日開野弔合戦 古狸奇談

日開野弔合戦 古狸奇談 第二回

さても此方はあの庚申の新八…

さても此方はあの庚申の新八、
千山の芝右衛門が不意に落命いたしたることについて、
大悦びをして、まず一方はこれにて片づいた、
よって自分はますます城内の状態(さま)を秘密に暗号をもって記したるものを、
度々お堀へ投げ込んでおりまするが、もはや十分城内の秘密も探り得ました。

そこでかえって大軍が一時に攻めかかる時は、
味方、不利益によって密かに二の丸の水門より
大将分の方々のみ、不意に六右衛門を討取る手配りをなされて、
お忍びあらんことを待つという事を、
これまた暗号をもって記して、
わざわざ堀の前までやって参り、四辺(あたり)に見ているもののないのを幸い、
堀の内へこれを投げ込みました。

マアこうしておけば大丈夫であると、新八は大いによろこび、
既にその場を立ち去ろうとする時、
思いがけなく新八の後方(うしろ)に声あって

「猿三、待てッ」

と呼び止めた者があります。

ハッと驚いた新八は、何者ならんと振りかえって見ると、
これなん川島九右衛門、かの四天王の一頭(ぴき)でございます。

新八のようすに眼をつけておりましたが

九右「コリャ猿三、其方(そち)は何をしておる」

失敗(しま)ったと心中に驚きましたが、わざと佯為(とぼ)けまして

猿三「ハイ、御家老、今日はあまり退屈ですからブラブラこの辺を見ておりました。
イヤどうも御家老様、
この御城内はなかなかに御要害は立派なものでございまするな。」

九右「黙れッ、汝(なんじ)はどうも怪しい奴だ、
今この堀へ何を投(ほう)りこんだ?」

猿三「ヘイ、それは一向存じません。」

九右「黙りおれッ、汝は何か怪しいものを投げ込んだのを、
此方(このほう)は見ておった。
その次第を白状に及べッ!」

猿三「そいつは困りましたな、
別段何も怪しい物を投(ほう)りこんだ覚えはございません。
私は一両日前から風邪をひきまして、
淡鼻(はな)が出て堪りませんので、ハイ、
今淡鼻(はな)をかみましたその紙くずを投(ほう)りこみましたです。」

九右「黙れッ、汝は当城内へ入り込んで城内(しろうち)のようすを探らんがため、
その姿になって来ておる。
まったく敵の廻し者に相違あるまい、速やかに白状に及べッ!」

猿三「エエそんな事を仰っちゃァ困ります。
私は決してそんな覚えはないのです。」

九右「イヤおのれ言わぬか」

と、グッと首筋を締め付けた。

猿三「アア痛いドドなさいます」

川島九右衛門は襟頭(えりがしら)をつかんで、それへ引き据えました。

新八は顔をしかめて困っておりまするところを、
取って押さえた九右衛門はたちまち懐中より早縄を取り出して、
猿三を高手小手に踏縛(ふんじば)ってしまったのでございます。

猿三「酷いねえ、御家老、貴方は私を何となさる」

九右「貴様は十分※吟味(ぎんみ)のある奴だ。
この中(うち)から目をつけておったので、サア来い」

その縄尻を取りまして奥庭へ引っ立てましたが、
早速大将六右衛門にこの事を申し入れました。

やがて縄尻を取って川島九右衛門は、庭先の此方(こなた)へ引いて参りました。

正面を見ると六右衛門はそのところへ着座をいたしておりまする。

六右「オオ其方(そち)は川島ではないか、近う進めッ、
どうじゃ、ちと心地(こころもち)は快(よ)いか」

九右「おかげを以(も)ちまして、
手疵(てきず)も余程痛みも去りました事でございます。
久々今日はお目通りを願わんと是(これ)へ参りまする途中、
彼(か)の二の丸の堀の際(きわ)に此奴(こやつ)が佇んでおりました。
これこれ斯(か)ようかようの次第でございます。
まったく此奴は敵の廻し者のようにあい心得まする。
十分に詮議のあるべき奴でございますから、
召し捕りまして是(これ)へ引き据えましたる事でございます。」

