日開野弔合戦 古狸奇談

日開野弔合戦 古狸奇談 第五回

さて道中は別に…

さて道中は別にかわりましたお話もございません。

道を急いで両狸(りょうり)は日数(ひかず)を重ねて、漸(ようよ)うその月の下旬、
国許の穴観音へ到着をいたしました。

本来なれば前触れを以て城中に知らせ、道筋もそれぞれ若様のお帰りというので、
警護等もあるべきところでございまするが、
今は荒れ果てたる城内の状態、一頭の出迎いの狸もなく、
誠に哀れなものでございます。

だから両狸はただただ顔を見合わせ、穴観音の有様をつくづく眺めて見ると、
実に城は荒れ果ててしまい、草は蓬々(ほうぼう)と生(お)い繁っているであろうと思わるるばかりの有様。

自分の伯父というのは彼の川島葭右衛門(よしえもん)というのでございますから、
この許(もと)へわざわざ尋ねて参りましたのでございます。

これは毎々(まいまい)お話をいたしました通り、
六右衛門の四天王の一頭、川島九右衛門、その弟の作右衛門の親にいたしまして、
川島太神宮(だいじんぐう)のお宮の裏手に大いなる森がございます。

その森の傍らにある穴に棲息(すまい)をしております。

これは長年六右衛門の盛んな時分には手伝っておりました者でございます。

ところが何分その身は年齢(とし)をとりまして今は奉公も成り難く、
両人(ふたり)の忰(せがれ)が出まして奉公をさし置いて、
その身は隠居同様の結構な身の上、
恰度(ちょうど)この合戦がありまする時分は葭右衛門という者は不在でございました。

と、いうのも、老いを楽しまんがため、
四国を立って中国の方から北国路(ほっこくじ)へ漫遊をいたしおりました。

もっともこの四国から出る船の便を求めまして、
密かに彼の地へ押し渡って、奥州界隈までも見物に及びましたのであります。

そこで漸う当年の春国許へ立ち帰ってまいりましたが、
全く六右衛門は討死をいたし、忰二頭の所在(ありか)も分からぬことになってあります。

これは定めて六右衛門殿と共に討死をなしたものと諦めました。

国許(くに)に帰って容子(ようす)を見ると、
二代目日開野金長の勢いというものはますます盛んでありまして、
とても自分の力には及びません。

残念とは心得ましたが、ただ時節の来たるのを待つより仕方がないと、
我が古巣に引っ込んでおりましたのでございます。

ところが案内の者が来たって

「ただ今、穴観音六右衛門公のご子息、千住太郎様、
久々で当森にお尋ねにあいなりましてございまする。」

という知らせでありますから、葭右衛門はこれを聞いて大いに悦び

葭右「アア左様か、それはそれは、何よりのことである。
さては千住太郎は戻りましたか、サアどうぞこれへ呼んでください。」

とある。

やがて案内の者に伴(つ)れられまして、そのところへ通りますると、
千住太郎は葭右衛門と久々で対面をいたすということになりました。

太郎「伯父上、一別以来、貴方は老いて、ますますお盛んなことでございまして、
千住太郎の身に取り、如何(いか)ばかりか有難きしあわせにございます。」

葭右「オオ太郎であるか、アアよく戻ってくれた。
実はね、其方(そち)の戻りを指折り数えてあい待ちました。
定めて其方はこの度のようすを聞いたであろうが、分かったか。」

太郎「ハイ、伯父上、何もかも聞きました。残念なことをいたしました。
戦いのことは承知しておりましたが、よもや父の討死ということは心得ませんでした。
ところがこの度家来の飛田(とんだ)の八蔵が来たって、我が父の討死の話を聞き、
病中なれども師に暇(いとま)をもらい、立ち帰って参りましたのでございます。
伯父上、大きに残念なことをいたしました。」

と、そのところで泣き入るところのようすでございまするから、
葭右衛門は涙にくれまして

葭右「それはマアよく戻ってくれました。
定めてお前は立ち帰るであろうと、それのみ待っておったのである。
サアこの上からは其方に一臂(いっぴ)の力を添えん。
一日も猶予はならぬ。
定めて其方は親の敵(かたき)を討取ろうという精神で帰ったのであろうな。」

太郎「仰せまでもなく、もとより弔い合戦をする決心でござる。」

葭右「ムムウ、有理(もっとも)ではあるが、相手は二代目の金長、
以前(もと)は藤樹寺(ふじのきじ)鷹の一子(し)小鷹といえる奴であったが、
こやつは若者にして殊(こと)になかなか器量のある奴ということを聞いておる。
我が子の川島作右衛門を討取った曲者である。
今は日開野にあって己はますます威をふるい、勢い朝日の昇るが如く、
そやつの許(もと)を糺(ただ)して見れば、
其方の父が秘蔵いたしおった魍魎の一巻を奪い取って、彼が手にあると承ったが、
もとよりその魍魎の一巻を以て変化の術を狸族に授けて、
おのれ四国の大将となって、授官の程を自由にいたしおるという噂である。
よってこれをうち棄(す)て措(お)く時は、
ついには六右衛門の余類(よるい)の者はここに全滅いたさん。
それのみを残念に心得ておることである。
よって汝(なんじ)は一刻も早くこの地にあって旗挙げをいたせッ。
もとより六右衛門の子ということは狸党のめいめいはよく知るところであるから、
必ずこれまで受けたる恩義に報わんがため、味方は招かずして自(おの)ずと集まってくるであろう。
其方を大将となす時は及ばずながらこの葭右衛門、軍師の役を勤めるぞ。」

