実説古狸合戦 四国奇談

実説古狸合戦 四国奇談 第九回

さてまたここに金長狸はこれも先ほどより…

さて、またここに金長狸は、これも先ほどより大木の上にあって、
小石を飛ばして敵を悩ましておりましたが、
敵は眼にあまる大勢のことでございますから、
ついにはその中へ飛び込み、あたるを幸い、牙を鳴らして喰い散らす。

金長「深夜、寝所へ忍びこむというのは、甚だもって汝(なんじ)らは卑怯な奴。
汝らごとき藪狸の牙にかかる金長と思うか。
この四国において隠れもない犬神も怖れをなす、
日開野鎮守の森に数百年棲息(すまい)をなし、
その上この度、大和屋茂右衛門殿の守護を承り
たとえ官位はなくとも神に崇められたるこの金長の牙の勢い、
汝らを皆殺しにしてくれん。」

と多く群がる奴をあたるを幸い、喰いまわるという有様でございます。

実にその勢いは狸の所為(わざ)とも思われません。

この金長の牙にかかって、みるみるうちに数十匹はその所へ血烟(ちけむり)立ってうち倒れ、
左右に枕を並べて討死をするという有様であります。

この時、大将六右衛門はこれを眺めまして、大いに憤り

六右「憎っくいところの金長め。
彼いかほどの勇あるとも、多寡の知れたる敵は二匹、
我々かく大勢取り巻き、不覚をとるとは、いかにも残念。
この上は礫(つぶて)攻めをもって、彼をうち殺してくれん。
それ、者ども、ひごろ手馴れたる礫を飛ばせ。」

と下知をいたしますることでございますから、
部下は遠くに離れ、礫をドンドン雨あられのごとく打ち出だすことでございます。

なにぶん金長は稲麻竹葦(とうまちくい)のごとくに取り巻かれまして、
四方八方より飛び来る小石に甚だ迷惑をいたし、
身体五、六ケ所に当りまして、皮は破れ、鮮血それへほとばしるといえど

「何條何ほどのことやあらん。」

と飛び来るやつを彼方此方(あなたこなた)へ身をかわしておりました。

実に金長は日開野において剛(ごう)の者と言われたる天晴(あっぱ)れの獣(けだもの)でございまするといえど、
その身は金鉄にあらざれば、みるみるうちに敵の打ち出だす礫の為に今は数ヶ所の手傷をこうむりまして、
身体はさながら唐紅(からくれない)のごとく、
まるで血の池から上がったような有様でございまする。
実に身の毛もよだつばかり。
なれども金長少しも屈せず、流るる血潮を飲んで咽喉を潤し、
ホッと一息をつきながら

金長「ヤアヤア津田方の奴原(やつばら)確かに聞け。
汝ら卑怯にも大勢して飛び道具とは何事である。
我一匹を討つことができないか。
さてさて、なげかわしいところの弱虫である。」

と言いながらも八方へ荒れまわって

金長「何故、近寄って尋常の勝負をせん。
六右衛門はいずれにあるや。
これへ来たって尋常の勝負に及べ。」

と睨みまわしまして、
多くの狸をあたるを幸い、喰い散らすことであります。

サアこうなってみると、もう到底たまりません。

「なかなか金長のいう奴の歯節はエライことだ。
オイ誰か来て、後ろから睾丸(きんだま)を打(ぶ)っかけろ。」

中にも睾丸(きんだま)自慢の奴は

「おれは広げる時は充分八畳敷はあるけれども、
今宵は縮みあがって、なかなか拡がらぬ。」

「馬鹿なことを言うな。
今この場合にいたって貴様の自慢の睾丸(きんだま)が広がらぬことがあるか。
馬鹿なことを言うな。
おれのでも四畳半や五畳は広がるぞ。
誰が後ろでポンポン音を立てているのは。
この場合にポンポン鼓を鳴らしておる奴があるか。」

「けれどもおれがこの高丘(たかみ)にあれば、金長は滅多にここまであとを追っかけて来ないから大丈夫と思って、
それで自慢の腹鼓を打っているのだ。」

「この場合に腹鼓もないものだ。」

六右衛門はおのれが部下へ下知をいたし、すすきの穂を採ってこれを采配の代わりに

六右「進め、乗込め。」

あれにおるのは金長ならん。
喰い殺せ。

と下知をいたしております。

さてこそ彼奴(きゃつ)は六右衛門ならんと思い、
牙を瞋(いか)らし

金長「おのれ、一啖(くら)いに喰い殺してくれん。」

とドンドン追っかけましたが、ちょうどこの時にあたって
鷹は、彼の四天王の一匹、作右衛門の為に遥かの森において喰い殺されまして、
名誉の最後を遂げたる折柄でござります。

