津田浦大決戦 古狸奇談

津田浦大決戦 古狸奇談 第一回

エエ引続きまして講演に及びまするは…

エエ引続きまして講演に及びまするは、さきに伺いました古狸合戦の続編にございまする。

もっとも伯龍(わたくし)は受け売りのことでございますから、※口銭(こうせん)は少々いただきまする。

で、少しはオマケもあるでしょうが、なにぶん実地へ参って調べたというのではなく、
彼の地の藤井楠太郎というお人が熱心に、その土地のお方でございまするだけに、
よくお調べあげにあいなりました。

これなれば大丈夫と認めまして中川玉成堂から廻されましたその参考書によって、
講談に編み、伯龍(わたくし)が講談にかけましたのでありますから、
原書と少々筋を異にいたしたところもありまする。

しかし、その道筋は原参考書によりましたことで、
どうかその思召しをもってご覧のほどを願いあげます。

しかし、なにぶん人間の世界とちがいまして、畜生同士の戦いでありますから、
少々は無理にこじつけたところもあるかと思われまする。

その辺のところは根が狸という獣物(けだもの)のお話でありますから、
諸君は眉毛に唾をつけてお読み取りのほどを願います。

さて、前編に申し上げました、彼の日開野金長の器量優れたるを見込みまして、
穴観音に棲む総大将六右衛門という狸は、自分の娘小芝姫の養子にいたし、
ここに長く足を留めさせんといたしましたのが、全く行き違いとなりまして、
金長がそれに応じぬところから、六右衛門はたちまち悪心を発(おこ)しまして、
彼の金長の旅館に対し、夜討ちをかけましたるところ、
かえって金長のために敗北をいたしまして、
穴観音の本城に逃げ帰り、部下の眷属を集め、再び金長征伐の評定(ひょうじょう)に及ぶ、
ところがここに千切山(ちぎれやま)の高坊主という者が名論を吐きまして、
平和を局を結ばんといたしましたところまで伺いおきました。

よって引き続きまして、その続きより申し上げますることに仕りまする。

前編とお引き合わせの上、ご愛読あらんことを願いおきます。

さて、前編に伺いましたる如く、千切山の高坊主という者が、述べました如くにさえ取り計らいをいたしますれば、
まことに穏やかに納まるのでございました。
大将六右衛門はかえって金長の尊敬を受け、また別段かの合戦というようなことにも、ならなかったのでございます。

元来、六右衛門はという古狸は、心飽くまでねじけたる奴でありますから
金長の器量の優れたるを心に怖れておりまする。

よって此奴(こやつ)に官位を授けたる時は、のちのち彼に四国の総大将を奪られるという怖れもあり、
よって今のうちに金長を部下の眷属の手を借り、撃って棄てんという決心をいたしました。

で、今日は我が本陣にて評定をいたしたのであります。

ところがさすがは古狸だけあって、高坊主といえる者は、至極穏やかな説を述べました。

すると大将六右衛門は大きに怒りまして

六右「控えよ、高坊主、さては其の方は金長を怖れて左様なことを申すのか。
この度、彼奴(きゃつ)に授官をいたすことについて、 拙者(それがし)様々彼をすすめて、我が娘に彼を配偶(めあわ)せ、金長を我が館の養子といたして、この穴観音の城を譲らんがため、
だんだん説きすすめるといえども、
金長ますます増長におよび、我がことばを用いざる段、はなはだ不埒な奴。
よってこのままに彼を帰せば必ず我に敵対(てきと)う奴。
それゆえ彼をうち取らんと押寄せしところ、
かえって彼の計略にかかり、味方は数多うち取られ、それのみならず、かかる無礼の書まで送りきたるという。
あくまで我を恥じしめたるいたし方である。
いかに金長に勇あればとて、このままに棄(す)ておく時は、ますます彼は増長に及ばん。
さありては、返す返すも残念である。
我も四国の総大将なり。なんぞ金長ごとき一匹の小狸に頭を下げ尻尾をふるわんや。
よってあくまで彼が棲家へ押寄せ、金長の首級(くび)を取らいでおくべきか。」

