実説古狸合戦 四国奇談

実説古狸合戦 四国奇談 第二回

さて前回に伺いましたごとく、日開野の大和屋は日々※渡世も繁昌いたしまする。…

さて前回に伺いましたごとく、日開野の大和屋は日々渡世も繁昌いたしまする。

またいろいろ吉凶禍福を伺いにまいりまして、決して報酬を取ってしゃべるというのではない、
だから人々が喜んでやってくる、
その都度亀吉は詳しく教えてやるのでございます。

もっとも、この狸などは年を経ますると、よく人間と話しができるということでございますが、

ここに余事を伺いまして恐れ入りますが、これも近き頃のお話でございました。

かの八島の浦に化狸(ばけだぬき)というのが棲息(すまい)をいたしておりました。

これは源平の戦いのあった頃おいから近頃まで生存をいたしておったという、
よほどの年限を経ました古狸でございまして、土地の者はよくこのことを承知いたして
徒然の折はこの化狸を手元に呼んで、これにその時分の話を詳しく聞き取って
皆が楽しみにいたすというのでございます。

どうして話ができるかというと、例えば障子を一枚でも隔って置きまして、
それで彼れの好む食物をこしらえて与え、
そこで化狸の来る時を待って、いろんな話をしかける、
むこうでも

「さようでございます。この八島の浦に源平の戦いのありました時分、まだ私が小狸の頃でございましたがこういう戦いがありました。
その時、平家方に名を得ました勇士の働きぶりは斯様(かよう)な有様でございました。」

といろいろな話をしますから、つまり下手な講釈師から話を聞くより、その方がよほど面白いのであります。

よってなかなか化狸は面白い奴であるというので、秋の夜長の徒然の折からなどに、この狸を手許へ呼んで、
いろんなことを聞くものがたくさんありました。

ところがこの化狸がある時、どういうものか、何かの間違いでふと人間についたことがあるのでございます。

狐つきというのは、さのみのこともありませんが、この人間の身体(からだ)に狸がついたときましたら
なかなか容易なことでは落ちません。

マア石でも投(ほ)られたとか、あるいは自分の子狸を捕られたとか、
何か怨みがあって、その復讐をするため、人間について人間を苦しめる、
それですから狸がついたということになると、いろいろとお呪(まじな)いをいたしましたり、
または御祈祷をしたり護摩を上げ、その中で本人の身体を縛っておいて

「サアどうだ、いよいよ落ちるか、落ちんとあれば眼に物見せてくれん」

とその狸つきを責める。すると

「落ちます。のきます。」

とその時は詫びをしていながら、御祈祷が済んでしまうと、またもともと通りに狸つきとなってしまうのでありまして、
ずいぶんこの狸つきというものはしつこいものであります。