けれども金長、さらに左様(さよう)なことは知らずいたして、
六右衛門を目がけて追っかけましたることでございますから、
その勢いに六右衛門

六右「オイオイ大変な勢いで追っかけて来やァがった。
これには到底当たり難い。」

と思いまして、ドシドシと卑怯未練にも穴観音の方へ逃げ出だした。

大将かくのごとくでございますから、
何條もって部下の者は一匹をいたして踏みとどまって戦うということをしましょうや、
共崩れとあいなりまして、ドンドン逃げ出だしまする。

そいつを彼方此方(あなたこなた)へ追い詰め追っかけ、
実に金長は手当たり次第に喰い殺したることでございますけれども
その身も数ヶ所の傷をこうむりまして、 ことに傍らの藪ぎわより何者とも知れず、打ち付けましたる礫の為、足の骨をくじかれましたることでございますから、
片足はびっこを引きまして、蹌踉(よろぼ)い蹌踉(よろぼ)い、
八方に眼を配りましたるところ、
どうも自分のそばには今、敵はおりません。

「さては六右衛門め、
おのれが斯(か)く目論見に及んでこれへ押寄せながら、
逃げ出だすというのは卑怯な奴。
この上からは穴観音の彼が館へ追い込んで喰い殺してくれん。」

というので、手傷を屈せず、
遥かに逃げ行くところの大勢の後へ、四足を飛ばして追っかけんといたします。

すると左手の薄暗い森の中へ入り込む様子でありますから、
その森の中へ対してドンドンと追い込みましたが、
今これへ逃げ込んだには違いないけれども、
どこへ参ったか、さらにその様子合いがわかりません。

金長は無念と思い、まっしぐらに追わんと駆け出しましたるところ、
ヒョッとそれへつまづいて、ヨロヨロと蹌踉(よろめ)きましたのは立木にあらず。
何物か柔らかい皮蒲団のようなものが足につまづきました。

何物ならんと近寄って見れば、
斯(こ)はそも如何(いか)に、
我が片腕と頼みました、彼の家来の鷹が、
さも残念そうに牙をむいて、ことに咽喉もとより血はタラタラ流れまして
あえなき最後を遂げておりますから、
大いに驚いたが、見ると口は耳元まで裂けましたるような勢いで、
口中の血をぺロペロ舐めながら
彼方(あなた)へ逃げ行かんとするのは川島作右衛門、
さては彼奴のしわざであるかと平素(ひごろ)の勢い百倍増した彼の金長は

金長「ヤアヤア作右衛門、なんじ我が腹心の鷹をよくも斯様(かよう)に喰い殺した。
ヤアヤア待てッ。」

と言いながら、喰らいつかんの勢いでございますから、
この手合いにかかっては堪らぬと後をも見ずして、
一散にそのまま、ドンドン、ドンドン駆け出だし、
ついに何処(いずく)ともなく作右衛門はいち早くも逃げ散ってしまいました。

もとより大将六右衛門は逃げ去った後のことでございますから、
この辺に一匹といたして踏みとどまる者はない。

いずれも敗走いたして、穴観音の本陣を望んで逃げ出だしてしまいました。

よって再び足をとどめまして、残念ながら後へ取って返し、
傍らに倒れておりまする鷹をようよう抱き起こし、
彼の耳元へ口を寄せまして

金長「こりゃ鷹、気を確かに持て、金長であるぞ。心を確かに持て。」

と種々様々に介抱するといえど、
あら悲しや、今はこの土に魂魄をとどめておりまするか、
実に生けるがごとき無念の相をあらわして、
身体は氷のごとくに冷え切った様子。