六右「ムムウ其奴が怪しいというのは、予も承知をいたしておる。
然(しか)らば九右衛門、※下郎の※吟味は其方(そのほう)に申しつける。
十分に調べよ。」

九右「有難うございます。
猿三、面(つら)を上げい」

猿三「アアモシ殿様、それはお情けない、
何咎(なにとが)あって私を御※吟味に及ばれるのでございまするか。
また御家老様のために斯(か)ような目に遭うというのは、情けない事でございます。」

六右「控えッ、※下郎、汝は知らぬと思うか、
汝は金長方の廻し者にいたして、正(まさ)しく庚申の新八といえる奴であろう。」

猿三「エエッ、何だと……」

六右「汝を庚申の新八と知るといえど、これまでは棄(す)に措(お)いたが、
最早敵(かな)わぬ、有体(ありてい)に白状に及べッ」

この時までも縄付きとあい成って、ブルブル慄(ふる)うておりました新八は、
きっと形を改めましたる事でございまして

猿三「ムムウ、さすがは六右衛門、よく見現(みあらわ)した。
いかにも汝の推量通り、我が庚申の新八といえる者である。
我、手段(てだて)を以て当城内へ入り込みしは、
汝が所持なす魍魎(もうりょう)の一巻を無事に我が手に取らんがためである。
サア速やかに一巻を渡してしまえッ!」

というかと思いますると
自分は一振り身を振りますると同時に、
たちまち捕縛(いましめ)の縄をバラバラに引き切ってしまいましたのであります。

もとより上に被っている印半纏(しるしばんてん)を脱ぎすてますると、
下には用意の※小具足(こぐそく)に身を固めまして、
隠し持ったる懐中の一刀を引き抜いて詰め寄ったる勢い、
さすがは一方の大将と思わるるばかり。

この時、穴観音の六右衛門は大いに憤り

六右「ヤッ、
※下郎の分際といたして、おれに敵対(てむか)わんとは※不埒な曲者、
いでや目に物見せてくれん」

とたちまち陣刀を引き抜かんといたしました。

庚申の新八は心得なりと、その身も身構えをいたして
詰め寄るということにあい成りました。

サアこうなると御殿の中(うち)は遽(にわ)かに大騒動とあい成った。

先ほどより新八という奴は大胆な奴でございますから、
強情を張って化けておったのでありまするが
もう斯(か)く露顕(ろけん)をしたとしてみれば、
致し方がないことでありますから、
今は敵対(てきむかい)を致さんとの勢い、
この時奥の方よりそれへ駈けつけ来(きた)りましたる、愛妾の千鳥、
中に駈け入りまして押し隔てました。

千鳥「モシ殿様、しばらくお待ち下さいまするよう」

と、取りすがって止めようとする奴を、
六右衛門はますます憤り

六右「イヤ、おのれ千鳥め、大胆にもよくも敵の※間者を引き入れおった。
覚悟をしろ」

といいながら、
持ったる一刀で
千鳥の肩口(かたぐち)一刀(ひとかたな)斬りつけたることでございますから、
柔弱(かよわ)い女狸(めだぬき)、何條以て堪りましょう、
アッといってそのところへ倒れました。

庚申の新八は心得たりと詰め寄らんと致す時、
これを押し隔てました川島九右衛門

九右「アイヤ、御殿(おんとの)には暫時お控えを願いたい。
多寡の知れたる相手は※下郎のことでありますから、
殿が直接(じきじき)手をお下しになるまではない。
拙者(それがし)引き受けました。」

といいながら、 川島九右衛門は庭へ飛び下りましたることでございまして、
新八を目がけて斬り込んで参った。

「エエ猪口才(ちょこざい)な事をするな」

と、庚申の新八もさる者、
ここでしばらくの間は川島と立ち会いに及びました。

敵も味方も聞こゆる豪傑、なかなか毫(すこ)しも油断はない。

しばしの間というものは六右衛門は縁側に佇(た)って一刀を引っ提げ、
両人(ふたり)の勝負のようす如何(いかが)あらんと見ておりまするうち、
ここを先途と川島は、畳みかけ畳みかけ、新八を討取らんといたしましたが、
相手もさる者、
庚申の新八は先刻(さきほど)から余程刻限が移りますから、
もうそのうちに首尾よく彼(か)の暗号が届いてくれたら、
今に金長殿をはじめとして御一統が、
当城内へ忍び込むに相違ない、
それまでは此奴(こやつ)を十分に悩ましてやろうという勢いでございますから、
打ち込む一刀をかいくぐって横に払った。