しまいにそのついた人間の命を取るもので充分酷く悩ますのであります。
これ狸の性来(しょうらい)であります。

まして化狸というようなやつに取りつかれたのでありますから、
誠にその親族の各自(めいめい)もこの狸を落とすのに甚だ困りました。

ところがその親族のうちにこの化狸の性来をよく存じておる者があります。
これも暇な時は度々自分の宅へ化狸を呼んでいろんな話をさせたものと見えまして、

お前がそうして昔から長く棲息(すまい)をしているうちに一番怖いと思ったものは何であった

と言って尋ねますと

化狸「さようでございます。
私(わたくし)何も怖いと思ったものはありませんが、
ここ数百年棲息(すまい)をしておりまする中に恐ろしい人であったと思いましたのは、
太閤秀吉公という方が追々立身出世いたしまして、天正十三年から十四年にかけての合戦でございましたが、
その時分この四国には四国中の総大将というのが長曽我部という殿様が住居(すまい)をしていられました。
それを秀吉という人が攻め取って自分の領地にしようというので、
四国征伐というものがございました。
その時分の戦いは随分激しいものでありました。
マア四国の長曽我部という人も強い家臣(けらい)がありました。
とりわけ一番強かったといなのはその長曽我部のご子息に弥三郎信親(やさぶろうのぶちか)という方がありました。
この人は随分有名な御人でございましたが、あの焼山(やけやま)という城に立てこもりまして、
上方(かみがた)のの同勢をあそこで喰いとめて、城中へは一人も入れぬというので、陣所を構えていらっしゃいました。
ところがこの手へ押寄せましたのは彼(か)の太閤秀吉の家臣加藤清正という人で、
これが大将となりまして大軍をもって押し向かったことがあります。
その節、焼山の城から長曽我部弥三郎信親という若大将が、
黒糸縅(おど)しの鎧を着て甲(かぶと)はきず、おおわらわで目方は何でも二十四、五貫目もあろうという鉄の棒を小脇に掻い込んで、
荒馬にうち跨り撃(う)っていでました。
加藤清正を敵手(むかう)にまわして一騎打の勝負をいたされましたが、
流石(さしも)強勇の加藤清正もこの長曽我部信親のためには実に危ないぐらいでした。
鉄の棒を八双にかぶってイザ来(きた)れというなり、加藤様をハッタと睨んで馬上ながらもスックと鞍局(くらかさ)に立上って両眼をかっと見開き睨んだ時の勢いというものは人間業(にんげんわざ)とは思われません。
アア世の中に強い人はたくさんあるけれども、このような恐ろしい顔をする人はないと、
その時こそ後にも先にもタッタ一度、アアこわいと思うて傍らの森蔭に隠れながらふるえてみておりましたが、
あのような恐ろしいことはございませなんだ。」

と終始話の出る度ごとにこの事を化狸が物語りをいたしまする。

そこで今度この狸つきを離脱(おと)そうというについては相手が化狸でありますから、
これは一番狸をだましてやろう、イヤイヤなかなか狸をだますなどということは思いもよらぬ、
人間が狸にだまされることはいくらも聞いているが、人間が狸をだますッてなことはどうして出来るものか、
それは斯様斯様(かようかよう)にするのだというので、
そこで一番化狸が怖がっているところから思いついたのでありますか、
張像(はりぼて)をもって長曽我部弥三郎信親の戦人形を一ツこしらえました。
それで大きな鉄の棒を八双に振りかぶって眼をむいております。

その人形が出来上がりますと、次の間に狸つきを寝かしておいて唐紙(からかみ)の際(きわ)へ来ますと、
一(ひい)、二(ふう)、三(みつ)という掛声で彼の狸つきが目を覚ました時を合図に、
左右の襖をサッと開きますと、張像(はりぼて)の人形は後に人形使いがあって動かし始めますと、
一人は人形の声色を使い始めました。

「ヤアヤア八島の浦の化狸、まさに承れ、、
汝(なんじ)畜生の分際といたして、万物の長たる人間に採りつくというのは甚だもって不埒である、
斯く申す拙者(それがし)こそは、この四国において土州高知の城主、長曽我部弥三郎信親といえる者である。
速やかにこのところを立ち去れ、
さもない時は汝をその分には捨て置かぬ、
我が鉄棒をもってただ一撃(うち)に撃ち殺してくれる。」

と傍(わき)の方で声色を使っておりますると、張像の人形をむやみに動かして、彼(か)の狸つきに見せました。

ところが今まで布団をかぶって寝たふりをして聞いておりました彼の狸つきは、肝を潰したものと見えまして、
いきなりがばと飛び起きまして、畳に頭を下げ、非常に詫(わび)をいたしまして、

「私は心得違いをいたしました。どうぞご勘弁を願います。」

と非常に詫び入りましたから

「しからば免(ゆる)してやる。早く離脱(おち)ろ。落ちんと撃ち殺すぞ。」

「委細承知仕りました。早速退きます。落ちますでございますから、お助けの程を願います」

「しからば早く落ちろ。」

としきりに声色を使っておりまする。人形を揺すぶりまわすと彼の狸つきはそのまま一間ほど飛び上がったかと思いますと、
ついにバッタリその所へへたってしまって、とうとうそれ限(ぎ)り狸はどこかへ行ってしまったものでございます。

こいつは全く狸が人間にだまされましたので、馬鹿馬鹿しいお話のようでございますが、
彼れが怖いと思っているところから斯(か)かる姿をいたして、おどかしつけたのでございますから、
これほどヒドいところの化狸もとうとう逃げうせてしまいましたくらいのことで、
近頃の新聞に出ておったのを私はチョと見たことがございます。