「さてはもはや養生叶わんか、残念なことをいたした、
鷹、なんじ我が意見に従いくれて一度今夜彼が鉾先を避ける時には、この憂苦(うれい)はなかりしものを、
もとより充分の働きをするといえど、敵は目に余る大軍。味方は手前と我らが二匹。
残念のことをいたしたことである。
なんじの討死を小鷹なり熊鷹両名のせがれが承ったら、いかに残念に心得るであろう。
なんじ、物数ならざるこの金長を慕い、よくも今夜の働きをいたしてくれた。
しかし其の方の討死も我がためゆえ、決してこの金長は忘却はせぬ。
必ず遠からぬうちに卑怯極まる六右衛門、
きっと穴観音に逆寄せをして、なんじの仇を報じいでおくべきや。
彼の六右衛門を討取り、また今逃げ行ったのは川島作右衛門ならん、
彼が生首を手前の御霊(みたま)に供えて、無念はきっと晴らしてやる。
冥途にあってあい待ちおれ。」

と生きたる狸に物言うごとく、
実にしばしの間は悲嘆の涙にくれましたが、
もうそのうちに鶏鳴(けいめい)暁を告ぐる頃おいにあいなりまして、
諸所(ほうぼう)に唄う鳥の声もかすかに聞こえることでございまする。

自分は身体を舐めて流るる血潮をとどめ、
イデ鷹の弔いをいたして、
このまま穴観音へ乗込んで六右衛門と雌雄を決せんと心得ましたが、
よく考えてみると、なにぶん鹿の子の意見もあり
早まったことをいたしては、後日に人の物笑いとあいなる、
いっそ引き取って部下の者へもこの世の決別(わかれ)を告げ、
あっぱれ最後の決戦をいたさんというの考えでございまして、
ようようのことに彼の鷹の死骸をくわえまして、傍(かたえ)の森の高丘(たかみ)の方へ乗込み、
落ち葉を八方へかき分け、一ツの穴を掘って、この所へ鷹の死骸を埋(うず)めまして、
ようよう墓標(しるし)といたして一ツの石をこれに置きました。

はるかに下がって、しばらくの間は黙礼をいたして、
回向をしてやりましたることでございます。

なにぶん人間様の目にかからぬそのうちに、
夜もどうやら明けたる様子である、
残念ながら一度は引き取らんと、この地をそのまま振り捨てまして、
我はようよう近道をたどり、ドンドンと佐古川の方へ進んでまいりましたが、
もうガラリと夜は明けましたることでございますが、
なにぶん、ここは一ツの流れ川でございまして、
水嵩(みずかさ)増さって物凄く、容易にこれを渡ることは出来ません。

どうしたものであろうしらんと、しばらく川端へ来まして途方に暮れて佇んでおる折柄、
上手(かみて)の方より鼻唄を唄いながらやって来る声はおいおい近くへ聞こえてまいりますから、
さては誰か人間が来るのであろうと、
その身はじっと杭の蔭に潜み、息をころして考えておりますると、
これは徳島の方へ通う高瀬舟と見えまして、水棹(みざお)を振って、おいおいこれへ漕いで参りました。

そいつを見るなり

「してやったり。」

と彼が油断を見透かし、やがてこの船へ、岸のかたよりヒラリと飛び乗りました。
その船を伝うて、むこうの岸へ渡る。

「危ないぞ、気をつけよ。石にあたってはならぬ。何でこんなに曲がるのであろう。」

と船頭はこれを直さんとしている間に、
とうとうむこう河岸(がし)へ飛び上がりましたのは、
船頭には少しもわかりません。

そのままにいたしてドンドン、ドンドン駆け出だしましたることでございまして、
彼の日開野をのぞみまして、ようよう立ち戻ってまいるというようなことにあいなりました。

それはさておき、ここにまた穴観音の大将、六右衛門の家臣、傅(もり)役の一人
彼の鹿の子でございます。

ようようのことに金長へ対してまして、
我は先回りをいたして危ないところを知らせ、返り忠を遂げましたるものの、
もしかこのこと露顕をせんかと心を悩まして、
ようよう館へ引き取ってみますと、
大将は今四天王をはじめ夜討の手合い、金長が旅館へ押しかけようといたして、
すでに門前へ出でようという大勢の騒ぎ、
なまじ生中(なまなか)斯様(かよう)なところへ飛び込んでまいって、
主人のお目通りを願ったら、我も先手にされようというようなことにもなろう
そこでもう自分は穴観音の館へ入らずして、
他目(ひとめ)にかからぬうちにと思い、
その身は津田山の森へ対して、ドンドン逃げ帰りましたることでございまして、
ここでその夜は妻にも話をして、ヂッと今宵の戦いの様子を他所(よそ)ながら考えておりました。