既に胴斬りにあい成ったかと思いますると、
川島はパッと後方(うしろ)へ飛び退いて、
しばらくの間というものは、一上一下(いちじょういちげ)と火花を散らして、
川島九右衛門と庚申の新八、ここを先途と渡り合いに及びましたが、
その勝負は互角でございまして、いつ果づべきようもない。

このようすを見て取った大将六右衛門は、何思いけん
懐中より一巻を取り出しまして、右手に差し上げ、
ハッタとばかりに新八を睨(ね)めつけ

六右「ヤイ、新八、汝が欲しがる一巻はこれであるか」

と示しました。

新八「イヤおのれッ」

といいながら駈け上がらんと致したが、
眼前(めのまえ)に九右衛門という強敵を控えておるから、
自分の思うようにそうはあい成りません。

新八「早く一巻を渡してしまえッ」

といいながらも、六右衛門を睨(ね)めつけた。

六右「馬鹿なことを申せ、
おのれ、それほど欲しいとあれば受け取れよ。」

といいながらも一刀を傍らの板の間に突き立てて置いて、
彼の一巻を新八の眼前(めのまえ)へ差しつけながら、
ズダズダと引き裂いたることでございますから
庚申の新八はこの体(てい)を見て驚いた。

六右「欲しくばこれを以て立ち去れッ」

と、六右衛門は引き裂いたる一巻を新八の眼前へ投げつけまして、
カラカラとうち笑いましたることでございます。

新八はこれを見ると無念の切歯(はがみ)に及びました。

新八「ヤッ、おのれ大切なる変化の術の一巻を引き裂くとは何事だ。
我はその一巻を取らんがため、斯(か)く苦心に及んだのだ。
おのれ老耄(おいぼ)れ、この上は観念に及べッ」

と、縁側へ飛び上がらんといたしまする。

勝手にしろと六右衛門は一刀を携えまして、
近寄らば斬らんという有様でございます。

尚も川島がうち下ろしてまいる一刀のために、
アワヤ庚申の新八は脳天より斬り割られたかと思いの外、
一間(けん)ばかり後ろの方へ飛び退いたることでございますから、
おのれ、くたばれッと強刀(ごうとう)を振りかぶり、
再び新八の頭上を望んで斬り下ろさんとする、
この折、川島九右衛門の眉間のところへ何(いず)れから飛んでまいったか、
一個(ひとつ)の石でございます。

発矢(はっし)と当りまする眉間はたちまちに破れた。

不意をくらった九右衛門、何條以て堪りましょうや、
アッというので額(ひたい)を押さえ、
そのところへうち倒れましたることでございます。

こうなりますると庚申の新八は早くも川島を取って押さえ、
喉元を締め上げました。

起(おこ)しも立てず、
たちまち牙を鳴らし咬(く)い合いが始まりましたが、
ここに至って庚申の新八は、
ついに強敵(ごうてき)川島九右衛門を咬(く)い殺すということに
あい成ったのでございます。

これに驚いた六右衛門はその場を逃げ出さんとする折柄、
遽(にわ)かに袖垣をバリバリうち破りまして
現れ出でましたのは、これ別人ならず、
敵将日開野金長なり。

後に続いて田の浦太左衛門をはじめ、
いずれも※小具足腹巻に身を固めまして忍び姿でございます。

ドヤドヤそれへ入って参った時は、
さしもの強敵六右衛門におきましても、大いに驚きまして、
そのまま奥殿の方へ対して逃げ入ってしまいました。

ホッと一息をついたる庚申の新八は、
振りかえって、この体(てい)を眺め

新八「オオ御身は金長殿か、
さては先ほどの密書はお手に入りましたか。」

金長「いかにも、多分今日(こんにち)辺り事を挙げん、
密かに我々身支度を致し、
津田の谷より一艘の小船を以て、
彼の川筋の当城内の二の丸の水門口を望まんとする時、
流れ来たった一通をひらき見れば
御身よりの書面、
これ幸いと心得、
取るものも取りあえず、
僅かな同勢とはいいながら水門口より皆々乗り込み、
先刻(さっき)の程よりようすを窺うておりました。
ところが御身が危ないと見做したから
礫(つぶて)の加勢、
首尾好(よ)う彼の額に当たりしが、
強敵川島九右衛門をお討取りにあい成ったる其許(そのもと)のお手の内、
感心いたしたることでござる。
して魍魎の一巻は首尾よく貴殿手に入れられしか。」

