津田浦大決戦 古狸奇談

津田浦大決戦 古狸奇談 第十回

さても此方(こなた)は彼の千山芝右衛門でございます。…

さても此方(こなた)は彼の千山芝右衛門でございます。

この度穴観音の六右衛門からの書面を得まして、
殊に日開野金長のために余程苦戦をいたしたという次第、
さしもの強情我慢の六右衛門ではございますが、
己れが日ごろ片腕と頼みまする四天王の輩(てあい)は追々討死をいたしまして、
もはや術計尽きて加勢を頼んで来ましたのでございますから、
ともかくもその使いの者に返事をいたしておいて、
自分は忍姿(しのび)で浪人体(ろうにんてい)に巧く化けまして、
徳島へ乗り込んで参ったのでございます。

なれども、この芝右衛門という奴は、今では己れが国では諸方を廻り勝手を弁(わきま)っておりますが、
これまであまり徳島の方へは出かけてまいったことがない、
よって一度当地へ乗り込んで来たからには、
そこらを見物をしようというのでございまして、
まず御城下を一通り廻りましたのでございます。

この御城下で一番賑やかというところは、かの新町橋(しんまちばし)というところで、
これは非常に繁昌いたしております。

人間なれば昼間往来をいたしまして見物をするのでありますが、
根が畜生のことでございますから、
かれこれ夜中という頃おい、人通行(ひとどおり)の稀(まれ)なる所をあちらこちらを見歩いた後、
どうやらこうやら※橋詰(はしづめ)までやってまいりました。

するとこれは所の名物と見えまして一人の夜蕎麦売り、この橋詰に荷物を下ろしまして、
年頃は六十にも近かろうという一人の老爺(おやじ)、
なにぶん夜分は風も吹き寒いのでありますから、ふるえながらも

「蕎麦切饂飩(そばきりうどん)」

と声を自慢に呼ばわりながら客待ちをいたしております。

老爺「アア寒い寒い、何でこの頃は商売(あきない)は暇であろう。
たまには休んで、こういう寒い晩には寝酒の一杯も飲んで宵寝(よいね)をしたいものであるが、
そうすればおれの口も乾上(ひあが)ってしまう。
家内の者を養うことも出来ない。
だいぶん夜もふけてきたが、まだ中半(なかば)の余商品(よしろもの)が残っている。
売り切ってしまって、宅(うち)へ帰って寝たいものだ。
好(い)い客が来そうなものだ。
仕方がない、これから富田町の方へ一廻りまわって来ようかしら。」

と考えておりますところへ、かの淡州千山の芝右衛門、
チョッと人間の目で見ても、深編笠(ふかあみがさ)の武家(さむらい)と化けておりますから、
分かりそうなことはない。

芝右「アア宅内(たくない)、ここは音に名高い新町橋というのか。」

宅内「お旦那、御意にございまして、ここはなかなか昼間は賑わいまする所でございます。」

芝右「ムムウ、どうも今晩(こよい)は好(よ)い月であるな。」

橋上に立ち止りまして、城山の方から出でる月を眺めまして、
ふと橋の詰(たもと)を見ると、客待ち顔をしている一人の蕎麦屋、
荷物を下ろしてぼんやりといたしております。