さて翌日にあいなりますると、部下の眷属をもってこのことを穴観音へ注進でございます。

「昨晩、無断で立ち帰りましたるのは、にわかに腹痛はげしくあいなり
実に御大将にお目通りを願うというのも心苦しく、
それがために残念ながらも、古巣に立ち帰りまして、薬湯の手当てをいたしおりまする。
なにぶん病気激しゅうございますから、少しにても快癒次第、再びお館へ参って、主君のお目通りをつかまつります。
また何か御用がありましたなれば、ご遠慮なく仰せつけくださいまするよう。」

と体裁よく、これを注進しておいて、
その身はじっと我が宅に養生という体裁で引きこもってしまっておりまする。

そんなことは夢にも知らぬ津田方におきましては、
夜明け方ようようのことに穴観音の館へ逃げ帰りまして、
あるいは挫(くじ)いていれる奴もあれば、
大切なる睾丸(きんだま)を破って怪我をしている奴もあり、
ことに二匹の剛勇にかかって礫で頭を打破(ぶちわ)られた奴もございます。

館へ帰ったのも、首尾よく凱旋をしたのではない、逃げ帰ったのであるから
命あっての物種(ものだね)と早速医者を呼び、薬、包帯と種々様々の手当てをいたしまする。

六右衛門はようようのことに自分の居間へ来たってホッと一息をつき

六右「世の中に恐ろしい奴もあるが、
実に噂の通り、金長という奴は広大もない歯節(はぶし)の強健(たっしゃ)な奴だ。
よほど彼が為に我が味方のめいめいを喰い殺された。
まことに残念の至り。
定めて、彼が逆襲(さかよせ)をするのではあるまいか。」

と、かえって今はそれを気づかいまして、途方に暮れておりますると、
四天王の手合いもようようこれへ引き上げて来ましたが

六右「しかし、このままにては、よもや金長も捨ておくまい。
なんじら一統のめいめいは如何(いかが)あい心得る。」

「ご主君、実に残念の至りでございました。
あれほどの歯節とは思いませんでございましたが、
金長のそばにおった、あの鷹といえる奴、なるほど噂にまさった豪傑でございます。
どうもしかし不思議でならぬというは彼が昨夜の手配りでございます。
寝所より出でて荒(あば)れたるものなれば兎も角、
おのれが居間はもぬけの殻といたしておいて、
かえって我々をはかって庭前の木の絶頂にあって、
ことに数多の礫を我々味方の頭上よりうちかけ、大きに数多の者が悩まされましたが、
我々は門をぶち破ったのではない、寝(やす)んでいるところへ忍び込んだのでございます。
それで玄関より進みこんでまいる間に、たとえいかなる勇士といえど、ああ早く手配りの届きそうなことはないのでございます。
これは誰か敵へ内通をしたものがあると思われまする。」

六右「さようじゃ。この六右衛門も不思議にあい心得る。
いかに手早き金長といえども、あれだけの手配りはそう早く出来そうなことはない。
どうもこれは不思議である。」

と言うと、この時、屋島の八兵衛、席をそれへ進み出でまして

八兵「ご主人、今宵、敵の充分に用意のあったその次第を貴方はご存知ありませんか。
昨夜、我々一統が押寄せようとするのを先回りをして敵へ内通をいたしたるものが、
この館のうちに確かにあります。」

六右「何と言う。
しからば我が手配りを敵へ内通をしたとは八兵衛、何奴(なにやつ)がさようなことを知らした。
それを言え。」

八兵「申し上げます。
実は貴方がたが昨夜金長を討取るという評定(ひょうじょう)一決なりまして、
皆、繰り出さんと部下のめいめいそれ相当に支度をいたしておりましたが、
この時、この八兵衛、つくづく考えましたのは、
敵の寝込みへ乗込みまして、討取るに、手間暇のいりそうなことはない。
なれども他の者に功名をされてはならぬ。
金長の首はこの屋島の八兵衛があげてくれようという考え。
よって各々御一統がこの穴観音を乗り出だそうとする前に、
拙者は先回りをして彼が旅宿の様子を見すましておいて、
これからこうして忍び込むという考えをつけておかなければ、勝手知らない所でもし踏み迷うては難渋と心得て、
それで各位方(おのおのがた)のお乗り出しになる一足先へドンドン駆け出しました。
ようよう津田八幡の森の裏手ということを聞いておるから、
彼の金長の旅宿へ進まんとしたる時、
深夜に及んで金長の旅宿の門のくぐりを内部(うちら)より開くものがある。
オヤオヤまだ誰か寝入らずにおる者があるか、
こりゃ見つかっては一大事と思って、傍らの森の中へ隠れまして、
その門を出る奴をソッと眺めました。
するとご主君、他の者にあらず。津田山森に棲居をいたす鹿の子でございます。
彼は門より外へ出ますると、そっとこれを閉め寄せまして四辺(あたり)を見回し、
コッソリ忍んでそのままにおのれが古巣へ帰るところを確かに私は見届けました。
オヤオヤ今頃鹿の子は金長の旅宿へ何用あって参ったことである、と考えましたが
さてこそ敵が充分手配りがあったところからつくづく考えてみますと、
これ全く金長のもとへ鹿の子め内通をして、今夜君の押寄せるということを知らしたものと見えます。
よって金長はかえって計略の裏をかいて我々多くの寄せ手を悩ましたもののように思います。
確かに鹿の子が金長の旅宿より出でましたのを、私は見届けましてございます。」