新八「されば、お聞き下され金長殿、残念なことを致しました。
実はこれこれ斯(か)よう斯ようの訳合で、
今眼前(めのまえ)で引き裂かれ、ズタズタに引き破りました。」

と一巻の此方(こなた)に落ち散るのを取り上げて

新八「これ見られよ、
六右衛門が大胆にもこの通り引き破ってしまいました。
長らく苦心をいたしたのも、
この魍魎の一巻を、無事に手に入れんという考えであったが、
残念の至りでござる。」

と、涙にくれまして、これを金長の前へ持って参ります。

金長は驚きながらもよくよくうち眺めて考えた。

金長「ムムウ、新八殿、御心配あるな。
これは真実(まこと)の魍魎の一巻ならず。真っ赤な偽物である。」

新八「なんと仰(おっしゃ)る」

金長「されば我長らく当城内にあって、この秘術を度々授かったことであるが、
しかし真実(まこと)の一巻は斯(か)ようなものではない。
さては六右衛門めが、密かに隠しおるに相違ない。
この上からは奥殿(おくでん)へ踏み込んで、
六右衛門の首を撃ったるその上で、彼(か)の一巻を取り上げて御覧に入れる。」

と、金長は勇み立った。

これを聞いて新八は

新八「旁々(かたがた)お騒ぎあるな。
斯〈か〉く各々方がお乗り込みにあい成れば、
いくら外を固めをつけていても内より破れるから大丈夫。
しかし第一我等の悦びといたすのは、彼(か)の千山の芝右衛門のことでござる。
彼奴(きゃつ)は一方の大将でありまして、
彼が味方をしたれば味方の由々しき大事と思いましたが、
図らずも勢見山において一命(いのち)を棄てました。」

金長「さればその事を聞いて拙者(それがし)も大きに安心いたした。」

新八「してお手配りは十分でありましょうな。」

金長「仰せまでもない。
予(かね)てしめし合わせたる通り、
今日(こんにち)も大手方へは衛門三郎を大将して、それへ味方二百有余頭、
また※搦め手は女ながらも彼(か)の小鹿の子(こがのこ)が百五十頭を従えて、
十分にその備えを立てさせたことである。
この上からは六右衛門がたとえ三面六臂(さんめんろっぴ)の力ありとも、
決して当城を逃げ延びることはあい成らぬ。
いざや彼の居室(いま)へうち入って、有無の勝負を決することにせん。」

と勇み進んで乗り込まんといたしたが、
庚申の新八、向こうを見ると血に染んだる女の死骸、
一目うち眺めまして、

新八「オオ不憫なことをいたした。」

といいながら進み寄り、千鳥の死骸を引き起こし、
胸先へ手を当てて考えたが、ウンと活を入れました。

新八「コリャ千鳥、気を確かに持てッ、
疵(きず)は微傷(あさで)である、
確乎(しっか)、致せッ」

というので、様々に介抱をしてやりましたが、
千鳥は息吹っ返し、ホッと一息をつき

千鳥「旦那様、わたくしの身は覚悟をいたしおります。
アア苦しや、
わたくしの亡くなりました後で、心にかかるのはお父っさんのことでございます。
どうぞ父のところを宜しくお願い申しまする。
最早お暇(いとま)をいたしまする。」

といいながら、余りの苦しさに絶えかねましたか、
用意の懐剣を抜き取り、逆手に取って我が喉へグサッと突き立てました。

この体(てい)を見た一同の者は、彼の健気な最後を不憫に思いましたが、
喉元より鮮血迸(ほとばし)り、臨終(いまわ)の断末魔の苦しみとなったが、
たちまち彼はよろめきながら縁側から下へ転がり落ちました。

その千鳥の死骸は前なる泉水へ向けまして、バッタリ落ち込んだるところ、
この時不思議なるかな、
彼(か)の泉水よりたちまちドッとそのところへ水気(すいき)が立ち上る有様、
サア一同の者は、是(こ)は如何(いか)なることであるかと見ておりますると
庚申の新八は縁側に来たって、頻(しき)りに泉水に目をつけておりましたが、