芝右「なァ宅内。」

宅内「ハイ。」

芝右「だいぶ腹がへったな。」

宅内「左様でございます。私も余程腹がすいております。」

芝右「幸い、これに蕎麦屋がある。蕎麦など食ってまいろうか。」

宅内「イヤお宜(よろ)しゅうございます。お相伴(しょうばん)をつかまつりましょう。」

すると芝右衛門はツカツカと蕎麦屋の荷物の側へ進んでまいりました。

芝右「蕎麦屋。」

老爺「ハイハイ、お客様でございますか。お蕎麦の御用でございますか。」

芝右「ムムウ、手前のは蕎麦ばかりしかないのか。」

老爺「ヘエヘエお饂飩(うどん)もございます。
また、お好みによりますと、花かけ芋かけ、どのような物でもこしらえますでございます。」

芝右「左様か。
それでは、その上方(かみがた)でいう花巻(はなまき)という様な物は出来るか。」

老爺「どのようなことをいたしまする。」

芝右「アア、チョッと浅草海苔をかけてくれたらよいのだ。」

老爺「ヘエヘエ、イヤ出来ますでございます。」

芝右「それでは熱くしてくれ。」

老爺「かしこまりましてございます。
お両人(ふたり)様でございますか、ヘエヘエ。」

と老爺(おやじ)は客を待たせておいて蕎麦をこしらえ、それへ出しました。

こちらは立ちながらこの蕎麦を食っておりますが、
何だかこう俯向(うつむ)いて、その蕎麦の食い方が変でございますな。

「アアお見受け申せば立派なお武家(さむらい)だが、妙な蕎麦の食い方をなさる。」

と思っているうちに、たちまちの間にその蕎麦を食ってしまいました。

芝右「モウ一膳、代わりをしてくれ。」

と余程空(す)き腹でございますから代わりをこしらえさせ、
三杯ずつの蕎麦を食いたしました。

芝右「アアなかなか貴様の蕎麦は旨い。代価はなんぼである。」

「ヘエ私のは一分五厘でございます。
お両人(ふたり)が三つずつでございますから六膳、九分いただきます。」

芝右「アア左様か。それぢゃァこれを取ってくれ。
余程旨かった。これは※一匁(もんめ)の札であるぞ。」

老爺「ヘエーありがとうございます。」

芝右「いろいろ勝手な無理なことをいった。別に※一匁増しておいてやる。」

老爺「これはどうもありがとうございます。」

芝右「しかしこれから津田の穴観音という所へは余程あるか。」

老爺「ヘエヘエ、穴観音というのは津田山の直(じ)き側(そば)でございます。
これからこの方の道を取っていらっしゃいますと近道でございます。」

芝右「アアそうか。なにぶん土地不案内であるから、大きに邪魔であった。」

とそのままその処(ところ)を立ち去ってしまいました。

後で蕎麦屋の老爺(おやじ)は

「結構だな。九分いただいたらいいところへ一匁札を二枚、
たまにはこんな客人が来ないと儲からない。
余程身元のある人と見える。」

おしいただいてやがて荷物の抽斗(ひきだし)へ入れました。

モウボチボチ帰ろうというので、蕎麦屋は荷物を担ぎまして立ち去ろうといたしましたが

「マテよ、
「大きに邪魔をいたした」
といって草鞋をはいていらっしゃったのか知らんけれども、
ガタともスッとも足音のしない内に、あの人達はこの橋を渡って行ってしまったのであるか。
どうも不思議なこともあればあるもの。
この節、世間で噂をするのに、
あの穴観音という所に六右衛門という狸が棲息(すまい)をしておる、
そいつがどうやら狸同士この頃咬合(くいあい)が始まって、
夜分などは非常に騒ぎだと世間の人もいっていらっしゃるが、
穴観音の方を尋ねておったから、あいつは武家(さむらい)の姿であったが、
ことによると狸ぢゃァないかしらんて、
狸としてみれば本当の銭を払ってくれるようなことはあるまい
マテマテ査(あらた)めてやる。」

荷物を傍らに置きまして抽斗(ひきだし)を開け、かの一匁札を取り出しました。

行燈(あんど)の側でつくづくと一匁札に違いないかと眺めて見ると、
此(こ)はそも如何(いか)に、
何のことはない、焚付屋(たきつけや)が持ってまいる木の皮のような物が二枚でございます。

老爺「オヤサアしまった、
さっきおれが受け取った時はたしかに一匁の手の切れるような札であったが、
こんな木の皮といつの間にすり替えおったのであろう。
しまった、どうも奴等が蕎麦を食っておるのがおかしいと思っておったが、
さては穴観音に棲息(すまい)をする狸のために騙されたことであるか。
何だ、何か書いてあるぞ。」

いいながらも、その木の皮の様な物を見ますと、
淡路千山芝右衛門通用といたしてございます。

老爺「千山の芝右衛門、アアやっぱりこれも狸ぢゃァ。
人から噂を聞いているのに、
あの淡路に千山の芝右衛門という古狸(こり)が棲息(すん)でいるということを聞いているが、
とんでもない目に遭った。
これはまごついているとついに荷の饂飩蕎麦はまるきりなくなってしまうわい。」