これを聞いて千住太郎は雀躍(こおどり)をして

太郎「有難きしあわせにございます。
伯父上、然(しか)らば早速弔い合戦の旗挙げの用意をいたします。
何卒(なにとぞ)軍師の役を御勤め下しおかれまするより、
ひとえにお願い申し上げまする。」

と、ここにおいて千住太郎をいよいよ弔い合戦をする、その手配りに及ぶということになりました。

しかしそれにつきましては何分(なにぶん)にも第一に軍用金というものが要ります。

それですから、そのことを伯父に相談をすると

葭右「よしよし、おれが一つ軍用金を集めてやろう」

というので、ここでこの葭右衛門という者は一工夫をいたしまして、
かの川島にありまする大神宮を繁昌(はやら)せることにしたのでございます。

というのは、こやつお札をこの界隈(かいわい)に撒きまして、
天よりこれが天降(あまくだ)ったということにいたしたのでございます。

サアそうなると、数多(あまた)のお祓いさまが降ってまいりまする。

大神宮様のお札が降った、これはお蔭年(かげどし)であるというので
おいおい人々がこれを拾い取って祀るということになりました。

このお札が降るというのは全く川島葭右衛門の所為(しわざ)で、
大神宮様のお札ばかりではない、いろいろの神様のお札を降らしました。

これが葭右衛門の働きとなりまして、その大神宮様へ多くの供え物をするようになりました。

これを兵糧なり軍用金にあてましたことでございます。

そこで十分準備が調いますると、いよいよ頃は天保の十一年九月十五日、
かの川島大神宮の境内において、狸族の旗挙げをするということになりました。

しかるに昨年かの穴観音の味方をして戦いに敗走いたして、
皆々穴の中に籠っているところを、この界隈の狸党は、招かずしてこの旗挙げを聞いて、
おいおい集まるということにあいなってまいったのでございます。

我も我もというので味方はたちまちの間に加勢が増してまいりまする。

今は千頭(ぴき)近うなってきたのでありますから、
ここにおいて軍師の川島葭右衛門は味方の狸族のその志を有難く思いまして

葭右「各々方(おのおのがた)、よくお味方を下された。
定めて御存知でもありましょうが、
昨年穴観音の六右衛門は日開野金長のために無念の最後を遂げております。
その一子千住太郎なる者は、かねて八島にあって修行中でございました。
父の戦死をいたしましたる時は何分(なにぶん)大病でありましたから、
今日(こんにち)までも延び延びになっておりました、
子として親を撃たれ、そのままに棄て措くという訳にはなりません。
よってこの度味方の方々の助勢をを得て、
斯(か)く旗挙げに及びましたることでございます。
各々方のお味方を下された上は、最早戦いは味方の大勝利と心得まする。
よって各々方も我が下知にしたがい、粉骨砕身、十分のお働きあらんことを願います。」

○「これはこれは、軍師のご挨拶恐れ入りまする。
仰せまでもなく我々狸党一統のめいめいは、
実に昨年敗走いたしたその無念のほどは心得ております。
時もあらばと切歯(はがみ)をいたしてあい待っておりましたのでございます。
斯くお味方をいたす上からはお気遣いあるな、
あくまでも我々は戦いを十分する心算(つもり)でございます。
この上からはお下知をいたしくださいまするよう、
十分一働(ひとはたら)きいたすことでござる。」

と、皆々勇み立ちました。

このようすを見て

葭右「アア、よくも仰せ下しおかれた。
金長とてもなかなか油断のならない奴、
殊(こと)に南方(なんぽう)で名高い田の浦太左衛門が尻押しをするというからには、
どうも油断のならぬことであります。
まずこれを討取るその手始めといたして、
以前(もと)は穴観音の家来でありました、津田山に棲息(すまい)をいたす、
鹿の子の妻、小鹿の子(こがのこ)といえる者、
こやつは獅子身中の虫とでもいいつべき奴であります。
敵に裏切りをいたして金長を助け、
女の身を持ちながら大胆にも六右衛門公に敵対をいたした曲者であります。
よってまず日開野へ押し出す前、手始めに軍神の血祭として、
津田山の小鹿の子の砦へうち向かい、彼を滅ぼし、
その機に乗じて我々一統日開野へ押し出さんと存ずる、
この義、各々方ご承知あらんことを願う。」

という。

多くの狸どもは悦びました。

日開野弔合戦 古狸奇談 第六回へ続く

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