さては千鳥の一心で宝の所在(ありか)を我に知らしてくれたることであるか、
何にせよ、この泉水が怪しい。

と、身を躍らして庭の泉水を望んで、
ザンブとばかり飛び込んだることでございます。

たちまちの間に水中を探索して見ますると、
一個(ひとつ)の怪(あや)しの箱ようなものが出ました。

これを縁側に持って帰り、蓋を取り中を改めて見ると
油紙で二重三重に巻いてございます。

これを取り除けて中を改めて見ると、
これなん其の身の探索いたす魍魎の一巻でございますから

新八「オオ、さてはこれがすなわち魍魎の一巻であるか、
これぞ狸族(りぞく)の仲間で
なくて可(かな)わぬ変化(へんげ)の術の記した大切な宝物なり。」

と、三度(みたび)推し戴きまして、大将の金長の前に差し出しました。

金長は取って篤(とく)とうち眺め

金長「如何にも、これぞ紛(まご)う方(かた)なき魍魎の一巻、
アア我々未だ狸党(りとう)の地に落ちず、
この一巻が手に入る上は我が党の万歳(ばんざい)、
有難いことである。」

と推し戴いて懐中いたしました。

この折柄(おりから)遽(にわ)かに奥殿が騒がしゅうあい成ったのでございます。

大将六右衛門におきましては被髪(おおわらわ)の姿とあい成り、
右手(めて)には※三尺六寸もあろうという陣刀を振り被りまして、
悪鬼羅刹(あっきらせつ)の荒れたる勢いにて、
そのところ駈けつけ来たったることでございます。

六右「如何(いか)に金長、確かに承れ、
汝、年来我が手許にあって、我に受けたる大恩を忘却なし、よくも敵対に及んだよな。
我が恨みの一刀を受けてくたばれッ!」

といいながら、たちまち斬り込んで参りましたることでございます。

もとより覚悟の金長は

「心得たり」

といいながらも、たちまち一刀を引き抜きまして、
ここにおいて当城の大将を火花を散らし斬り結んだが、
相手は名に負う四国の総大将、
年齢(とし)こそ取ったれ、穴観音の六右衛門は死に物狂いとなって
早くもうち下ろして来る。

金長は

「心得たり」

というので、左手(ゆんで)右手(めて)に体(たい)を躱(かわ)しまして
しばらくの間というものは、
劇(はげ)しいところの渡り合いに及んだのでございます。

だが大将六右衛門のために金長も数ヶ所の疵(きず)を蒙(こうむ)りましたが、
この体(てい)を眺めました、田の浦太左衛門、あるいは庚申の新八はハラハラいたして、
共々に助勢をせんと斬り込んで来る奴を

金長「アイヤ、各々お棄て措きを願いたい、
我も日開野の金長なり。
たとえ如何なる手疵を蒙ろうとも、これしきのこと、
何條何ほどのことやあらん。
いでや六右衛門の生首を見事上げずに措くべきか、
くたばれッ、六右衛門」

といいながら、突きの一手、
ハッと体(たい)を躱(かわ)しました六右衛門

「おのれッくたばれッ!」

と、劇(はげ)しく風車(かざぐるま)の如くに一刀を振り廻し
斬り込んで参ったのでございます。

斯(か)くて凡(およ)そ※一刻(とき)ばかりというものは、
何(いず)れが勝利になるのであろうと見ている間に、
日開野の金長はここぞと思いましたか、
彼(か)の六右衛門の右の片腕の附け際のところより、
ヤッと言う声もろともにバラリズンと斬り込んだ。

一刀を持ったるそのままで
六右衛門は片腕をうち落とされましたることでございまして、
アッとうめいたるその声はさながら雷(らい)の如く、
たちまち両眼をカッと見開き、大口開いて

六右「おのれ金長、よくも我が腕を斬りおったな、くたばれッ!」

と牙を鳴らして咬(く)いついてまいりましたから、
此方(こちら)も今は陣刀を投げ棄てましたが、
本来なれば組み打ちというところですが、
根が畜生のことでございますから、
ここにおいて上になり下になり、咬み合いが始まった。

肩口に咬(くら)いつくと思えば、尻尾へ囓(かぶ)りつく、
バリバリ牙を鳴らしたることでございまして、
なかなか敵も味方も劇しいところの勢い、
組んづ転んづの組み打ちに、何れも近寄ることは出来ぬのでございましたが、
さすがは六右衛門から見ると若手の金長でございますから、
とうとう上になりまして六右衛門の撥ね返さんとする、
その喉元を望んでたちまち一囓(かぶ)り
囓り劇しく食(くら)いつきましたることでございます。