と非常に驚いて、この蕎麦屋の老爺(おやじ)はほうほうの体(てい)で逃げ出したという。

やはり今でも、かの地の老人は
この夜蕎麦売りが千山の芝右衛門という奴に食い逃げをされたということを
時々話をいたしておるということでございます。

してみると、千山の芝右衛門という奴は穴観音の六右衛門の方へ加勢として乗り込んだには相違ないと思われるのでございます。

さて新町橋の蕎麦屋荷物を担いで駈(か)け出しました。

後へヌッと現れました芝右衛門

「宅内、旨かったな。」

宅内「旦那、実に結構なお相伴(しょうばん)をさしていただきまして、結構でございます。」

芝右「アアしかし、今の蕎麦屋はかわいそうだ。
おれが巧く札と見せかけて我が国で通用をいたすおれの手形を渡してやったが、
定めて後で困っておるであろう。
やはり他方へ乗り込んで来ると面白いことがあるな。
それはそうと、おれはチョッと聞いたことがあるが、
この徳島の城下勢見山(せいみやま)の麓の観音堂の辺(ほとり)は大層見世物小屋があって繁昌いたすということである。
今から穴観音へ乗り込むと、また暫時六右衛門のもとに厄介にならんければならぬ。
よってその方、大儀であるが、今からあの穴観音へ出かけて、
芝右衛門当地までは乗り込んで参ったが、城下に一夜足休めをいたして、明夜(みょうよ)は必ず面会をいたす
と、左様申してくれ、早く行け。」

宅内「ヘエー、して旦那様はどうなさいます。」

芝右「おれか、おれはついでであるから、
この姿ならたとえどのような者が見たところが、おれの本体を見現す者はない、
よって当城下を明日は一日ゆるゆる見物いたして、かの見世物小屋の容子も見たし、
明日の夜は必ず穴観音に乗り込むことであるから、汝も一日城内において足休めをいたせ。」

宅内「それは旦那様、お危うございます。
なにぶん貴方の御領分ではございません。
勝手知らざるところへお出でになりまして、
ことに城下には数多の犬もおりますし、
もしかお身の上が現れますると白昼などはなおさら危険でございますから、
それよりか今晩の内に穴観音へお乗り込みにあいなりましては如何(いかが)でございます。」

芝右「白痴(たわけ)たことをいうな。
余のものは知らず、この芝右衛門は変化の術に妙を得ておるわい。
幾何十匹の犬が取り巻こうとも、その様なことを恐れる様なこの方(ほう)ではない。」

根が強情我慢な狸でございますから、なかなか聞き入れない。

この宅内のいう通り、今晩(こよい)の内に穴観音へ乗り込んだら、別に危険なことはなかったのでございます。

それを家来を先に遣わしておいて、さてこの城下をうろついておる内に夜がガラリと明けました。

この千山の芝右衛門という古狸(ふるだぬき)は大胆不敵な奴でございまして、
しかも白昼、己れは深編笠に面体(めんてい)を包んで立派な武家(さむらい)と化けました。

かの勢見山の麓にありまする観音堂の境内へドシドシ乗り込んでまいりました。

なにぶんその土地におきまして、この境内はなかなか雑踏をいたしまして、
種々様々の見世物小屋もあります。

ところが一軒の小屋には※木戸番(きどばん)が札売りをいたしておりまする。

表には看板がありまして幟(のぼり)も五六本立ってございます。

木戸番「サアサア評判だ評判だ。
これは評判の犬太夫(わんわんだゆう)で、これから太夫さんがいろんな芸をいたしますぞ。
サア始まりだ始まりだ。」

としきりに犬芝居の興行について札売りは客を呼び込んでいる。

前のところには大勢見物が立って見ております。

さも看板は面白そうに、多くの犬があるいは毬(まり)の上に乗って走る奴もあり、
または梯子(はしご)登り、綱渡りなどをしておりまする絵が描いてある。

こいつをジッと千山の芝右衛門はうち眺めまして

芝右「ハハアこれは犬芝居と見える。
近頃は世の中も追々進んでくるに従い、いろいろの興行物(こうぎょうもの)がある。
四つ足が綱の上を渡る、梯子の上へ登る、またこの様な毬の上を自由に乗り回すというのは
我々にも出来ぬ芸当、
何も後学のためであるから一つ見てやろう。」