しかし余事を申し上げまして甚だ恐れ入りますが、大和屋の亀吉は決して人を悩ますの人を苦しめるということはないのでございます。

だから吉凶の判断は遠慮なしにしてやるのでございます。

追々この評判が高くなってきまして

「どうだい糞面白くもないあの梅花堂の家へゆって行けば、つまらぬこといって、たくさん見料を取られるが、
金長明神に伺って吉凶を聞いたら無代(ただ)でお指図を下される。
またそのお指図が全然(きっちり)的中(あた)るではないか。
そうすると八卦観(はっけみ)などは役にも立たぬことを口から出まかせにむやみに高慢なことをいって威張っているんだ。
誰があいつらの許(とこ)へいって観てもらう奴があるものか。」

と段々この金長狸の評判が高くなってまいりまする。

ところが梅花堂法印はそのようなことは知りませんから、
何でこの頃はこのように渡世が閑(ひま)になったのであろうと不思議に心得ておりまする。

ところがある日、戸外(おもて)からこの梅花堂法印のこころやすい町内の若い者と見えましてやってまいりました。

「先生こんにちは大きにご無沙汰をいたしました。」

法印「イヤーこれはご町内の若い衆でありますか。サァご遠慮なしにこっちへお上がり。
アア何を見ますのでありますな、縁談でありますか、運気でありますか。」

「イヤ冗談じゃありません、私は何も別に貴方の方へ見てもらいに来たのではないのでございます。
今日はあまり退屈でございまして農業を休みましたから、それで遊びに行くところがないので、
先生の閑静な結構なお宅でございますから、それで今日はゆるりと遊ばしていただこうと思いましたので。」

法印「これこれ、それは何をいいなさる。何も静かなところを喜ぶというのではない。
今日はどういうものか一向客が来ないのである。それで大きに暇であるから、こう静かにあいなっているんだ。」

「へーじゃぁ何ですか先生、貴方のお宅へ今日は客が来ないから、家がこんなに静かになっているとおっしゃるのですか。」

法印「さようじゃ」

「へーそうでございますか、イヤ今日ばかりではございますまい。ねえ先生、
いつもこの通りお宅は静かであるのでございましょう。」

法印「冗談いうな。今頃お前たちに向かって相手になっていられる法印(わたし)ではない。
いつもなれば今頃までには百人二百人表から詰めかけてまいって、その客人たちの判断について忙しいことであるが、
今日はどういうものか亡者(もうじゃ)が来ないで、こういうぐあいに暇であるだろうと不思議に思っているんだ。」

「へーそりァ妙ですね、じゃァ貴方の宅へ日々(にちにち)亡者が来ますので。」

法印「知れたことをいわっしゃぃ、私の宅へは亡者が戸外(おもて)から舞込んで来なければ今日(こんにち)の渡世が出来ないので。」

「ヘイ亡者とは先生何です。」

法印「それはお前たちにはわからぬ八卦観の符牒だ。
すべて私の宅へ来るお客というのは、自分のことを自分で解らぬので、
一ツ先生のところへ行って吉凶を判断してもらったらこれで落着(おさまり)が着くというので、
マア運気なればこれから開くであろうか、どうであろう、また方角なれば西は悪いが東の方は開いているとか、また縁談なればこの縁談は整うであろうかどうであろうと、
皆自分が自分のことが解らぬのだ。すべて迷うて来るから私の方ではお客人のことを亡者というのだ。」

「へーなるほど、するとお宅は地獄の閻魔さんの前のようなものですね。」

法印「マアマアいわばそんなものだ。」

「ところがこの節は貴方が好人物(おひとよし)でございますから、何にもご存知なく平気ですましていらっしゃる、でこんなにお静かなことになったのです。
それ故亡者が一人も来ませんでしょう。
もっとも来ないというのはね、先生大体この節金長大明神様というのが大流行でございまして、
他の八卦観のところへ行っていい加減な口から出まかせなことを聞くよりは、
大和屋さんのお宅でもって金長さんに伺って、ああせいこうせいというお指図をしてもらう方が一番確かだ、
またそれがきっとあたるのである、こんな結構なことはないのです。
ですから人々は皆あの茂右衛門さんのうちへ集まってまいりますのです。
お前さんのところへ来れば第一見料(けんりょう)が高い。その上チョッと合わぬよい加減なチャランポランを…」

法印「オイオイ何をいう、チャランポランとは何だ。
易というものは昔からチャンと極(き)まったもので、私も立派にこの通り、昔から伝わって書物に書いてあることを確かに述べるのだから滅多に間違いはない。
その大和屋というのは何だ。」

