実説古狸合戦 四国奇談

実説古狸合戦 四国奇談 第十回

さて鹿の子は穴観音へ出仕をいたしますると、…

さて鹿の子は穴観音へ出仕をいたしますると、大広間には四天王を始め、皆々評定(ひょうじょう)をしております。
主君六右衛門殿もその席にお出でであるということでありますから、
やがて鹿の子はその席に出でまして、はるかに下がって頭を下げ

鹿子「これはこれは、ただ今はお使者(つかい)を下しおかれまして有難うございます。
わたくし昨夜金長めの寝込みを討たんとして忍び寄りましたが、
不覚を取って逃げ帰り、君に面会せんといたしましたが、
なにぶん腹痛激しくして堪えがたきゆえ、我が古巣へ引き取りまして、薬湯の手当てをいたしおりまして、
遅刻の儀、まことに何とも申し訳がございません。」

という顔をつくづく眺めた大将六右衛門

六右「こりゃ鹿の子、何と申す。
昨夜其の方、金長の屋敷へ参ったと言うか。何用で参った。」

鹿子「御意にございます。
金長を姫君の婿君にいたさんとの主君の御意に、姫君も非常に喜ばれ、
そのことを君に申し上げんとお居間近く進み寄りましたる時、
すでにご評定の様子、密かに立ち聞きいたしましては恐れ入りますが、
どうやら今夜のうちに彼が旅宿に押寄せ、金長を討たんとのご評定、
宵のほど君の仰せとは余程相違しております。
さては金長め、有難き仰せに背いて君の望みに応ぜぬ様子、
とほぼ私も推量いたしました。
さある時には君のご気象、きっと今夜のうちに彼を討取りにあいなる御所存と心得まして、
よって私は四天王の手前もありますが、手前の手柄を顕さんと各位方(おのおのがた)がお進みになるまでもなく、
私密かに彼が寝所へ忍び込んで、目指すは敵将、金長一匹
よって皆様方に先立って、彼が旅館へ忍び入りました。
しかるに、あに図らんや。彼は己に従うところの鷹とやら申す者と、非常に応戦の手配りをいたす様子。
これは迂闊なことはあいならぬ。
彼が油断を見澄まし討取りくれんと、庭前に忍んで様子をうかがっておりまするところへ、
君を始め四天王の方々お乗込みにあいなり、非常の戦いとなりましたが、
金長は裏手にある松の大樹に上り、礫(つぶて)をもって数多の人を悩まし、
おのれ高きにあって、さも愉快気なる様子でありますから、
おのれ悪(にっ)くいところの金長のふるまい、眼に物見せてくれんと心得、
私、金長が上りおりまする大木の根元に進み寄り、
それにひかえたるは日開野金長ならずや、我が君に対して手向かいするは不埒な奴、
イザこの所へ下りて尋常に勝負に及べ、拙者(それがし)は穴観音の身内において鹿の子という者である
と呼ばわりましたが、彼は卑怯にも我が頭上より、何をぬかすと言うよ早くも、大木を投げ下さんといたしまする。
よって私体を開いて、いよいよ
なんじ降りぬか、降りぬとあれば斯くいたしてくれん
と、大手をひろげてその松の木をしっかり握って力に任して揺すぶりました。
しかるに金長はたちまち木の絶頂に堪りかねましたが、
ついに身を跳(おど)らして飛び下り様、私に飛びついてくるところより、
おのれ憎くきふるまい、いでや討取ってくれんと雌雄を争いました。
なにぶん君の御同勢お引き揚げの後でございまして、我が働きを知る者は一匹もなく、
上になり下になり戦いましたが、御前、まことに残念ながら、ついに金長の為に私は組み敷かれまして、すでに一命も危ういことでございました。
その時金長は我を組み敷きながら何思いけん拙者を助け起こしました。
いかに鹿の子、なんじをこのところに討取るは易けれど、
なんじ如き者を討取ったりとて何ぞ役に立たんや。
今討取るところを一度助けてくれる。
我は一旦ここを引き揚げるとも、近々家来鷹のとむらい合戦として彼の無念晴らしをいたしくれる。
なんじは六右衛門とともにその節討取ってくれん。それまで命は預けてやる。
よってなんじ穴観音へ立ち帰らば大将六右衛門へさように申せ。
我は卑怯のふるまいをするものではない。
再び来って雌雄を決せんと心得る。
よって我一書を遣わすから確かに六右衛門に届けよ。
と斯様に申して、早くも彼一書をしたため、これを持ち帰れと申します。
残念に心得ましたが、どうも私の力及ばず、彼はそのまま私の懐へ手紙を捻じ込みますると、
助けがたき奴なれど今夜のところは助けてやる、早く引き取れ
と言うより早く私の利き腕を取って逆にねじ上げ、グイっと引っ担いで二間ばかり取って投げられました。
しばしはその場を立ち上がることも得ません。
それが為に腹痛激しくさし起こって身体自由ならず、そのまますごすご津田山へ立ち帰りましたような訳合いで、
今朝は全快次第、出仕いたして君に一書を捧げんと心得ておりましたるところへ、
ただ今お使者でございまして早速まかり出でました。
件(くだん)の一書はこれにございます。いざ御披見の義を願いたてまつります。」