というので、やがて千山芝右衛門は※木戸銭(きどせん)を払いまして、
内方(うちら)へ入り見物に混じって見ておりまする。

すると犬使いはそのところへ出まして口上の述べまして、
これからその犬の芝居という物を見物に見せるのでございます。

犬使「永らくの間うち囃(はや)しまして、さぞかし御退屈でございましょう。
ここもと太夫お目通りまで差し控えさせまァす。」

と口上につれまして、また囃(はやし)を入れます。

ところへ立派な涎掛(よだれか)けをさせまして、一匹の犬の首輪に付いた細引きの先を犬使いが持ってつれて出でました。

犬使「お目通りまで進みましたるは犬太夫(わんわんだゆう)にございます。
なにぶん御贔屓の程を願いおきます。
ここもとご覧に入れまする梯子登りの儀はなにぶん離れ業でございまして、
根が畜生のことでございますから、どうせやり損じもございましょうが、
その辺のところはお目長くご覧の程を願います。
いよいよ太夫、身支度の間、今一囃はご容赦をこうむります。」

いいながらも、その犬を楽屋の内へ伴(つ)れて入ろうといたしまするが、
今舞台の正面へ出ましたかの犬太夫(わんわんだゆう)、
前のところが土間になってございます、
皆それに立ってこの芸を見ておりまする、
然(しか)るに犬は見物の方を向きまして、尻を盛立て牙を剥き出し

「ウーッ」

と唸り出しましたな。

犬使「これ太夫、サア支度をせんければならぬ、早く入らんか、何をしている。」

綱を引っ張って引き入れようといたしますが、なかなかどうして動きません。

ますます見物に飛びかからんというの有様でございます。

見物「オヤオヤこの犬は大変な勢いであるわい。」

と見ておりますると、犬使いも不思議に思いましたが、いくら引っ張っても動きません。

犬使「こりゃァおかしい塩梅だ。
何ぞ見物が小鳥か何か持っている。それを狙っているのではあるまいか。
いつもこんなことはないのである。」

と無理に引こうといたした途端、ついにその綱を持っておった手がスポッと外れました。

今、犬使いが手を放したを幸いといたしまして、
舞台の上から勢い込んで犬はたちまち見物の中へ飛びかかってまいる有様でございますから、
それへ入っておりました四~五十人の見物、一時にドッと騒ぎ始めました。

○「こりゃ何ぢゃ、犬が大変暴れ出した。」

と見物の者は四辺(あたり)へ避けまする、 然(しか)るに中には臆病な奴は木戸口へ飛び出すという騒ぎでございます。

ただ真一文字に立派な編笠を阿弥陀に被って、笠の内から眺めておりました、
かの千山の芝右衛門狸を望んでオッと喰いついたのでございます。

芝右「おのれ、無礼なるところの畜生めが。」

と自分は武家(さむらい)に化けておりますのですから、
大きに立腹いたし、早や腰なる一刀を引き抜かんといたす。

「何に猪口才(ちょこざい)」

といわんばかりに、犬はかの千山芝右衛門の足へガブリ喰いついた、
たちまちそのところへ仰向けに倒れましたることでございまして、
怪しげな声を発しまして助けを呼ぶのでございますが、
なかなか犬使いは飛び下りて制しましたが止まりません。

ついに千山芝右衛門の喉元を望んで喰(くら)いつき、一振り振りまして
とうとう首を喰いちぎったることでございます。

何條(なんじょう)以て堪りましょうや、一刀の柄に手を掛けたるなりで、
そのところで千山芝右衛門はこの犬太夫(わんわんだゆう)のために食い殺されましたることでございます。

しかしこれが狸と思えばそう騒ぎもいたしませんが、
太夫元始めといたして表方(おもてかた)一同のめいめい、真っ青にあいなって驚きました。

何しろこれは容易ならざるところの騒動であると思いまして、
早々このことをお上(かみ)役人へ訴えるということになりました。

今日勢見山の観音堂の境内の犬芝居で、見物の武家(さむらい)をついに犬が喰い殺したということでございます。

よって役所よりは与力同心(よりきどうしん)手先を伴(つ)れて現場へ駈(か)けつけてまいりました。

役人「何がために大勢の者が付き従っておりながら、斯様(かよう)なことをいたした。
これ容易ならざることである。
犬を縛れ。」

とうとうその犬は犯罪者と見なしてその場で取り押さえました。

太夫元は真っ青にあいなりまして

太夫「何分(なにぶん)いちいちお名前を聞いて入れるのでございませんから、
このお武家はどこのお武家ということは分かりません。
とんでもないところの間違いが出来ました。
なにぶん畜生のいたしましたことで、ご勘弁の程を願います。」