と、よほど六右衛門は立腹いたしております。

六右「ヤアヤア、者ども、我を思わん者は早々出陣の用意に及べッ」

と、なかなか高坊主の異見をききそうなことはない。

すでに乗り出ださんという勢いでございますから、
せっかく高坊主の金玉(きんぎょく)の論も水の泡とあいなりました。

いずれも一統の者どもは顔を見合わせまして、この上からは致し方がない。
よって皆々出陣をしようとその準備にかかろうとする、
そのありさまを側に見ておりました娘小芝姫は、父の前に進み寄りまして

小芝「お父上さまに伺いまする、貴方は血相変えて、いずれへお越しにあいなりまする。」

六右「オオ、我はこれより日開野へ押寄せて、金長をうち取らんため、出陣であるぞ。」

小芝姫はこれを承りますると

小芝「是は情けなき、その御一言。金長さまに何罪あってのご征伐でございます。
たとえ枕は交わさねども、一旦父上のおことばには、
其方(そち)の婿にいたしてつかわす、其方に異存はないか
と仰せられましたを嬉しく思い、実にわたくしは楽しんでおります。
しかるにこの度金長どの、父上のおことばを背きましたというのも、
これ全く人間たる者より頼まれました、その恩義を報ぜんがため、
事を分けたる金長どののことば、
父上のご立腹は御有理(ごもっとも)ながら、先ほど高坊主が述べられたご異見にお従いくださいまして、
娘不便(ふびん)と思召さば、なにとぞ金長に正一位の位階をお授けくださいまして、
妾(わらわ)に嫁入りをおさせ下さいまするよう。」

と、思い込んで願いました。

六右衛門はこれを聞くと大きに憤り

六右「黙れッ、この度彼の旅館に夜撃ちをかけ、撃ち漏らしたるも、これ全く鹿の子めが返り忠に及んだゆえ、
我が計略の裏をかかれたる次第である。
それのみならず、多くの眷属どもを撃ちとられ、実に無念の次第であるが、やむをえず引きあげるのも、
再び見方を集めて彼が棲家へ押寄せんという我が所存である。
ヤアヤア、者ども、早々出陣の用意をいたせッ」

なかなか止まる気色はありません。

娘はこの時、父の前にまわりまして、父の顔を見上げて涙にくれました。

小芝「それではお父上、どうあっても貴方はおききいれなく、金長どのをご征伐なさるのでございまするか。」

六右「オオいかにも左様じゃ。
たとえ如何(いか)ように言われようとも、一旦こうと決心をいたした上からは、とても叶わぬ願いである。
よって其方(そち)は早く居室(いま)に引き取って琴でも調べ、我が引きあげるのをあい待っておれ。
必ず其方はこの父が良い婿を尋ね出だしてやる。それを楽しんであい待ちおれ。
ソレ者ども馬を曳けッ」

その身はその座をたち上がって、すでに縁端(えんばた)へ乗り出ださんといたしまする勢い。

小芝はあるにもあらぬ思い、
父の気質はよく知っております。
一旦こうと思えば、それをあくまで貫くという性質でありますから、
とても止めても駄目であると最早決心をいたしたることであるか、
この時、かねて用意に持っておりました※匕首(あいくち)、
抜くより早く小芝姫は、自分の喉元のぞんでガハとばかりに一突き貫いた
キャッと声を立てまして、その場へうち倒れましたことでありますから、
さしもの強情な六右衛門も非常に驚きました。

たちまち娘を抱き起し

六右「コリャ、小芝、何ゆえ汝は、かような早まったことをいたした。
アアこれは大変なことをいたしおった。」

と、うろうろいたしながら

六右「誰かある、早く医者をよべッ、コリャ娘、気を確かに持ってくれ」

と、種々介抱をいたしまするとはいえど、
小芝は十分気管(のどぶえ)を貫いたのでございますから、
苦しき息をホッとつき

小芝「わたくしはもとより覚悟の上でございます。
父上に先立つ不孝の罪はお許しくださいまするよう。
ただこの上のお願いは、金長どのとお和睦を下さいまして、どうか位階をお授けくださいまするよう。」