と一書を六右衛門に差しだしました。

どうも屋島の八兵衛の言葉とはチト相違をいたしておりますから、
不思議に思いながら右の手紙を押し開いて、これを読み下すと、
一枚の蓮の葉に烏賊の墨をもって芒(すすき)の穂の筆にてサラサラとしたためましたものと見えます。

その文面も歴々(ありあり)とあい判然(わか)る。

「前文御免、六右衛門殿へ申し入れ候なり。
拙者事、昨年以来わざわざ貴殿をたより、なにとぞ授官に預かりたくと実に寝食をうち忘れ、日々に勉学、
よって君にも確かに認めらるるところあって、今回正一位の官位を我に与えんと条約いたしおきながら、
その身の望み叶わぬところより、その約を変じ、我を討たんとして我が旅宿へ夜討をかけるといえども、
これ蟷螂(とうろう)が斧をもって龍車に向かうに等し、
さりながら今夜の戦いは互いに物別れいたすといえども、
後日速やかに我が部下の眷属を残らず引率いたし、この穴観音へ押寄せ、有無の勝負を仕り候間、
その節、必ず狼狽これなき様、今より部下の眷属に御諚いたしおき下さるべし。
貴下の許にたとえ幾何千の部下ありといえども、我においては卑怯のふるまいなし。
後日、日を定めて尋常の勝負つかまつるべきものなり。
天保十一子年(ねどし)十月、日開野金長花押、津田浦穴観音の城主六右衛門殿」

といたしてございます。
六右衛門、大いに立腹をなし

六右「おのれ不埒の金長めが、我が大恩を忘却なし、ことに我を侮り無礼の書をもって我を辱むる段、傍若無人のふるまい、
この上からは一時も早く日開野へ押寄せ、金長の生首を引き抜きくれん。」

と大いに憤ってすでに座を立たんといたしまする時、
部下の面々互いに顔を見合すのみで誰一匹として口を開くものはございません。

いずれも言い合わさねど、金長の武勇に怖れをなし、
またひごろ彼が器量をよく知るものでありますから、
いかがいたしたものであろうか、
昨夜、彼が旅宿へ不意に押寄せるといえど、
すでに彼の為に充分にうち悩まされ、かえって部下は余程の不覚を取りましたのでございまする
よって今は金長の大勇力に恐怖(おそれ)をなし、我進んで乗込むという者がありません。

この折柄、何條何ほどのことやあらんと彼が古巣へ乗込んで首を揚げ手柄を顕したいのは四天王の手合い
思いは同じことであります。

しかし無官の金長でも油断が出来ませんな、
南方には、すでにその辺に住まっておりまする田の浦の太左衛門、
または中の郷の地獄橋には衛門三郎あり、
高須の隠元、
これ等が多く金長に味方をいたすという時には、これ由々しき大事でございます。

