津田浦大決戦 古狸奇談

津田浦大決戦 古狸奇談 第四回

さても日開野の金長は、この度、小鹿の子の注進によって…

さても日開野の金長は、この度、小鹿の子の注進によって、穴観音の六右衛門が逆寄せをするということを知りましたところから、
一同を集めて評定(ひょうじょう)をすることになりました。

しかるに田の浦太左衛門の下知によりまして、
まず先陣といたして、藤の樹寺の小鷹熊鷹といえる者の願いによって、
これを繰り出させるということになりました。

さて金長はその後におきまして、
まず小鹿の子を手もとに招き

金長「御身は定めし夫の最後を承り無念であろうが、
まず暫時、我が館におとどまりあれ。
今に敵将六右衛門の首級(くび)をうち取ってご覧にいれましょうから。」

小鹿の子は大いに悦びまして、

小鹿「なにとぞ、よろしく願いまする。」

という。

ここで定めて、ここまで駆けつけ来たって疲れもあらんと、
一室(ひとま)の内へ入れまして、小鹿の子を休息させましたることでございます。

その後において金長は

金長「おのおの方も聞かれる通りの訳合いである。よって何卒この森に残しおく一族の者どもをよろしく頼む。
我はこれより早速出陣をいたし、鷹兄弟の後詰(ごづめ)をせん。」

と、手傷に屈せぬ金長は突っ立ちあがって

金長「ヤアヤア誰かある。馬をひけッ。」

と下知をいたしましたことでございます。

この時、田の浦太左衛門は

太左「金長、チョッと待った。
御身いかほどの勇ありとも、敵は四国の総大将、ことに六右衛門には四天王といえる剛者(つわもの)あり。
よって我々も共に出陣いたすことにせん。」

金長、これを承って

金長「まことにこれは千万(せんばん)かたじけない。
しからば太左衛門どの、ご苦労でございまするが、万事お指図のほどを。」

太左「イヤイヤ、ともかくも御身はこの度の大将である。
我は後陣にあって何かの指図は一統の者にいたすとはいえども、総大将の役は御身がお勤めなさい。
我々は副将といたして乗り出だすことであります。」

金長「ありがたきしあわせにございます。
万事のところ、何卒よろしくお願い申し上げる。」

と、ここにいたって田の浦太左衛門も味方をいたして出陣ということになりました。
よって誰が否やを言う者がありましょうや。
まず地獄橋の衛門三郎をはじめとして、
今日(こんにち)金長の授官を祝さんとて集まりましたる者は、いずれもめいめい金長に従い、
共々出陣をするということになりましたのでございます。

ソレ首途(かどで)の祝盃を挙げんというので、
ここで金長は部下の者に下知をいたしまして、様々の馳走を取り寄せ、
ことによったらこれが今生(こんじょう)の別れの酒宴(さかもり)になるかも知れぬと、
金長はもとより決心の上でございますから

金長「どうぞおのおの方、御一献(ごいっこん)お過ごしくださるように。」

というので、その身も祝盃(さかずき)を挙げましたることでございます。

しばし、このところにて首途の祝盃とは言いながらも、皆々決心の上、覚悟をいたしておりまする。

ところへ木戸の口を開けまして、庭先へ飛び込んで参りましたは、一匹の小狸

小狸「ご注進、ご注進。」

と呼ばわったることでございまして
今、広庭へ駆けてまいりましたその容子に、金長は、

金長「オオなんじは誰かと思えば芦野早太郎(あしのはやたろう)、何事であるか。」

早太「ハッ恐れながら申し上げまする。」

と、早太郎はホッと太息をつきまして

早太「わたくしは御大将の命令に従いまして、この度先陣をお勤めになりまする。
鷹の御兄弟に従い、同勢を繰り出だしましたることでございます。

今しも先鋒(さきて)はおいおい彼の小松島の金磯なる、弁天社(べんてんやしろ)のほとりまで繰り出だし、
ここにて英気を養い後陣の続くをあい待ったることでございます。

しかるに、ふと根井の松原より、横須の松原を浜づたいに、数多の軍勢が押寄せ来たる容子でございますから、
めいめい敵か味方か何者であろうと、固唾をのんであい待ちました。