言わせも果て六右衛門は、その手を放し

六右「黙れッ、たわけ者めが、
其方(そち)はまだ金長に未練をかけておるか。
この儀ばかりは、たとえ誰が何と言おうと、あい叶わぬことである。
我は四国の総大将である。
しかるに金長ごとき藪狸に数多の部下を撃たれ、その上不埒極まるところの書面まで送って、我をあくまで恥じしめたるところの金長、
すておく時は彼奴ますます増長なし、後には我に敵対をなす奴。
今さら其方が何と言おうとも授官などとは思いもよらぬ。」

と、目を瞋(いか)らし、牙を剥きました。

小芝「アアお情けないところの仰せでございまする。」

と小芝姫は様々に頼むといえど、なかなか承知をしない。
よって愍(あわれ)むべし、ここに小芝は狂い死にをいたすということにあいなりました。

さしも大胆な六右衛門も、畜生ながらも親子の情愛で、その身は悲嘆の涙にくれましたることでございまするが、
さて四天王の手前もありまするし、
ようよう気を取り直し、六右衛門は

六右「ソレ、兎にも角にも浜辺まで出でて、何かの手配りをいたさん。
早々馬をひいて参らぬか、何を猶予いたしておるのだ。」

というので、すぐさま部下の小狸はその所へ六右衛門の乗馬を曳き出してまいりました。

大将六右衛門はユラリこれにうちまたがり、津田の浜辺へ乗り出し、ここで勢ぞろいをいたし、その上うち出ださんというのでございます。

備えも何もまばらでございまして、
我おくれじと追々と、部下の手輩(てあい)は穴観音の館を乗り出だしまする。

実に大水の引いた後のごとく、城内は深々(しんしん)といたしてまいりました。

さて後に残りましたのは、小芝姫にかしずいておりまする数多の腰元の手輩。

「なんと皆さん、大変なことができたではございませんか、御いたわしや、小芝さまもついにお亡くなりあそばしてございます。」

と、がやがや噂をして涙にくれておりまするが、
まず死骸はこのままでもよくないというところから、
そこで小芝姫の部屋に向けまして、腰元どもがこの死骸を持ってまいります。

これがために館の内は大混雑をいたしております、
ところへ入り来(きた)りましたのは別人ならず、鹿の子の妻の小鹿の子といえる、もとは小芝姫の乳母(めのと)でございました。

今は六右衛門が媒介(なこうど)によりまして、鹿の子と夫婦にあいなって、津田山に棲居(すまい)をいたしておりましたが、
今日彼の評定(ひょうじょう)の席に夫が招かれまして出て行きましたが、
虫が知らすか何となく夫を諫めましてございまするものの、
さて主公(との)の御用というところから登城に及んだが、
そのうちに追々夜は更けてまいりまする。
最早その夜はまさに明けなんとすれども、今もって夫は帰ってまいりませんところから、
もしも夫の身に変わりしことでもないかと、非常にこの小鹿の子は心配をいたしまして、
女ながらもいたって貞心厚き者でございますから
早速自分の棲家を出でまして、穴観音へ出かけて参りました。

ところが穴観音では何となく、非常に一同が騒ぎ立って混雑をいたしておりまする容子でございます。

追々同勢は繰り出しまして、津田の浜辺へ向けて乗り出ださんといたしまする容子でありますから、
何事が起こったのであろうかと驚きましたが、
もともとこの館に長らく奉公をいたしておりました小鹿の子のことでございますから、
勝手は十分わきまえておりまするから、
そこで一同の者に見つけられぬよう、ひそかに裏手にまわりまして、裏門からそっと忍び込みまして、
ようようのことに勝手覚えたる庭先より、姫の居室(いま)へ対してあわただしく乗込んでまいりました。