これを聞いたる六右衛門は両眼かっと見開いて、牙を噛み鳴らし

六右「何、しからば鹿の子めが我々の相談を敵へもらした。
ムムン道理でいつも我が館へ出仕をいたし、無断で引き取りそうな奴ではない。
しかるに今朝、鹿の子のもとより、
昨夜にわかに腹痛激しくその病気養生のために一言のお言葉もなく無断で引き取り、
養生をいたし今は薬湯の手当てをいたしております
等と言って我を欺く悪(にっ)くい鹿の子め。
おのれ、その分に捨ておこうや。不埒極まる奴である。
主の秘密を敵にもらすという売国奴に等しい奴だ。
ヤアヤア誰かある。
今より津田山の彼が棲家へ乗込んで、彼が首をうち落として参れ。」

川島九右衛門は

九右「アイヤ御前、しばらくお待ちあそばせ。
鹿の子といえど、なかなか天晴な勇士でございます。
もしか仕損ずる時には、かえって彼に抵抗の用意を充分にさせますと、
これ由々しいところの一大事。
それよりか物柔らかく何か秘密の評定(ひょうじょう)について、
其の方へも申し聞かす一役があるから参れ、とお呼び寄せにあいなりまして、
そこで彼奴(きゃつ)がこの所へ乗込んでまいりまするその時に
昨晩何用あって金長の旅宿へ参った、と言うことをお責めあそばせ。
彼が言い開きが立てばよし、
もしかその言い開きの出来ない時には
速やかに君のお目通りにおいて喰い殺すとも晩(おそ)きにあらず。
急いては事を仕損ずるというたとえもある。
ともかく鹿の子をこれをお呼び寄せにあいなりまするよう。」

と、しきりに老功だけあって川島九右衛門、これを停めましてございます。

一統の者も、実(げ)に有理(もっとも)と思いまして、
そこで部下の豆狸のうち、気転の利きたるものを一匹呼び出だしまして

六右「なんじ、これより津田山の鹿の子の古巣へ参って彼を呼び出し、斯様斯様(かようかよう)に申せ。」

という使者(つかい)であります。

心得ました、と主人の命令を承りまして、
豆狸は道を急いでドンドン駆けだしました。

ほどなく鹿の子のもとへやって参り、御上使(ごじょうし)というので乗り込みましたな。
さようなことは神ならぬ身の鹿の子は夢にも知らず、

「昨夜は穏やかに治まったであろうか、
金長殿は首尾よく故郷日開野へ帰られたることであろうか。」

と妻の小鹿の子(こがのこ)と話をいたし、
穴観音の様子いかがであると、考えておりまするところへ

△「ハッ、申し上げます。」

それへ一匹の家来、両手をつかえましたる有様でありますから

鹿子「何じゃ。何事である。」

△「ただ今、穴観音のお館より御上使といたして一匹の豆狸(まめだ)、これへお越しでございます。
いかが仕りましょう。」

鹿子「それはそれは。何用かは存ぜぬが、主人の使いとあれば、まさか疎略にもいたされまい。
丁寧にいたし、使者の間へ通しおけ。」

△「心得ましてございます。」

やがて下僕(しもべ)は立ち去りましたる後に、夫婦は不思議の思いをいたしましたが

鹿子「ハテ、なんらの御用であろう。何はともあれ、一応逢ってみよう。」

とやがて鹿の子は身仕度をいたしまして、
黒羽二重(くろはぶたえ)の定紋付(じょうもんつき)の小袖、行儀霰(ぎょうぎあられ)の麻上下(あさじょうげ)、
金はみ出し鍔(つば)の小刀を前半(まえはん)に帯挟(たばさ)んで、
天地金布目返(てんちきんぬのめがえ)しの扇子をもって礼儀を正し、
使者の間へ出向きに及んだのでございます。