しかるに旗差し物を押し立てまして、此方へ進み来たりまする容子、
小鷹御兄弟においては、これをご覧になり、

ヤアヤア誰かある、近寄る者は何奴であるか、見届けに及べッ

とのことでありました。

よって先鋒(さきて)に進んだ兵士(つわもの)一匹、
たちまち彼の押寄せる同勢のそばに繰り出だし、大音声(だいおんじょう)に、

ヤアヤア、そのところへ押寄せ来たる同勢は何者であるか、いずれも姓名を名乗りたまえ

と呼ばわったるところ、
彼の同勢はにわかに足をとどめまして、
そのうちより若者一匹進み出で

「我々の同勢は
まったく穴観音の城主たる彼の六右衛門め、日ごろの暴悪を憎み、
彼に何か事ある時は撃ち取ってくれんと、日ごろよりいたし
時節の来たるをあい待ちたるところ、
この度、日開野の金長どのが彼の六右衛門を征伐なさる由である、
ことに南方の総大将田の浦太左衛門どのの加勢という回章によって、
我々もさては時来たったと心得、
お味方をいたさんため、このところまで押し出だしたる次第である。
まったくは日開野金長どのにお味方を仕る者でござる。」

とのことでありました。

よって早々先陣の大将にこのことを申し上げますると、
鷹の御兄弟はことの外お悦びになり、
しからばその手の大将に面会せんと、馬を陣頭に進み出だしてあいなりました。

しかるに、この同勢のうちに天晴れ武者ぶり勇ましいところの一匹の将士(つわもの)、
そのところへ進み出でまして、

拙者(それがし)は佐古天正寺を預かる庚申の新八の同勢である、

また第二番手といたして繰り出だしたる大将は

大谷の臨江寺を預かるお松といえる女狸武者、

その他徳島地方に棲居(すまい)いたす狸党(りとう)のめいめい、
いずれも日ごろから六右衛門を憎むあまり、金長どのに加勢をいたさんと
これまで繰り出だしたることであるとのことに、
よってそれらの同勢をまずお迎え申しあげたることでございます。

ただ今、かの社のほとりに後陣の続くをあい待ちおりますることでございます。

よって御大将金長公には早々ご出陣くださいまして、
これらの方々に対してご挨拶あってしかるべきよう、
鷹御兄弟よりのお指図によって、わたくしこれまで乗込んでまいりました。

この段ご注進申し上げます。

なにとぞ御大将、早々御出馬のほどを願いたてまつる。」

という。

この早太の注進を聞いたる時は、
金長は大いに悦びましたることでございまして

金長「オオ芦野、注進大儀(たいぎ)である。なんじは控えておれ。早速我は出陣をいたすであろう。
いずれもの方々、味方においおい同勢の加わるというのは、この上もない吉相でござる。
いざや、これより乗り出ださん。」

というので、狸党のめいめいは勇み立ちました。

「それ出馬の用意をいたせッ。」

ということにあいなりました。

ところが金長は十分の扮装(いでたち)でございまして、
彼の用意の馬にうち跨りましたが、
芒(すすき)の穂をもって一本(ひとつ)の采配をしつらえに及びました。

これをうち振りうち振り

「ヤアヤア者ども進めッ。」

という号令をかけましたることであります。

何がさて南方の狸族のめいめい、いでや出陣というので、いずれも勇み進んで乗り出だしにあいなりまするという。

さて彼の小松島のほとりにある、弁天の社を指して進んで参りまする。

ところがいずれもここに先鋒(さきて)はたむろをいたし、大将の来たるをあい待っておりまする。

もっとも、このところは阿波国(あわのくに)勝浦郡(かつうらこおり)小松島ととなえまして、
むかし源平の戦いのあった節、伊予守源義経公が一の谷の合戦が終わりまして、平家のめいめい、いずれも退去をいたしまして、八島の浦へ引き上げまする。
それを義経公が後を追いましてうち取らんというので、なかなか勢い盛んにいたして
すでに尼ヶ崎大物(だいもつ)の浦より船を四国へ漕ぎ出だし、
この金磯小松島のうらに船を着けて、弁天のほとりに集まって、それより彼の八島の戦いというものが始まりましたものだそうでございます。

だいたいこの辺の海岸は古戦場の跡でございまして、
北は横須、根井の松原、南は赤石の港より、東の方は一里ばかりというもの、和田の松原ととなえ突き出ておりまするが、
げに浜辺の小松は緑(みどり)弥(いや)増して麗しく、なかなか美(よ)い景色のところでございます。

先年恐れ多く皇太子が徳島県へお成りの節、この小松島の港よりご上陸にあいなったという、
この事は諸君も御存じでいらっしゃいましょうが、
すなわちこの港でございます。

これに対して狸党のめいめい、陣列を乱さず、皆大将の進み来たるをあい待っておりました。

ところが日開野鎮守の森よりして、大将金長、今日を晴れと立派な扮装(いでたち)、
馬上ゆたかにうち跨り、芒の穂の采配をうち振りうち振り、エイエイドウドウ進み来たりましたが、