姫の室(ま)には、かしずいております、腰元が、大勢寄って騒いでおります。

側に近づいたる小鹿の子は、

小鹿「皆さん、ぜんたい、どうなさったのでございます。」

この声に驚き腰元どもは振り返って見ると、小鹿の子でございますから

腰元「大変な騒動ができました。実は斯(か)よう斯(か)ようしかじか」

と、かいつまんで話をいたしましたので、驚いて来てみれば
唐紅(からくれない)とあいなりましたる小芝姫の死骸、
見るとそのまま狂気をいたさぬばかりの有様でございまして

小鹿「これはマアとんでもないことをあそばしました、
小芝姫さまお心を確かにお持ちあそばしてくださいませ。」

と、死骸に取りついて、しばしの間は涙にくれました。

小鹿「乳母でございます、小鹿の子でございまする、
貴女はマア何のためにこの様な御短気なことをあそばしました。」

種々様々に介抱をするとはいえど、もはや身体は冷たくあいなりまして、玉の緒の切れたる死骸(なきがら)でございますから、
今は如何(いかん)ともいたしようなく

小鹿「して、夫の鹿の子はいかがいたしました、あなた方はご存知はございませんか。」

と苛(いら)って尋ねましたが、
さて腰元の手輩は、鹿の子は今、大広間において最後をいたしたのでござる、とも言いかねまして

腰元「左様でございます、どうやら鹿の子さまは評定の席にお残りあそばしていらっしゃるようでございます。」

小鹿「ヤア何ゆえに斯(か)ようなことにあいなったか、夫が棄(す)ておかれることであろうか。」

と思い、小鹿の子は取るものも取りあえず、彼の評定の席に駆けつけてみるというと、誰もおりません。

遥か向こうに血に染んだる一頭の死骸、何事やらんと近寄りまして、よくよく見れば
是(こ)は其(そ)も如何(いか)に、
我が夫鹿の子が、さも無念そうに牙を剥きだして、その所へ斬り殺されておりますから、
気も魂も天外に飛ばして

小鹿「こりゃマアどうした訳合いでございます、アア情けないお姿におなりあそばした、
鹿の子どの、気を確かに持ってください、妻の小鹿の子でございまする。」

と、死骸に取りつきまして、しばしの間涙にくれ、しきりに介抱いたします容子でございましたが
アラ不思議、一旦絶え入ってしまいました津田山の鹿の子は、我が妻のことばが耳に入りましたから

鹿の「ムーン」

とその所へ息を吹っ返しました。

小鹿「アレ貴方、小鹿の子でございます、気を確かにお持ちあそばしてくださいまするよう。」

この時鹿の子は両眼を開いて歯をくいしばり、妻の顔をうち眺めておりましたが、
なかなか口を利くことはできません。

鹿の「アア残念なことである、コリャ小鹿の子よ。」

小鹿「ハイ、どうぞ貴方気を確かにお持ちください。」

鹿の「アア残念だ。」

小鹿「ごもっともでございます。」

鹿の「無念なのは六右衛門の処置、我が無念を晴らしてくれよ。」

という声も虫の息、ついに再びその所へガッカリ、そのまま息は絶え入ってしまいました。

小鹿の子はさながら手のうちの玉を奪(と)られましたるごとく、
うろたえさわいで種々様々に夫を介抱するといえど、
最早はかなくあいなったる死骸

小鹿「アア今日はいかなる悪日(あくじつ)であるか、我が夫といい、姫さままでが、
何がためにこの様な御最後をあそばしたのである、
ムムウ、これというも当城の主人(あるじ)六右衛門のしわざに相違ない、
今数多の者どもの噂をば、この館へ来る途中で承ったが、
これから日開野へ押寄せて金長征伐をいたすとのこと、
さては我が夫なり姫も、それがために斯かる最後をいたしたのであるか、
おのれ、城内のあるじ六右衛門め、もはや主従の縁はこれ限り、
夫の敵(かたき)、姫の仇(あだ)、今に見よ見よ、思い知らしてくれんづ。」