「ヘイその裏に祭ってあるのが金長という先生で、その先生というのがその実は狸です。」

法印「何、狸ッ」

「ヘイ」

法印「狸といったら獣類(けだもの)だ。ほんとうの狸か。」

「ヘイ金長というお名前ですが、その方のいうことに間違いはないのですから、それで決してお礼も何も取るというのではない、無銭(ただ)見てくださいますので。」

法印「何だ狸が物の吉凶を観る。そんなことが解ってたまるものか。」

「それが解るのです。」

法印「人を馬鹿にしやァがる、道理でこの節おれのもとへ客が来ないので不思議に思っていたんだ。
してその大和屋という家に狸が棲んでいてさようなことをいたすのか。甚だけしからぬことをいたしおる。」

「イエそれが出鱈目(でたらめ)な下らないことをいうのではありません。確かなことをいって下さるのです。」

法印「ムムン、人を馬鹿にしやァがる。第一人の商売に妨害を加えようという、さような愚にもつかぬことを信仰するというのが間違っておるんだ。
それはそれとしてその狸をおれが取っておさえてやろう。」

「何ですか、取っておさえるとはどういうぐあいになさるのです。」

法印「馬鹿なことをいえ、畜生の分際で易道が解ってたまるか。
おれが乗り込んでまいってその金長という妖狸(ようり)を取っておさえ、再び下らぬことをいわないようにしてやる。
お前その家を知っておれば案内をしてくれ。」

「そりゃァ先生、お止(よ)しなさい、かえってお前さんが行って金長狸のために恥をかいたらなりません。」

法印「馬鹿なことをいえ、狸ごときものが何である。おれが一言(ごん)のもとに押(おさ)えつけてやるから貴様案内をしてくれ。」

梅花堂法印は大変に怒りました。
そこで近傍(きんじょ)の若い者は、
こいつァ面白い、この先生が出かけて行って、これから狸問答がオッ始まったら面白いことであろう、
と随分ひょうきんなものもあることであります。

そこで町内の若者に案内をさせて大いに怒った梅花堂、彼の大和屋の家へドンドン出かけてまいりました。

来てみるとなるほど噂のごとく、今は紺屋の仕事場をすっかり片づけ、表の戸を外して床を作り、毛氈(もうせん)の一ツも敷きまして、
三宝の上にはお供え物等が上がっております。
その他種々様々の物を並べ、赤飯であるの、油揚げであるの、種々(くさぐさ)の物を所狭しと並べてございまする。

彼の職人の亀吉は奥の床の間を背にいたして多くの物を前に引付け、尋ねるままにそれぞれ応答(こたえ)をいたしております。

なかなかどうも大和屋の宅は大混雑でございます。
ところが戸外(おもて)から血相変えてドシドシ駆け込んでまいりました梅花堂。

法印「御免なさい。お前の家には金長という※溷(どぶ)狸がおるそうな。金長をここへ呼んでくれ。」

大変な勢いで、しかも顔色を変えて怒鳴っております。
大勢の者は大きに驚きまして、

甲「オヤオヤ、あれは八卦観ではないか。」

乙「何と思って来たのであろう。」

と皆々呆れかえって見ております。
そのまま奥へツカツカと乗り込んでまいりまして、台所から奥の敷居際に足を踏み入れ、ハッタとばかりに睨(ね)めつけました。

もとより金長狸は

「今日は定めて法印という奴が憤って来るであろう。」

というので、前々から覚(さと)ったものと見えまして、別段驚きもしません。
ヂロリと法印の顔を睨(ね)めつけまして、何の用があって来た、といわないばかり、
こちらは金長が乗り移っておるという彼の亀吉をハッタと睨みつけまして

法印「ヤア貴様は金長という狸か。ここへ出ろ。」

と殴り殺さんばかりの勢いでございますから、
傍にひかえておりました主人茂右衛門は大きに驚きまして、

茂右「アアモシモシ、お前さんはたいそう乱暴なお方でございますな、
ぜんたい案内も無しに人の家へ乗込むというのは無法ではありませんか。
何の御用があっておいでになりましたのです。」

「ハァお前は当家の主人か。私は梅花堂法印といえるものである。
当家(こちら)には金長という狸がいて、いろんなことをしゃべりたてるものだから、おれの家の渡世は暇になってしまった。
お前はそれをよいことにして捨て置くとはどういうものだ。
今のうちにその者を落としてしまわんと、しまいにはその奉公人の一命にかかわる。
よって早く離脱(おと)してしまいなさい。追っ払ってしまいなさい。」