ましていわんや、この度彼が股肱(ここう)といたしております臣下の一人、鷹はようよう作右衛門が討取ったといえど、
彼には小鷹または熊鷹という二匹の兄弟の倅(せがれ)あり、
こやつは藤の樹寺において弱年なれども、親の気質を受け継いで天晴れ歯節の強健(たっしゃ)な奴、
よってなかなかこれとても侮り難い、
攻め寄せする時は必ず親の仇と喰いとめるに違いない、
と思うのみにて、誰一人発言するものもございません。

ところがこの時、川島九右衛門、八兵衛に目配せをいたしまする。

九右衛門におきましては、先ほど屋島の八兵衛の意見に基づいて、とくと実否を質(ただ)さんが為に鹿の子をこれへ招いたのでございます。
その言葉を思い出したるものと見えまして

六右「こりゃ鹿の子、なんじ昨夜金長の為に取って押さえられ、この手紙を受け取って帰る前に、
今にこれへ我が数多の同勢夜討をいたすということを敵へ内通いたしたな。
イヤサ裏切りをいたしたであろう。ありていに申せ。」

ハッと驚きましたる鹿の子は、この時なりと思いまして、
カラカラとうち笑い

鹿子「斯(こ)は御主君の仰せとも覚えません。
まことに私身(わたくしみ)に覚えのないところの難題でございます。
何が為に私がさようなことを敵へ申し入れましょうや。
ただ手紙をもらって残念ながら引き揚げたのみでございます。」

八兵「黙らっしゃい鹿の子。
御身は敵の間者(かんじゃ)となって、味方の秘密を敵へ明かしたに相違あるまい。
余人は欺くといえども、屋島の八兵衛は決してその言葉には乗らんぞ。
よって、ありていに白状してしまえ。」

鹿子「これはしたり八兵衛。
お手前は異なことを言わっしゃる。
拙者が何をもって敵へ内通した、それには何か確かな証拠があるか。」

八兵「いかにも。証拠のないこと、この八兵衛が言わんや。
我、昨夜、この館より軍勢を押し出だす先に、
きっと金長を我が歯節にかけて喰い殺し、手柄を顕さんと、先に回って彼が旅館へ忍ばんとしたる時、
すでに汝(なんじ)は先へ回っておって、敵将金長と何かしめし合わしたるものと見えて、
ひそかに汝(おの)れは金長に別れを告げ引き揚げんといたしたるところ、
傍らの森蔭にあって確かに様子を見届けに及んだ。
これまったく手前が内通をいたしたに相違ない。
さもなければ何がために金長に用事があって昨晩参った。」

鹿子「エッ、それは…」

八兵「それはでは解らぬ。
秘かに彼が屋敷を忍び出でた時に、丁重に金長が門前へ送り出した。その義はどうじゃ。
確かに傍らにあって、この身が見届け、御主君へ申し上げたことである。」

鹿子「ムムン…それはその何も別段敵へ内通をいたしたというのではありませんが、
姫君の慕うていらっしゃる恋男のことであるから
宵のほどに御大将よりお勧めのお言葉を背いたる金長、
ぜひ事を未前に治めようと思って、
それで私は金長殿へ対してまして、改めてとくと思案をしてご養子にお成り下されるようと説き勧めましたるような次第でございます。
よってとくと考えおきまするというところから、
金長殿に別辞(わかれ)を告げて立ち帰ろうといたしたるところを、
八兵衛お手前がそれらのことを聞かずして、見届けにあいなって君へ注進になったのでござりましょう。」

言わせも果てず六右衛門は

六右「ヤアこの小狸めが、この六右衛門を馬鹿にいたすか。
ただ今なんじ何と申した。
おのれ金長を討って手柄を顕さんと、彼が大木に上っていたのを、
其の方が松の木を揺すって倒さんとして、組討ちをいたし組敷かれたと言ったではないか。
しかるにこの八兵衛に咎められて、彼と談話をいたしたと申す。
ぜんたい、おのれが身の言い開きをせんために跡方(あとかた)もないことを申する奴。
おのれ察するところ、敵へ対して昨夜の次第、内通いたしたに相違あるまい。
もはや叶わぬ、ありていにその義を白状せい。」