後に従いまするのは、地獄橋の衛門三郎、高須の隠元、金の鶏、松の木のお山をはじめとして繰り出だす。

さて総押さえとしては、副将田の浦太左衛門の同勢でございます。

この時、大将金長は味方のめいめいをここにとどめ、馬を陣頭に乗り出だしまして、加勢の同勢にむかい

金長「これはこれは、おのおの方には、徳島地方より加勢といたし、わざわざ遠路のところご苦労に存じたてまつります。
斯く申す拙者(それがし)は日開野金長でございます。
おのおの方は我を助けんとこの度ご加勢くださる段、この大恩は忘却仕らず、長く我が家の記録に遺したくあい心得まする。
さりながら、この後おのおの方には戦場において、御下知等もいたさぬければなりませぬ。
なにとぞ御一統さまの御姓名をお伺い申さん。」

とある。

さて加勢に参りました同勢のうち、大将分はズッとそのところへ坐列(いなら)びました。

新八「これはこれは金長どの、御高名は承知つかまつりまするが、しかし初めて御意を得ました。
拙者(それがし)は佐古の天正寺庚申の新八と申す者、以来はお見知りおかれまするよう願いまする。」

その後に控えましたのは新八の妹と見えまして

お松「わたくしは佐古町臨江寺に棲息(すまい)をいたしまする、お松と申す者でございます。
以後お見知りおかれまするよう。」

○「わたくしは寺町の赤門狸でございます。」

△「我は八の丸に年を経たる帽子狸と申す者。」

お六「我は徳島寺町に年古く棲息(すまい)まするお六と申す女狸。」

×「此方(このほう)は八幡の森を守護いたす古狸。」

○「我は八幡夷山(えびすやま)に棲息(すまい)いたす円福狸(えんぷくだぬき)と申す者であります。」

さて後の押さえには

「四国名代の立江寺の堂を守る地蔵狸といえる者。」

といずれも初対面の挨拶をしまして、
その手輩(てあい)はあるいは七十、または五十、中には二百匹もつれておる者もあれば、
いずれも部下を従えまして乗り出だしたる加勢、同勢六、七百。
その同勢を見渡しましたる金長は大きに悦びまして

金長「いずれもさまには拙者(それがし)に同情を寄せられまして、
遠路のところもお厭いなく、御加勢くだしおかれまする段、
まことにありがたきしあわせ。
定めて遠路のご出陣お疲れもあらん、
まず進軍の途中なれども粗酒(そしゅ)一献(いっこん)献上つかまつりましょう。
ヤアヤア者ども、用意の品をこれへ。」

と、なかなか金長という大将は如才がないものでありまして、
今出陣の間際に臨んで、新たに加勢の者の気を引っ立てるためでございまして、
万事行き届いたものであり、手っ取り早くそれへ万端の用意を申しつけまして、
様々好む品物、これを兵粮(ひょうろう)方に下知をいたして、早くも取り寄せたることでございます。

さて兵粮の長持(ながもち)を開いて、中より様々の物を取り出だしまして、
皆々遠路を厭わず乗り込んだる加勢の手輩に、これを差し出だすことになりました。

あるいは小豆飯(あずきめし)でございまするの、または稲荷鮓(いなりずし)、そんな物があったかどうかはそれは知りませんが、
ここで酒を取り寄せまして、大将は酒宴(さかもり)をするということになりました。

この時田の浦太左衛門は

太左「いかに金長、貴殿の器量を慕い、招かずといえども斯く多くの加勢を得たるは、この上もなき貴殿の幸運。
もはやこれにて大丈夫。貴殿は一時も早く陣頭に進んで、六右衛門と花々しく戦いをいたされよ。
及ばずながらこの後陣は太左衛門が引き受けたり、
我にも正一位の位階あれば南方のめいめいはヤハカ我が命(めい)に従わざる者あらん。
いずれも後を守りくれるに相違ない。
よって御身、後のところは心配なく、まず敵にあたって一戦(ひといくさ)いたさるるがよかろう。」

この時金長は大いに悦びましたことでありまして

金長「アア太左衛門殿の仰せに従い、我はこれより早速進軍なし、敵の奴輩(やつばら)に一泡吹かしてくれん。
おのおの方の手を煩わすまでもなく、六右衛門の生首は今にお目にかけ申さん。」

と勢いこんで述べました。

早速これより出陣をいたすという、この軍勢の先陣を願い進み出でましたる鷹の兄弟

「願わくば、わたくし共によろしくお指図くださいまするよう。」

とありますから、
まずこの手には高須の隠元、衛門三郎、火の玉らの同勢、合わせて先陣と定め、その勢およそ五百余騎、陣列乱さず乗り出だす。
狸といえど、なかなかその勢いは凄まじいことでございます。
エイエイ声を立てまして、津田浦の方へ進んでまいりまする。