茂右衛門はこれを聞いて、ますます驚いた。

茂右 「それはご親切のほどはありがとうございますが、金長さんは何も悪いことをいたすのではございません。
私の宅もお陰で家業は繁昌いたし、諸人の病気も助かる、利益にこそなりますれ。
何もこれを咎めるというほどのことはありません。
お前さんが余計なお世話をお焼きくださらんでも、よいではありませんか。
これは私の家で私の勝手でございますから、どうぞこのままに捨て置いてください。」

法印「黙れ、金長という奴狸(どたぬき)、甚だ野放図(のほうず)な奴だ。
汝畜生の分際として当家の亀吉殿に纏(つ)いて諸人を誑(たぶら)かし、また亀吉殿を苦しめるというのは甚だ不埒な奴。
それが為にこの節我が易道の妨げをいたし、諸人の心を乱す実に容易ならざるところの畜生である。
サア速やかにここを立ち去れ、さもない時はおのれをその分には捨て置かぬぞ。」

と掴みかからんず勢いにて睨めつけました。

ところが金長はヂロリと法印を睨めつけまして、少しも恐れずカラカラとうち笑い

金長「黙れ、汝何者なれば我が前に来(きた)って大言(たいげん)を吐くや。
汝如き者が幾何十人来るといえども、我が目より見る時は三歳の小児に劣りし奴。
我に向かって何をいわんとするか。
早くこの所を立ち去れ、馬鹿者め。」

法印これを聞くと大きに怒りました。

法印「ヤアぬかしたり奴狸(どたぬき)め、おのれ畜生の分際として貴き易学のことを心得てさようのことを申すか。」

金長「黙れ、売僧(まいす)易者めが何を知って我に向かって無礼を申すか。
この金長はすでに二百余年来、年を経しものである。
天地間にある吉凶禍福のこと知らずして語ろうや。
汝如き俗人が易道の奥義を知ってたまるべきや。
長居をすると汝の為によくないぞ。早くこの所を立ち去れッ。」

とハッと睨めつけました。
傍におりました大勢の者はこれを聞きまして

「サア、エライことになった。どうなるであろう。」

と思っておりますると、ますます憤った梅花堂

法印「ヤアぬかしたり畜生め。何を聞きはつってさような生意気なことを申すか。
我が行う周易は伏羲(ふっき)、神農(しんのう)、周公(しゅうこう)、孔子の広め給いし易道なり。
また我が国に伝うるところの理数あって悉(ことごと)く家に奥義あって秘す。
汝如き畜生の分際にて知るところにあらず。
汝こそ早くこの場を立ち去れ。」

金長これを聞くと少しも騒がず

金長「汝知らざればいうて聞かさん。そも易数は河図(かと)の数に起こり、洪範(こうはん)は洛者(らくしゃ)の数に基き未然の吉凶悔吝(かいりん)を知る。
これ皆天地の理にして鬼神も及ばざるところを知ること日月(じつげつ)の明らかなるが如し。
これしきのことを弁(わきま)えずして申そうや。
汝易学に達しおらば、我が尋ねるところを速やかに答えよ、如何にや。」

法印「何ッますます生意気なことを申す。
汝如き畜生に返答の出来ぬということがあるか。
何でも尋ねてみよ。」

金長「しからば尋ねるが三帰龍(きりゅう)の易、洪範の数より三墳(ぷん)、五典、九丘(きゅうきゅう)、八索の旨を問わん。
汝心得ておらば詳(つまび)らかに答えよ。」

いわれて法印はグッとつまりました。

法印「オヤオヤ大変な難しいことをぬかしやがる。」

かねて書物にあるとはいえど、それは何のことやら一向法印も弁えぬのでございます。

法印「ムムン……」

しきりにつまって一言も発することができません。

金長「サアどうじゃ、返答いかに。」

法印「ムムン」

金長「ムムンではわからぬ。どうじゃサァ汝知らば速やかに返答せよ。いかがである。」

とつめられて、流石(さしも)の法印も真っ青になってしまいました。
眼を白黒さして豆鉄砲をくらった鳩同様、面膨(つらふく)らしてグッともスッとも返答することが出来ません。
この時、金長はカラカラとうち笑い