役人「イヤ間違いでは済まさん。」

そこで小屋がかり一同の者、役所へ出ろ、という非常の騒ぎでございまして、
何分(なにぶん)にもこれが何処(いずれ)の者であるか、家中の者ではあるまいかと、
段々改めて見ましたが、別に何処(どこ)の武家とも分かりません。

これがつまらぬ普通(なみなみ)の狸が化けておれば、
食い殺されたらたちまち姿を現すのでございますが、
余程化けるには巧みな奴と見えまして、
気管(のど)に喰(くら)いつかれ鮮血ほとばしり虚空を掴んであえなき最後を遂げたが、
正体を現しません。

それですから非常に心配いたしまして、
いよいよこの死骸を徳島役所につれ帰るということになりました。

戸板に載せまして、犬は縛って役所へつれ出しました。

そこでこの武家(さむらい)の衣服を取り、裸体(はだか)にいたしまして、
検(あらた)めることになりましたが、
ちょうどその日のかれこれ※申刻(ななつ)頃おいにあいなりますると、
此(こ)はそも如何(いか)に、
身体(からだ)は一面に毛だらけでございますから

役人「オヤオヤ大変な有様である。」

と役人は驚いておる内に、とうとう自分の正体を現したものでございますが、
犬のために食い殺されまして半日ばかり我が正体を現わさんでございましたが、
そこで懐中物、※紙入を調べました時に、
ちょうど※附木(つけぎ)のような物に千山芝右衛門通用と記した、この札(ふだ)を沢山所持いたしております。

これは前夜、蕎麦屋を騙し札(さつ)と見せかけましたのであります。

そこで千山芝右衛門狸ということが、ここに至ってあい分かったのでございます。

こやつはこの小屋に入らずに穴観音へ参りましたら、
別段斯(か)かる目にも遭わなかったのでありますが、
この犬芝居を見物に入ったばっかりに、
穴観音の六右衛門の味方をもいたそうという、しかも一方の大将分千山芝右衛門という狸は
斯様(かよう)な次第で最後を遂げましたようなことでございます。

それはさておき、ここにまた穴観音の六右衛門が棲息(すまい)をいたしまする所を
狸仲間よりはこれを立派な本城と見做(みな)すのでございます。

まして当時は金長という大敵(たいてき)をひかえまして、
※大手搦め手は今は門を閉め切ってしまって、
たとえこの城内の者でも門の出入りをいたす時には印鑑という物がなくては通行を許しません。

まして表門(おもてもん)は六右衛門の重役、八丈(じょう)赤右衛門(あかえもん)という奴が、
己の部下五十匹ばかりが付き従いまして、
厳重に昼夜とも怠りなく警護をいたしておるのでございます。

少しでも怪しいと思った奴がありましたら、
たとえ平常(ふだん)から出入りをしております者でも、
なかなかこの門を通行させません。

よって部下のものも皆々交代でここに詰めきっておりますのでございまして、
今しも番所の側(そば)へ進み出でました赤右衛門、
組下の番のものに向かいまして

赤右「コリャコリャその方(ほう)共においては油断なく出入りのものにいちいち心を付けておるか。」

○「ハッ。仰せの通り、少しも油断は仕(つかまつ)りません。
御門を通そうとするものは充分改めた上でないと通しません。」

赤右「ムムウ、いちいち此方(このほう)に達せよ。
少しでも怪しいと見た奴は遠慮はない、ドシドシ召し捕りに及べ。
平常(ふだん)とは違って今は敵の日開野金長といえる曲者(くせもの)めが、
おりおり種々様々に姿を変え、この辺を徘徊いたす由である。
よっていちいち改めた上でなくば通すことはあいならぬぞ。」

 

△「ヘエ、如何にも承知仕りました。いずれも厳重に守りますことでございます。」

今、部下のものに下知(げち)をいたしておりまする。

折しもこの穴観音の大将六右衛門の愛妾(あいしょう)千鳥という女狸(めだぬき)が、
一匹の腰元を伴い、その後に続いてやって来たのは例の庚申の新八、
姿はチョッと※中間(ちゅうげん)というような風体でございまして、
今、門へかかってまいりました千鳥は、チョッと番のものに会釈をいたしまして