鹿子「なかなかもちまして…決して私さような覚えは…」

六右「ヤア吐(ぬか)さんか、おのれ。
我を欺き、様々この場を繕わんとするは、言わうようない悪(にっ)くい奴。
なんじら夫婦の者が津田山に棲息(すまい)をして数多眷属を養うは何が為。
我が情けによってなんじが棲息(すまい)をゆるしてやってあればこそ。
その恩を恩とも思わず、敵に裏切りして主に手向かいするというのは、
その木にあって、その木を枯らさんとする、獅子身中の虫に等しい、悪(にっ)くきところの小狸めが…
ヤアヤア誰かある。早々鹿の子を喰い殺せ。」

サアこうなってみると鹿の子はもはや、この義を言い開きをすることができませんから、
もはやこれまでなり、と思って、たちまちその座を起(た)ってドンドンと逃げ出ださんとする。

しかるに先ほどから様子を考えておりました川島作右衛門

作右「ヤア卑怯未練の鹿の子めが、どこへ逃げる。
なんじ逃げようとても逃がそうや。
方々(かたがた)取り巻き召され。」

と言うより早くその座を起って追っかけ、やにわに鹿の子の足に喰いついた。

喰いつかれながらも、鹿の子は振りかえって

鹿子「何をさらす。」

と言いながら、牙をむき出して作右衛門へ取ってかかりました。

すると、綺羅星のごとくに居流れたるめいめいは

「おのれ悪(にっ)くいところの鹿の子である。捕って我が手柄といたしくれん。」

と数十匹の狸は、それへ駆け付けました。

今、作右衛門と組んづ転んづ勝負をいたしておるところへ
容赦も何もあらばこそ、
または首筋または肩口、四つ足尻尾のきらいなく群がり来って
多くの狸は啖(くら)いついた。

みるみるうちに鮮血ほとばしって数ヶ所の手傷に、
残念なりと鹿の子は尚も死に物狂いとなって働いておりましたが、
この時彼が隙を見透かした川島作右衛門

作右「昨夜の働きに金長が部下の勇士、鷹を喰い殺した我が牙の鍛えを試みよ。」

と言うより早く、大口開いて彼が咽喉笛へ狙いを定めて喰らいついた。

流石の鹿の子もアッと一声、手足をもがいが七転八倒の苦しみをいたしましたが、
此方の作右衛門は怯むところをつけ入って、たちまち鹿の子の咽喉元を散々抉りまわしました、
じゃない喰らいまわしました。

無念という一言を残して、
ついにこの穴観音の大忠臣、津田山の鹿の子は無念の最後を遂げましたることでございます。

大将六右衛門これを眺めて、
まず首途(かどで)の血祭、前兆(さいさき)好(よ)しと大いにうち笑い、

六右「この上からはそうそう日開野へ乗り出だして彼が棲居(すみか)を荒らしてくれん。
者ども用意に及べ。馬を牽(ひ)け。」

と下知の下に下僕は、ハッと答えて
やがてそれへ彼が日頃乗り馴れたる社頭の神馬を牽き出して参りますと、
六右衛門は

「者ども、続け。」

と言いながら、これへうち跨らんといたしまする。

折しも奥手の方より慌ただしくそれへ駆け出だして参り

小芝「お父上様、しばらくお待ち下しおかれまするよう。」

と止(とど)めまするは別人ならず、六右衛門の為には愛娘小芝姫でございます。

小芝「お父様あなた血相をお変えあそばして何方(いずれ)へお出でにありなりまする。」

六右「ハテ知れたこと。
我が心に従わぬ憎(にっ)くい金長、今より日開野へ押し出だし彼を討取ってくれん我が所存。
よってなんじは部屋へ下がって休息いたせ。」

小芝「斯(こ)は情けないお父様のお言葉。
貴方は昨夜、何とおっしゃいました。
必ず近々、たとえ金長が何と言おうとも、彼を其方(そち)が婿といたして、この館を守らせるから、
どうぞ夫婦仲よくして、早く愛孫の顔を見せてくれとのお言葉、
わたくしは有難くお請けをいたして、金長様は未来の夫と思い、
すでにこの世をお去りにあいなりました母へ対して、
必ず近きうちに結婚をいたしまして、及ばずながら当館を守り、貴方のお位牌を守ることでございますと、
昨夜仏間で誓約(ちかい)の言葉を立てました。
何かのことは鹿の子夫婦の者がいたしてくれるとのことでありますから、
ただ結婚のときの来るをあい待っておりましたのに、
そのお父上様が打って変わって今日の有様。
現在鹿の子が最後、ことに金長を討たんとおっしゃるのは情けないところのお父上様のお言葉、
わたくしが生涯のお願いでございますから、
どうぞ金長様を御征伐にあいなりますることはお止(とど)まり下さいますよう。」