「馬鹿者め、周易の極意をも知らずして数多の人を惑わすという売僧者(まいすもの)め。
一命のほどは助けつかわす。速やかに立ち帰れ。」

というより早く手に御幣のようなものを持っておりましたが、
その間一間ほど離れておりましたのに、
これを法印の胸のあたりに差しつけまして、
ヤッといって気合を入れて一振り振ったかと思うと
別段法印は亀吉につかまえられたのでも何でもないのでございますが、
おのれの腕は麻痺(しび)れるばかり、逆にねじ上げられた如く

「アア痛い」

と顔をしかめておりましたが、そのうちに気合をかけてヤッと御幣を引きますと、
法印もんどりうって二間ばかり横手の台所の際へ取って投げられたのでございます。
おまけに庭の押入で腰骨を打ちまして、顔をしかめて眼を白黒させ、立ち上がることも出来ないのでございます。

主人の茂右衛門はじめ家内の者、その他見ている人々にいたるまで大勢はドッとうち笑いました。

真っ青になりまして法印は体裁(きまり)悪くて堪りませんから、ほうほうのていでとうとう逃げ帰ってしまいました。

サァこうなるというとますます世間では評判でございまして、金長という狸はエライものだ、なかなか感心なものだというので、
日々(にちにち)大和屋茂右衛門のもとへ占い、吉凶のことを聞きに来るというのでございまして、
大和屋の宅は店の商売に手をつけているより、日々の上(あが)り物が多いので、まことに結構なことでございます。

そこで幟(のぼり)を染めまして金長大明神という祠のわきに、この幟をたてるというようなことになりました。

亀吉はしきりに辞退をいたしまして

金長「どうぞご主人、未だ私は無官でございますから、正一位というようなことを書いていただきますと迷惑をいたします。」

茂右「ハアどういうわけで、それは書けないのだ。それではこの四国で正一位ということは一ツもないのか」

金長「いえ、そうではございません。まずこの近郷のうちで数多官位を受けておりますものもございます。
そのうちにもこの界隈でございますと、田の浦というところに太左衛門(たざえもん)という狸がおりまする。これが官位があります。
チョッとマア三百歳にも間もないほど、長く生きました狸でございまする。
それですから、この近傍のマア取締りをいたしておりますのでございます。
また中の郷の地獄橋に衛門三郎という狸が棲息(すまい)をしておりまする。これも正二位を受けております。
あるいは日開野の藤の樹寺には鷹という狸がおります。これは私(わたくし)が幕下(ばっか)でございますものの、なかなかの剛勇でございます。
その鷹という狸の児(こ)に小鷹、熊鷹というのがおります。
また中の郷の天神の森には火の玉狸というのが棲息(すまい)をしております。
いずれもなかなか勇猛なもので、
それからその森に同じく金の鶏(にわとり)というものが
これは火の玉狸と兄弟同様の間柄でございまして随分宜(よ)い顔でございます。
また八幡の鳥居前の松の木を棲居(すまい)といたしております小山(おやま)という女狸がございます。
随分有名なものでまた高須には隠元(いんげん)というのがおります。
小松島の光善寺あるいは薬師寺などにも、多く棲居をいたしておりまする。
しかしこれらの者は皆私の部下も同様でございまして、田の浦の太左衛門狸は私より遥かに上の者でございます。
全くこれは吉田神社より官位を授かっております。
今は二百八十年を経ておるものでございます。
そのほか数多おりますが、南方(みなみがた)では、この田の浦の太左衛門というものが我々のうちでは総大将をしておるのでございます。
我々社会のうちには人間をうまく欺く妙を得て、それが段々劫を経ますと、いずれもそれが相当の官位を授かるのでございます。」

茂右「フーン、じゃァ何かい、人をだますというのは、やっぱりそれぞれ術のあるものか」

金長「ヘイヘイ、皆それぞれ修行をいたして、その上でないと万物の霊長たる人間はなかなかだませぬものでございます。」

茂右「それは面白いな。だいたい狸にだまされるというのは、どういう呼吸でだますのか。
一ツお前方の極意を話をしてはくれぬか。」

金長「イヤご所望とありますなら、お話申し上げましょう。」

と、これから主人を相手に金長が至極面白いお話をするのでございまするが、チョッと一息。

※渡世…暮らし。職業。世渡り。
※溷(どぶ)狸…「どぶねずみ」と同じ「どぶ」の使い方。金長に対する悪口。

実説古狸合戦 四国奇談 第三回へ続く

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