と、ハッタとばかりに津田の浜辺の方を睨(ね)めつけましたが
スックと立たる牝狸の一念

小鹿「オオそうじゃ、ナニあの手配りもどうせい混雑をいたして、すぐさま日開野へ押寄せるという場合にもいたるまい。
勝手覚えしこの小鹿の子は、さきにまわって日開野の金長さまにこのことをお知らせ申し、
その上で夫の敵(かたき)六右衛門めを一太刀(だち)なりとも恨まいでおくべきや。」

と、血相変えて帯引き締め、そのまま庭にヒラリと飛び下りましたが、
さながら飛鳥(ひちょう)のごとき小鹿の子の勢いでございます。

ついに高塀を飛び越して、ドシドシ道を急ぎましたることでございます。

津田の浜辺へ来たって見ると、
何がさて急に部下の募集でございまして、勢ぞろいの上うち出ださんというのですから、
ただ何となくガヤガヤ混雑をいたしております。

まず先陣は誰、二陣は誰、三陣は誰と、この役定めで混雑をいたしおります。

この時、後より館を飛び出だしたる小鹿の子でございます。

我は独り身、ことに他の者の目にかからぬよう、近道を回ったことでございまして、
やがて津田山の裏手へかかりますると、南佐古の渡し場をのぞんでドシドシ駆け出だしてまいりました。

ちょうど渡し船の便をかるということにあいなりましたが、
なかなか人間のような具合にはゆきません。

ひと目を忍んで、そっと船に飛び乗って、いい塩梅に向こう河岸へ船が着くと、
そのまま飛び上がって一生懸命、かの日開野へ駆けつけ、注進をいたすということにあいなりました。

さてまたお話かわりまして、ここに彼(か)の日開野の大将金長でございます。

これは我がためには片腕と頼みました鷹の討死いたしたにつきましては、
もはやこれまでなりと我が身は決心の上、疾く討死をしようというので、
穴観音へ乗り出ださんとしました時、
図らず津田山の鹿の子という者に異見をされまして、
残念ながらその異見に従い、
ようようのことにその場を去り、
日開野の鎮守の森に帰りましたのは、
前編の終わりに伺っておきました。

しかしその途中、金長もつくづく考えました。

「アア残念なことをした。
すでに我、この度修行に乗り出だす時、大和屋茂右衛門さまは様々にお止めにあいなったことであるが、
それをきかずいたして乗り出だし、まさに授官という間際にいたってこの度の騒動。
たとえ我が棲家に帰るともヤハカこの分に棄(す)ておかんや。
部下のめいめいを集めて再び鷹の弔い合戦をなし、
我が身討死をいたすまでも、六右衛門を一太刀(ひとだち)恨まいでおくべきや。
さりながら何をいうにも四国の総大将、どうせい彼には数多の眷属あり。
到底この度うち出だしたれば、我は討死と決心をいたさぬければならぬ。
さある時は大恩受けた日開野の大和屋の旦那に、もはやこの世でお目にかかることも叶わぬ。
このままに我死なば、金長という奴はさすがは畜生、我が異見を用いずしてついに乗り出だし、そのまま滅び失せたかと言われても残念。
ムムウ、こりゃ我が森に立ち帰るまでに、幸い今より日開野の大和屋さまへ参って、それとはなく今生の暇(いとま)を告げん。」