千鳥「皆さん方、お役目ご苦労にございます。」

いいながら、そのまま通り抜けようといたしまするから

赤右「コリャコリャ待たっしゃい、それへおらっしゃるのは千鳥さんではないか。」

と八丈(じょう)赤右衛門(あかえもん)は声をかけました。

千鳥はそれと見て

千鳥「ハイ何か御用でございますか。」

赤右「貴方はお部屋でございますから構いませんが、
その後についている怪しげな奴、コレその方(ほう)は何者ぢゃ、
何がために無断で通行せんとする、名前をいえ、それッ。」

と八丈赤右衛門は目配せいたしますと、
パラパラッと多くの番の者、それへ進んで取り巻きました。

庚申の新八は「イヤこれは御門番さんご苦労さんでございます。
私でございますか、私はこれなる千鳥の兄でございまして、
今日(こんにち)千鳥を主公(との)様の前まで送って参りますのでございます。
その上、主公(との)様に少々お願いの筋(すじ)があって参ろうというのであります。
どうかお通し下さいますよう願いとうございます。」

赤右「ひかえろ、
なんじ下郎(げろう)の分際といたして、
たとえ千鳥殿の身内にもせよ、これまでただの一度も見たことがない怪しいところの曲者、
門鑑(もんかん)なくいたして通ろうといたすは甚だ不埒(ふらち)な奴、
この八丈なるものは大将の御下知によって、この御門を守っている以上は、
一人といたして通すことはまかりならぬわい。」

新八「ヘエ、これはまた大層な勢いでございますね。
私はただ今申し上げました、妹千鳥の付き人といたしてこれまで参ったのでございます。
コレ千鳥、お前黙っていないで何とかいってくれんか、さもないとこの兄(あに)さんが迷惑をする。
御門を通ることは出来ない。」

いわれて千鳥という女狸が振りかえりまして

千鳥「アアモシ八丈様、決して怪しいものではございません。
これは妾(わたくし)の兄、猿三(さるぞう)と申しまするものでございます。
妾(わたくし)と同道いたして参りましたが、主公(との)様に少しお願いがあって参ったのでございます。
どうぞ御門をお通し下さいますよう願います。」

赤右「アイヤそういう訳にはなりません。しばらくの間お待ち下さい。
たとえ千鳥様の兄御(あにご)でも、私はこれまでただの一度も見たことがありません。
よってしばらくお待ち下さい。
一応このことを主公(との)様へ伺うた上でないと、拙者の一存では計らえません。
とにかく伺った上で。」

千鳥「それは妾(わたくし)が主公(との)様にお目にかかりまして兄のことは申し上げますから、
是非ともお通しください。」

赤右「イヤなりません、私の役目が済みません、
是非とも御前へ伺っての後でないと通すことはなりません。」

新八「オイオイ千鳥、何ゆえまたこのように疑われるのであるか。
おれはこんなところでぐずぐずしている内も、
父(とっ)さんの病気が気になってならないから、
おいらモウこれから帰る。」

と少し立腹いたした体(てい)でございまして、その場を立ち去らんといたしますから

千鳥「アレモシ兄(あに)さん、一寸(ちょっと)お待ち下さいませ。
お前様のように気の短いことをおっしゃるものではありません。
モシ八丈様、それではこれ程までにお願い申しても、貴方はどうしても御門を通して下さいませんか。
それでは勝手になさいまし。
その代わり妾(わたくし)は主公(との)様に
お前様が日頃からいろいろな意地の悪いことをなさるのをみな告げますから覚えておいでなさい。
兄さん、貴方はモウ帰って下さい。どうしても御門を通ることができないのでございますから。」

赤右「アアモシモシ、これは怪(け)しからん。
そんなことをいわれては堪ったものではございません。
役目を大切を思いますから厳重に調べるのでございます。
お前さんにそんなことをいわれると此方(このほう)が失敗(しくじ)るようなことになります。
イヤ宜(よろ)しい、
イヨイヨこれはお前さんの兄さんに違いないという様なことであればそれは宜しい。
お通り下さい。」

