるという、
六右衛門の望みでございます。

だからおしまず自分の覚えたるだけのことは彼に教え込むことでございます。

ところが金長は決して修行中に色情の道に溺れこむというようなものではない、
何でも一生懸命となって、一日も早く官位を授かった後は郷里へ立ち帰って、
自分の希望(のぞみ)を達しようという考えでありますから、
実にわずかな時間も怠ることはございません。

だから金長は追々器量が進んで参ります。

もうそうこうするうちに、この館へ入り込んでまいりチョッと一年ばかり一心に通うて励んでおりました。

ところが何分四国において狸でもチョッと今言ってみれば学校というようなものを建ってありまして
これまで諸方から入り込んでまいりまする狸党(りとう)の者ども、
追々授官を願うというので修行をいたしております。

自分から見れば古い狸も沢山(たくさん)ありまする。
だがそれらの者は追々金長が追い越しまして、
どのようなことを金長に問題を出しましても、
少しも存ぜぬということはない、
マア他の者におきましても、金長という名前を聞いて、
これまで日開野に棲息(すまい)をいたして無官の者とはいえども、
多くの眷属を集めて、その長にあいなっておりまするものでありますから、
決して馬鹿にはいたしません。

そのうちにこれら古参の者をも追々、追い越すというようなことで

「なるほど金長という者はエライものだ。なかなか器量のあるものだ。」

と皆々感心をいたしておりまする。

六右衛門も、また彼の修行ぶりに驚いて、
なるほど金長は天晴(あっぱ)れなものだと思うについて、
その力量、心のうちも如何なものであろうと、様々に試してみますが、
何一ツとして劣ったところがない、
よって彼が修行をして帰りますると
六右衛門はその後で、まず娘あるいは召使いの者を集めまして酒宴に及びまする。

六右「なんと、おれもこれまでに数多(あまた)弟子を取ったが、
その中にも此度(こんど)参った金長ほどの器量あるものはない。
実に彼の狸ぶりといい、またその行いといい、何一ツ不足のないものである。
どうじゃ小芝、あの金長を何と其方(そち)の婿(むこ)にしてやろうか。
其の方もゆくゆくはいずれ一人(にん)夫(おっと)を持たんければならぬ。
あのような器量抜群の者を夫と為(な)して、其方(そち)がこの家の跡を継いでくれれば、
私(わし)は誠に安堵をいたすことである。
しかし其方(そち)の気に叶(い)らぬものを無理にとは言わないが、
どういう考えであるか、一応其方(あおち)の思惑を尋ねる。」

小芝「アレマアお父さん、御冗談を仰せられます。妾(わたくし)はまだ早うございます。」

と口には言えど小芝姫、心のうちでは嬉しき想いをしました。
始めの程はしきりに父が彼を褒めておりますから

「どのようなものであろう。」

と折々彼が学問をいたしておりまする次の間で、
窺視(すきみ)をいたして金長の様子を見まするところが、
噂に違わず愛嬌もあり、その男ぶりといい

「我も生涯に一度は殿御を持つ身の上である。あのような方を。」

と、ふと思いつきまして、ついに初恋のムラムラと起こりましたものか、
折々は同じ館の中でも金長にも出合うことがありますから、
何となく怪(おか)しな眼つきをいたし、しきりに眼でものを言わしておりまするけれども、
肝心の金長には少しもそのような感じがありません。

なるほど六右衛門の娘の小芝というものは※縹緻(きりょう)の美(い)い女ではあるが、
しかし時々妙な眼つきをして、おれを眺めておるが、
ハハアさては※眇眼(すがめ)ではないか知らぬ。

こう思うのでございますから、
いくら小芝姫が想いをかけたところが、鮑(あわび)の貝の片思いというのでございまして、
それがために、ますます小芝は心を悩ましておりまする。

ところが意外にも父からこの言葉が出ましたところから、ことのほか喜びまして
ますます金長を恋い慕うということになりました。

ところが金長はかねて大和屋茂右衛門に受けましたるその恩報じ、
その身は官位を授かった後は一日も早く村へ帰って、
ますます大和屋の家を守護いたしたきものという決心でございます。

どうぞ、いたして早く官位を受けたいという考え、ただそれのみに心を寄せまして、
たとえどのような女があろうとも決してそのようなことに心を寄せるものではない、
そうこうする中(うち)に早や一年の星霜は経ちました。

ところが流石(さしも)の六右衛門も、もうこれに対して教えるところの術もございません。
大きにその身は彼に恥じらうばかりの様子合でございます。

時々は金長から難しいことを問われますると、
自分もその答弁(こたえ)に困るくらいなことでございます。

六右「金長、お前には実に驚いた。
私も永年数多の門人を引受けておるが、お前のような物覚えのよい者はない。
どこでそんなことを習って来た。私でさえもその意味が解らぬ。」

金長「これはお師匠様、ホンの聞き学でございまして、人様から承りました。」

六右「イヤイヤ、そうではあるまい。なかなか感心なものだ。
もうこうなってみると、お前に一日も早く正一位の位を授けんければならぬ。
必ず今月は吉日を選んでお前に一ツその官位を授けるということにしましょう。」

これを聞いて金長はハッと飛び退(じさ)りまして、頭(かしら)を下げ

金長「これは有難きお師匠様のお言葉、何分よろしくお願い申し上げます。」

まず本月のうちには多分正一位の位を受けらるるであろう、と
本人はそのことを楽しみに、なお励んで修行をいたしておりまする。

六右衛門の方では、それとは無しに娘を手もとへ呼び寄せまして、
彼が心のうちを探ってみると、
否にはあらぬ稲舟(いなぶね)の触らば落ちんという彼が様子合、
その辺を推量いたして、まずこれなれば至極好都合であると思うにつけて、
この小芝の母と申す者は、これは彼が幼少の頃おい没しましたことでありますから、
父親の手で育て上げました六右衛門でございますから、
どうも彼は金長に心を寄せておりますることが見えてありますものの

「どうぞお父様、あの方を妾(わたし)のお婿様にもらってください。」

といって、ハッキリいい出でますれば誠にしよいのでありますが、
ただ未(ま)だ早うございます、といって、断りますから、
しかと娘の心を確かめておいて、その上、金長に話をしようというのでございます。

よって自分もつくづく考えまして、
この小芝を藁(わら)の上から育て上げました乳母(めのと)がございまして
小鹿の子(こがのこ)というものであります。

それは自分の部下で津田山に棲息(すまい)をいたしまする、鹿の子(かのこ)という二匹の夫婦ものを
我が子のそばに仕えさせてありまする。
この鹿の子夫婦の者を呼んで、とくと小芝姫の心腹を聞いた上にしようと、
さて六右衛門はこの縁談のことについて奔走いたし、
金長を手もとに留めようとしたのが、事ならずして
意外にもここにとんでもない騒動が持ち起ころうという、
これから有名な狸合戦ということにあいなるお物語でございますが、
チョっと一息いたして。

※縹緻(きりょう)…容貌。顔立ち。みめ。
※眇眼(すがめ)…斜視。

実説古狸合戦 四国奇談 第六回へ続く

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