六右「女の分際といたして、要らざる諫言立て、とどまりおれ。女子と小人、養い難し。
我が心のうちも知らずいたして、さようなことを申したところが駄目だ。
そこ離せ。」

と制(とど)める袖を振りきって、すでに用意の馬に跨らんとする時

△「アアイヤ我が君。しばらくお止(とど)まり下さりますよう。
金長征伐は甚だ宜しくない。
とどまりたまえ、ご主君。」

と館に響き渡る大音を発して、
次の間より呼ばわりつつ唐紙を開いて、ツカツカそれへ入り込んだのは
これぞその頃おい、この穴観音の部下同様となって従いおりまするといえど、
一方の旗頭、すでに数百年も経ましたる古狸の一匹
四国で有名の千切山(ちぎれやま)という所に棲居(すまい)をいたしまする
高坊主(たかぼうず)という
おのれ変化の術を得まして高入道に化けるには妙を得ておりまする。

大将六右衛門もこの高坊主にはチョッと手を置いておるのでありますから、
ひごろより自分の味方に手馴づけまして、
素破戦いでもいたそうという場合には、この高坊主に軍師の役はいつも申しつけるのであります。

しかるにこの度は自分が一旦婿にまでしようとした金長を征伐しようというのは、
彼にチト恥じ入ることもありますから、
別段高坊主を呼び出ださずして、ひそかにこれから日開野へ押し出ださんといたす折柄でございます。

六右「そういう汝(なんじ)は高坊主ではないか。我を止めたるは何用である。」

高坊「恐れながら御前(ごぜん)、ただ今お次にあって様子を承るに、
君は今より日開野へ押し出だして金長征伐をなさんといたさるるは、ぜんたい何等(なんら)の訳で。」

六右「されば彼は少し学力あるところから我を侮り、
おのれ正一位の官位を奪い、四国の総大将の役目を押領(おうりょう)せんと言う。
捨ておく時には必ず我が身を亡ぼす基(もとい)にあいなるから、今のうちに彼を退治をせんというので、
すなわち今より押し出ださんというところである。」