この金長の歯節(はぶし)のために喉元を咬(く)い千切られ、
さても強情なる穴観音の総大将六右衛門におきましては、
金長のために一命を落としましたることでございます。

諸将の面々におきましても、側(そば)近く近寄りまして
種々様々に金長をいたわり

○「金長殿、心を確かにお持ちなさい」

見ると五、六カ所の手疵でございまして
金長は真っ赤に血に染まっており、
身は手足も十分に包帯をいたし、
頭(かしら)から耳へかけまして最初に斬りつけました、
これは余程重いのでございます。

これへも十分包帯をいたしましたが、金長は苦しき息を吐(つ)ぎ敢(あ)えず

金長「方々、御心配あるな、大丈夫でござる。
この上からは早く敵方の奴等を片付けておしまい下さい。」

とある。

この時、当城の奥殿の方よりドッと火の手が上がりました。

この本丸に騒動のあるということを注進いたしたるところより、
護衛の狸党(りとう)は何れも囲みをうち棄て、
驚いて本丸の方へ引き上げて参ったのでございます。

今まではなかなかこの穴観音へは寄りつくことは出来ませなんだ。

近寄れば必ず木石(ぼくせき)の類(たぐい)を取って投げ出すという
それがために一頭(ぴき)としてこの城を乗り越すことは
出来ませなんだのでございます。

然(しか)るにそれらの手輩(てあい)は皆本丸へ対して引き上げるところへ、
大手よりは衛門三郎、搦手よりは小鹿の子、
たちまちの間に城門を打破(ぶちわ)りまして、
ドッと鯨波(とき)の声を揚げて、
この城内へ乗り込んで参りまするようすでございます。

よって瞬く間に穴観音におきましては、今は本丸へ集まらんといたしたる狸族共も、
大将六右衛門が撃たれたということを聞いて、
皆々手の舞い足の踏みどころを忘れるというのは人間でありまするが、
狸には手はございますまい、足の舞い足の踏みどころを忘れて、
イヤそんなことはありますまい、
何しろ右往左往に散乱なして、
皆々向こうの築山(つきやま)の穴やそれぞれの穴へ
ドッとばかりに逃げ出すのでございます。

其奴(そいつ)を後ろから追い詰めまして、
背から腰へ喰(くら)いつき、
または喉元を咬(く)い千切るという騒ぎでございます。

実に滅びる時というものは是非もない次第でございまして
城内護衛の狸族は方角も何もあったものではございません。

我一にと当城内を逃げ出しまする。

また、牝狸(めす)や子狸(こだぬき)におきましては、
何分(なにぶん)本丸に火の手が上がったのでありますから、
泣き叫びまして、日頃持ち前の腹鼓どころか、
己の身体(からだ)を持てあまして烏鷺烏鷺(うろうろ)いたし、
到底敵対をしても敵わぬと覚悟を致したものか、
それへ来たって遽(にわ)かに降参をする奴もあります。

要害堅固の穴観音も、十分庚申の新八が秘密を調めましたることでありますから、
ついに僅か半日も堪らずいたしまして、
全くここに落城いたしたることでございます。

何れも勝ち誇ったる日開野方におきましては、
ここで大将六右衛門の首級(くび)を上げまして、
これで凱旋をするということにあい成ったのでございまする。

しかし一方の大将の金長も
余程劇(はげ)しいところの負傷をいたしたることと見えまして、
なかなか歩行も自由にあい成りません。

よって、金長は味方の者の肩に助けられまして、
一旦はこのところを引き上げるということになりました。

そこで漸(ようよ)う何れも日開野なる鎮守の森に引き上げましたが、
まず金長殿の負傷(てきず)の手当が肝心でございますからというので、
早々(そうそう)一室(ひとま)に寝かし、
種々様々の手当をいたしました。

※畢竟(ひっきょう)する日開野金長は気が優れたるものでありますから、
これが持(たも)ててありましたが、
ますますその疵口(きずぐち)が痛んでまいり
ヤア人間で言ってみますると※破傷風というような質(たち)でございます。

疵口が紫色とあい成りまして、
余程劇(はげ)しく脹(は)れ上がってまいりました。

というのは、この穴観音の六右衛門の用いましたる刃物というのは、
観音のお堂へ奉納になりましたる、立派な太刀でございます。

それを利用いたしまして、
六右衛門という奴は始終自分の※差料(さしりょう)として用いておりました。

それで当たり前の太刀でのみ斬られたのなら
そうも疵(きず)は痛みませぬが、
六右衛門はこれへ対して毒を塗りつけておいたのでございますから、
それで斬り込んだのですから堪りません。