千鳥「そんなら、このまま兄を通して下さいますか。」

赤右「サアサア、ならぬといえば千鳥さんはその返礼に
主公(との)様へどのような事を告げなさるかもしれない。
それが怖さにお通し申すのでございます。」

千鳥「それでは兄さん、サア妾(わたくし)と一緒にお出でなさいまし。
これは御門番さん、お役目ご苦労に存じます。」

と千鳥は新八をつれて門を通る。

勝手にしやァがれ、と八丈も口の内でぶつぶつ小言をいっておりました。

よもや敵方の片腕、しかも一方の大将なる庚申の新八ということは夢にも知りません。

さて千鳥を利用して大胆不敵にも、敵の城内に乗り込むという、
流石は金長の味方の一匹、名も猿三と変えて本丸へ通り、妹千鳥の願いによって庚申の新八、
大将六右衛門の側に近づきまして、彼を巧く欺き己はこの城内に足を止め、
表面(うわべ)は穴観音の六右衛門に味方の一匹となって、城内の手配りの有様、
または諸将の気質、かつは当城内より搦め手に抜け穴があって何処へ出るという容子、
奥御殿にある泉水の流れは二の丸の水門に続き、
末は津田の浜辺に流れ落ちる一線(すじ)の川を見つけ、
これ屈強と思いまして、ついに城内の様を一々暗号を以て記し、
ひそかに日開野金長に通知をいたし、彼を手引きをいたして当城内に引き入れ、
六右衛門を滅ぼし、彼が秘蔵いたしておりまする変化の術の極意の認(したた)めある、
かの魍魎の一巻(もうりょうのいっかん)を首尾よう奪い取ろうという、
この庚申の新八が一命を賭して余程の苦心、
流石は六右衛門の家老の一匹、四天王の筆頭でございました川島九右衛門、
彼の怪しい挙動に目を注(つ)け、ついに縄を打って庚申の新八を六右衛門の目通りに引き出し、
これ敵の※間者(かんじゃ)と見做して、今や首を刎(は)ねんといたす、
大胆不敵にも首の座に直りまして、新八は如何(いか)なることを述べて六右衛門を欺きまするか、
また日開野金長、
続いて金長の片腕なる小鷹、高須の隠元、または田の浦太左衛門、女でこそあれ庚申の新八の妹臨江のお松、
これら重立ったる者、充分身軽にいでたち、この水門口より入り込ませ、
流石(さしも)強悪(ごうあく)無道(ぶどう)ななる穴観音の六右衛門を討ち取るという、
いよいよ手詰(てづめ)に至って金長六右衛門が必死の戦いという、
これからがますます佳境に入るのお話になりまして、
さて四国の総大将の格式は日開野金長が握り果(おお)せまして、
我が部下の一匹、藤の樹寺(じ)の小鷹を二代目の金長とし、
我が名跡(あとしき)を継がせ、
ついに金長が名誉の戦死の一段より、
全く穴観音の六右衛門の滅び失せたる後(のち)、
修行のためにわざわざ讃州(さんしゅう)八島(やしま)の八毛狸(はげだぬき)のもとに滞在いたしておりました六右衛門の一子千住太郎が、
我が父六右衛門の無念を晴らさんというので、これから様々の苦心をいたしまして、
川島葭右衛門(よしえもん)という小父狸(おじだぬき)を頼んでこれを軍師といたして多くの味方を募り、
かの日開野二代目金長に対し吊合戦(とむらいがっせん)をいたさんという、
いよいよ当編の大団円とあいなりまするまでのお話を引き続き
『日開野吊合戦(ひかいのとむらいがっせん)』
と表題を改めまして詳しく申し上げることに仕ります。

なお第初編(だいいっぺん)には本講談の合戦の地理を一目にお分かりよきよう、
かの徳島市有名の画伯が筆になりましたる狸合戦の地図を載せて御一覧に備えてありまするから、
初編二編とお引き合わせの上、第三編発行の上は、前二編同様に、ご愛読あらんことを、
偏(ひとえ)に伯龍、希(こいねが)いおきまする。

津田浦大決戦(終)

※橋詰(はしづめ)…橋のたもと。
※一匁(もんめ)…銀一匁。現代に換算すると1,300円程度か。
※木戸番(きどばん)…見世物などの興行場の入り口の番人。
※木戸銭(きどせん)…興行見物のために入り口で払う料金。入場料。
※申刻(ななつ)…午後4時頃。
※紙入…財布。札入れ。
※附木(つけぎ)…火を他の物に移すときに用いる木片。薄い短い木片の一方の端に硫黄をつけたもの。
※大手…城の正面。また、正門。追手(おうて)。←→搦(から)め手。
※搦(から)め手…城の裏門。
※中間(ちゅうげん)…武士に仕えて雑務に従った者。
※間者(かんじゃ)…スパイ。

日開野弔合戦 古狸奇談 第一回へ続く

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