というので、あとさき見回したが、負傷(てきず)の痛手を忍び、かの大和屋茂右衛門の宅へやってまいりました。

もちろん当家に奉公をいたして正直に働いておりまする、職人の亀吉、この者に乗りうつりまして、これまで主人と様々話をしたことがあります。

今来って入口よりそっと覗いて見ると、例の亀吉は何にも知らず、一心に仕事場で染物をいたしおります。

やがて側へ近寄りますると、彼の亀吉の姿を借りたのでございます。

ところでこの大和屋という紺屋の宅は、相変わらず商売は繁昌いたしております。

今日しも職人の亀吉はしきりに仕事をいたしおりましたが、
かの染物に用いまする棒をもって、スックリそれへ立ち上がりました。

他の職人はこの体(てい)を見て

職人「オイ、亀、どうした、仕事はもう仕上がったのか、オイ、コレ…オヤオヤこいつはおかしい奴だな、何をしている。」

他の朋輩が物を言っても少しも返答はございません。

何か唱えごとをして空を向いて考えておりましたが、
たちまち彼(か)の棒を目八分に差し上げますると、口の内で何か唱えごとをいたして、これを振りながら、
身体(からだ)をブルブルふるわせております。

○「オヤオヤ、チョッと見ねえ、また亀吉が変だぜ。例の金長というものがついたのじゃァあるまいか。」

△「サァ、どうやら狸がついたような塩梅だ。オヤオヤ、どうした、亀吉。」

といえど、此方(こなた)はさらに相手にならず、ブルブル身体をふるわせております。

家内の者は大騒ぎでございます。

そのうちに亀吉は台所へ入ってまいりますると、
ズッと上へ飛び上がりまして、
やがて奥座敷へ進んでまいりまする。

この体(てい)を眺めましたる家内の者は

家内「貴方マア大変でございます。
どうも亀吉の容子が変でございます。
チョイとお出で下さい。」

茂右「ナニッ、亀吉の容子が変だ、オイ亀吉、どうしたのだ。」

といううちに、亀吉は床の間へ進んでまいりまして、ピタリその所へ座り、
畳に両手をすりつけまして、棒をもって畳を打ち始めました。

さては金長が戻ったのであるかと、これまで度々馴れておりますから、
大和屋茂右衛門はそれへ進み出でまして

茂右「コレコレ、お前は金長さんだな。」

金長「旦那さま、まことにお久しゅうございます。
私は金長狸でございます。
ただいま立ち帰りましてございます。」

茂右「エエ、ナニ金長、イヤこれはこれはようマア戻って来てくれました。
昨年から何か、あの正一位という官位を受けようというので、
お前は修行をいたしておったのであろうが、
マア目出度いことである。
金長どの、実に私はお前の立ち帰るのを待っておりましたことであります。
サア皆の者、これへ来て金長どのが首尾好(よ)う戻って来てくれたことであるから、お祝いを申せ。
定めて金長どのは出世をして帰って来たのであろう。
正一位金長大明神なれば、私の方でもお宮を立派に建て直します。
幟(のぼり)はもとより手のものです。
すぐに染め上げて、正一位金長大明神という幟を立てたその上で、
マアお前の立身出世をいたしたお祭典(まつり)をして、在下(ところ)の者も皆呼んでくる。
これまで金長さんの様々の利益(りやく)にあずかった人達も、お前の帰りを待ってお供えをしようと皆々大騒ぎをやっていた。
アア結構結構、金長どの、この上もない目出度いことであります。」

金長「アイヤ、御主人さま、そのようにお騒ぎくださいますな。
金長ただ今帰りましたのは、貴方に今生のお暇乞(いとまご)いをいたさんがために帰りました。」

茂右「エエッ、何という、今生の暇乞い」

金長「ハイ、もはやこの世でお目通りをすることは叶わぬことになりました。
が、ようようはげしい中を斬り逃れまして、お暇乞いかたがた帰りました。」

と、さて金長がこれまでに異(かわ)ったるこの一言に、
主人大和屋茂右衛門をはじめ、何で金長があのようなことを言うかと、皆々集まって、
これから金長の言うことを承る。

かの金長決心をいたして穴観音へ逆寄(さかよせ)の一段とあいなりまするが、
チョッと一息御免をこうむりまして次回に。

※口銭…手数料。
※匕首(あいくち)…つばのない短刀。

津田浦大決戦 古狸奇談 第二回へ続く

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