さてまたお話変わって、此方(こなた)は津田方の大将六右衛門でございます。

これも始めの勢いでは彼の津田浦の浜辺へ乗り出だしまして、ここで勢揃いをいたして、すぐにうち出ださんといたしました。

ところが何分(なにぶん)部下の集まりが少ないので、にわかにうち出だすことでございますから、
中にも己の食物(くいもの)を探している者もありましょう、
用事があって他に参っておる者もありましょう、
それらの手輩を集めまして、なにぶん、にわかの進軍というのでございまして、
何となく、ただ喧々(がやがや)と※小田原評定(おだわらひょうじょう)ということになりました。

穴観音の方から津田の浜辺へ乗り出だそうとはしたものの、
中には少し日ごろから金長を恐れておる者もあります。

どうしたものであろうと気後れいたしておる者もあります。

マアともかくも御身が先陣を、イヤ貴殿がと、何となくその評定(ひょうじょう)が定まりません。

そのうちに、もうどうやら東が白んでくる容子でございます。

彼らは夜を昼とし、昼を夜とする畜生のことでございますから、
マアともかくもこの一日は野陣を張って、明日ゆるゆる評定をいたさんというので、
とうとうその日は一日ここでのらくらいたして足を留めてしまいましたることでございます。

まったくこの度、金長征伐ということを聞きまして、
それは何よりもって結構なことである、我々もお供を仕ろうと、
口では立派に言ってはおりましても、
さて乗り出だすという時には、
第一おのれの股間(またぐら)にぶらついている、睾丸(きんたま)のおしまいからせぬければならぬというので、
大きに励んで進もうという者もない。

ツイ半刻(はんとき)後れ、一刻後れ、ということになりまして、
ここに※子刻(ここのつ)過ぎまでというもの延びました。

サアそのうちに※丑刻(やつ)になる、もう夜の払暁(ひきあげ)となってまいりましたから

○「オイぐずぐずいたしておったら、また明日一日ここでじっとして居らぬければならぬではないか。」

△「イヤ、それではボチボチ先陣から、それぞれ繰り出だすがよかろう。」

と喧々(がやがや)騒いでおりまする。

ところへ現今(ただいま)で申せば斥候兵(せきこうへい)、マアその時分の物見でございます。
それが前(さき)に乗り出だしておりましたものと見え、
うろたえ騒いで真っ青になって駆けて帰りました。

物見「ご注進ご注進、えらいことが出来(しゅったい)いたしましてございまする。」

というので、ガタガタふるえておりまする容子でございますから

○「オイオイ、ここへ来たっても役には立たぬ。御大将のそばへ乗込んで行けッ。」

そこでようようこの注進の者を、大将六右衛門の控えておりまするところへ出だしましたることでございます。

物見「ハッ、ご注進に及びまする。あわててはなりません。マア御大将おしずまりあそばせ。」

六右「控えよ、おのれがあわてておるのではないか。
ぜんたい、その注進とは何事だ。」

物見「来ました来ました、あべこべに先方(むこう)から参りました。」

六右「ナニあべこべに先方(むこう)から参ったとは何だ。」

物見「エエその日開野の金長が、数万の軍勢を出だしまして逆寄せをいたしましたのでございます。
なかなか敵は目に余るところの大軍、とてもあの大軍にむかってはあたることは思いもよらぬことでございますから、
御大将は今のうちに、三十六計逃げるにしくはなし、早々おのがれなさい。」

六右「控えろッ、何ということを申す、白痴漢(たわけもの)めが。よもやそれは本当ではあるまい。」

物見「なかなかもちまして、どうやらこの津田の浜辺の方へ押寄せまする容子でございます。
まったくあの同勢は金長方に相違ございません。」

これを承って思わず床机(しょうぎ)を離れたる六右衛門

六右「何という、さては金長が逆寄せに及んだのであるか。
奇怪千万な彼のふるまい、ムムウそれは願ってもなき幸い
というのは、日開野へ乗込むことになれば、一つは土地の勝手を知らざることゆえ、
彼の地へ乗込むのは大きに不利と心得おったるところ、
彼から逆寄せに及んだというのは、願ってもない幸い、
この上からは我々同勢このところに待ち受け、十分敵を引き寄せて戦う方が我々の利益。
この上は進むはかえってよろしくない。
よってなんじら、いずれも防戦の用意に及べッ。」

「心得ました。」

と一統のめいめい、ここにおきまして、まず備えを立てるということにあいなりました。
よってこの初度の戦いというものが、この津田の浜辺において始まるということになりました。

いよいよ狸同士の津田浦の合戦というのはこれからでございます。
チョッと一息入れまして次回(つぎ)に申し上げまする。

※小田原評定(おだわらひょうじょう)…長引いて容易に結論の出ない会議・相談。
※子刻…午前0時前後。
※丑刻…午前2時前後。

津田浦大決戦 古狸奇談 第五回へ続く

ページのトップへ戻る
inserted by FC2 system