だから疵口へ毒が十分入りました一同、
どうぞ致して養生が叶うようにと、種々介抱に及びまするが、
金長も二日ばかりというものは、我慢の上にも我慢をいたして、
歯をくいしばってその療治を受けておりましたが、
もう堪りません。

今は金長は虫の息とあい成りまして、
自分はとても助かれぬと思ったものでありまするが、
我が枕もとへ向けまして、味方を致しくれましたる多くの大将分の狸を集めまして、
中にも藤樹寺(ふじのきじ)の鷹の一子で、
親にも優るという彼(か)の小鷹を手許へ呼び寄せまして、
其の身は苦しき息を吐(つ)ぎ敢(あ)えず

金長「よく聞けッ、
其方(そち)の父は我れ忠義を尽くしてくれて、
名誉の最後を遂げたることである。
汝は親の仇なる川島作右衛門を討取って、
なおこの度種々様々の戦功を現しくれたは、
我が為には実に其方(そのほう)は第一の功名である。
よって十分汝に恩賞を授けんと心得たが、
残念なるかな、
我も六右衛門のために斯(か)かるところの重傷(ふかで)を受けて、
今は到底全快は覚束(おぼつか)ない。
よって其方(そのほう)我に成り代わって、
このところに止(とど)まってくれ。
我が亡き後においては誰も相続をする者がない。
汝(なんじ)二代目の金長とあい成って
我が眷族(けんぞく)共の世話を致してやってくれい。
臨終(いまわ)の際(きわ)の金長の頼みというのは唯こればかり。
しかし何を言うにも若年のことゆえ、
他(た)の者に用いられないということにあい成ってはならぬ。
田の浦の太左衛門殿、庚申の新八殿を以て、万事其方(そのほう)の後見役を願わん。
御両所にもくれぐれもお願い申す。
我が亡き後は小鷹を我と思し召して、
第一に大和屋茂右衛門殿のお宅を十分守護致しくれまするよう、
彼の家は我が為には大恩のある家であるから、
ますます茂右衛門様のお宅を繁昌さしてくれるよう。」

と、くれぐれも言い置きを致したることでございまして、
そこで遂に二百六歳を以て、惜しむべきかな、
この日開野金長は六右衛門を討取って、
凱旋なしたる第三日目の払暁(あけがた)に、
遂にこの世を去るということにあい成りました。

よって他の狸族の一統は歎きましたが致し方がない。

ここにおいて、この死骸(なきがら)は丁寧に葬送(ともらい)を致しました。

遺言によって二代目の金長は小鷹が成るということにあい成りました。

斯(か)ような次第でございますから、
田の浦の太左衛門、庚申の新八も、
自分の古巣へ引き上げるという訳にはまいりませず
まずしばらくの間は二代目日開野金長の後見を致して、
ここに足を留めるということにあい成りましたが、
敵方におきましても、そのまま全滅をしてしまったかというに
さにあらず、
穴観音の六右衛門の一子、千住太郎(せんじゅたろう)といえる者、
ここに現れ出でまして、
二代目日開野金長を討取って、
我、四国の総大将の官位を受け継ぎ、魍魎の一巻を取り返さんという、
されば本編に表題を下しましたる、
日開野吊合戦(ひかいのともらいがっせん)と
あい成るのはこれからでございまするが、
追々申し上げると致し、一息御免を蒙りまする。

※吟味(ぎんみ)…調べること。尋問。
※下郎(げろう)…人に召し使われている身分の低い男。
※小具足(こぐそく)…籠手(こて)やすね当てなど。甲冑において鎧兜袖以外のもの。
※不埒(ふらち)…けしからぬこと。
※間者(かんじゃ)…スパイ。
※搦(から)め手…城の裏門。
※三尺六寸…約1m10㎝。
※一刻(とき)…約30分間。
※畢竟(ひっきょう)する…つまるところ。要するに。
※破傷風(はしょうふう)…傷口から菌が入る感染症。死亡率が非常に高い。
※差料(さしりょう)…自分が腰に差すための刀。

日開野弔合戦 古狸奇談 第三回へ続く

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