こう言うとエライ立派な武士のような狸でございますが、
これは伯龍(わたくし)の想像、
滅多に衣服を改めるというようなことはありません。
実に簡単なものであります。
ともに親の譲りの一張羅、呉服屋へ出入りをする世話はありません。
けれどもそれでは一向お講談(はなし)になりませんから、
こう衣服(きもの)を着替えるであろうくらいは、少しは私が想像を申し上げておきます。

そんなことはどうでもよいが、
さて使者の間へ出てみると、ひごろ鹿の子の前で頭の上がりません、つまらぬ豆狸でございます。

今日は何しろ主君のお使いをこうむって来たのですから、
こんな時に威張らんければならぬと心得まして、
正座(しょうざ)へ坐(なお)って、鹿の子を自分の家来でも見るような塩梅に鼻を高々いたしてひかえております。

その居間へ入って来った鹿の子は恭しく頭を下げ

鹿子「これはこれは。ご使者とあって、わざわざの御入来(ごじゅらい)ご苦労に存じ奉ります。
して主君、六右衛門公より御用の趣(おもむき)、仰せ聞けられましょうなれば有難きしあわせ。
なんらの御用にござりまするや。」

諚使「されば主君六右衛門公、火急に秘密の評定(ひょうじょう)につき、
其許(そのもと)へ何か内談の義、申し渡さるることがある。
よって我と共々に病中とても苦しからず、一旦出仕さっしゃい。
よほどご主君はお急ぎの様子であるから、早や早や、ご用意あってしかるべし。」

鹿子「それはそれは。私、昨夜お暇乞(いとまごい)も告げずいたして、なにぶん腹痛に堪えず、よんどころなく引き取って、その手当てをいたしております。
また今朝より激しき頭痛もいたしまするが、少し治まり次第にお目通りをいたし、
ご主君にそのお詫びをしようと心得ておりました。
秘密の御評議とあれば、委細承知つかまつりました。
身仕度をいたしまする間、しばしご容赦のほどを願います。」

諚使「アアどうかお早くして下さい。暫時は待っておりますから。」

そこでこの使者には種々様々の饗応(もてなし)をいたします。

まず托盤(たかつき)には餡餅(あんころ)を盛り上げまして、ようよう茶を出したか、それは知りませんが

×「マアマア、お退屈でございましょうから、用意の油揚寿司がございます。
これなど召しあがって下さい。」

腰元どもは来って待遇(もてなし)をいたしております。

諚使「これは何より好物。」

と油揚寿司を喰い始めました。

さて鹿の子は妻にむかい

鹿子「今しがた穴観音より斯様(かよう)なお使者(つかい)であるから、ともかくも、これから参ってみようと思う。」

妻「それではあなた、お館へこれから御出仕でございますか。
しかしあなたが敵へ内通をいたしたというようなことが、もし露顕をするというようなことはありますまいか。」

鹿子「ハテもとよりの覚悟。 その事、露顕をいたしておったとあれば、その時には君をお諫め申して、見事に姫君と結婚の成り立つよう取り計らう此の方が心得。
もし主君がお用いなき時には、たとえ一命を捨てるまでも是非に及ばぬことである。
さようなことを心痛をいたすな、すぐに引き取って来るから。」

小鹿「貴方はさように仰せられますけれども、わらわは昨夜、何となしに夢見が悪しく、どうやらこれが今生(こんじょう)の…」

鹿子「何ッ…」

小鹿「サアおかしな気持ちがいたしてなりません。
御如才(ごじょさい)もありますまいけれど、なるだけお早く御帰館のほどをあい待ちまする。」

鹿子「オオ心配するな。チョッとそれではこれから出仕いたして来よう。」

これぞ今生の夫婦の別れというのは、後にぞ思い合わされまする。

さようなことは夢にも知らず、鹿の子はやがて使いの豆狸を同道して穴観音の館へ出仕をいたしまして、
実にお家のために一命を棄てんければならぬという、
鹿の子、最後のお物語、
チョッと一服。

実説古狸合戦 四国奇談 第十回へ続く

ページのトップへ戻る
inserted by FC2 system