高坊「御前、それは貴方のお心得が違います。
まずまず座について、この高坊主の申すること、とくとお聞き取りを願います。
いざ、まずそれへ。」

と勧められましたるところから、この言葉を用いんという訳にはなりません。
よんどころなく不承不承でもとの座へつきましたが

六右「して金長征伐の義はどうする。」

高坊「さればでございます。
金長征伐の義はお止(とど)まりあいなるよう。
ただ穏やかに事を図り、
あくまでも君をこの四国において総大将と崇めたてまつり、
お館無事に治まりさえすれば、
何もその様な大業(おおぎょう)に事を図らわんでも宜しいではございませんか。
ここに双方共に穏やかに治まる手段(てだて)あり。
そは余の義にあらず。
私へは、かねてご相談なきも、もとより高坊主はそれをよく弁(わきま)えおります。
金長はあっぱれ器量優れたる青年(わかもの)、その上諸学に通じまして、また変化の術にも妙を得ております。
これを貴方が敵となして征伐をせんと言う。
君の働きなれば御勝利もあるではござりましょうが、必ずまた部下の兵士も多く討死いたします。
それよりか事穏やかに取り計らい、この高坊主に対して使者の役目仰せつけられまするよう。
さある時は私一度日開野へ乗込み、たとえ彼がいかほど強情を申すとも決して彼に冗口(むだぐち)は利かせません。
もとより小芝姫様がお慕いあそばす恋男のことでございますから、
姫君と金長の仲をきっと私取り結んでご覧にいれます。
御前は金長を穴観音の主となされようとあそばすから彼が不服をとなえると言う。
これにもまた一理あります。
金長はいたって義を重んずるという古狸でございまして、
一旦大和屋茂右衛門より受けたる大恩、
我が官位を受けたる後、大和屋の家を守護いたさんというところより、
この穴観音に足を留めるのを煩わしく思って辞(いな)むのであります。
よって私は小芝姫様のお慕いあそばす訳を言って、
ここは一ツ貴方が穏やかに姫をお手放しにあいなって、
日開野鎮守の森へ嫁入りさせるがお宜しゅうございます。
さある時には小芝姫と縁を結んで、君は正しく岳父(しゅうと)とあれば、金長は貴方を敬います。
その中に千住太郎様は追々と御修行が積みまして、屋島禿狸のもとより今に卒業をいたして立ち帰る。
たとえ御舎弟にもしろ、これへ対してお館をお譲りあそばすが、あくまでも順当のように心得まする。
さある時には辞(いな)み難く金長も君に従い、四国中の数多の古狸は皆々招かずとも、これへ集まる道理。
さすれば姫の望みも叶い、またそのうちに御孫様を挙げられるということになれば
貴方はこの上もなき結構なお身の上と心得ます。 これ刃に衂(ちぬら)ずして事穏やかに治まり、お家安泰の基(もとい)。 まげてこの義をお聞き済みあいなりまするよう、ひとえに願いたてまつります。」

流石は千切山において数多の眷属を従えまする一匹、
小芝姫は心嬉しく、

「さては穏やかに高が計らいをしてくれるか。」

と喜びまして、父の返答いかがであると、その言葉を待っておりましたが、
六右衛門この意見に基きさえすれば、あえて狸合戦はなかったのですが、
善悪共におのれの一旦言い出したことは、あくまで貫かんという精神でござりまするところから、
かえって高の意見を退け、日開野へ逆襲(さかよせ)をせんとする、
ところへ此方も決戦状(はたしじょう)を残って立ち去った日開野金長、
何ぞこれをじっと捨ておきましょうや。

我が身は一旦大恩をこうむった大和屋茂右衛門に今生(こんじょう)の別れを告げまして、
日開野鎮守の森において、四国は南方(みなみがた)の名のある古狸を募集いたし、
彼の津田山の六右衛門を滅ぼして、おのれ四国の総大将に代わらんと奮発をいたしたものか、
もとより金長の召しというので、追々この近傍(きんぺん)の有名な狸が集まりまして、充分戦いの準備をいたし、
鷹のとむらい合戦をいたして
彼の遺子(わすれがたみ)小鷹(こだか)熊鷹(くまたか)に親の仇討をさせんという、
そこで小鷹熊鷹は自ら先陣を引受けまして、いよいよ日開野方は総勢優(すぐ)って八百余匹、
勢い込んで穴観音指して乗り出だす。
こちらは六右衛門、敵、大勢で逆襲(さかよせ)をなすと聞き
いよいよ容易ならざる一大事と、早速津田浦の港に陣所を構えてあい待つ、
ところへ日開野方が押し出だす、
一方は四国の総大将、穴観音の六右衛門、
一方は四国名代(なだい)の勇士、金長方との大決戦という、
これからが狸合戦のお話とあいなりますが、
なにぶん紙数に限りがあるのでございますから、
残念ながら今回はここをもってお預かりといたし、
続いて『古狸奇談 津田浦大決戦』と題し、
大将六右衛門が日開野金長と一騎打ちの大勝負に及び、
かえって金長の為に六右衛門が討死をいたすところから、
その子、千住太郎、屋島より取って返し、親の仇と数多の部下を集め、
ついに金長を滅ぼすという、実(げ)に狸合戦の実説でございます。
というのは天保年間のお話で、四国の方にお尋ねになれば、よくわかるのでございます。

それを彼の地の藤井楠太郎君の原本によって講談に仕組み御披露に及びまするので、
近日第二編の上梓を待って、引き続きご愛読あらんことを今より伏して願いおきます。

実説古狸合戦(終)

津田浦大決戦 古狸奇談 第一回へ続く

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